三好山の山頂付近から見た大阪平野。三好長慶はこの山から畿内に号令した
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大阪府 · 高槻市

芥川山城

あくたがわさんじょう

Akutagawayama Castle

大阪府高槻市

城山城続日本100名城 157番

この城らしさ

大阪平野を見下ろすこの山の上から、三好長慶は将軍をかつがず、自分の名で畿内に号令した。

なぜ?

1553年から約7年間、三好長慶はこの城に住み、足利将軍家を立てずに畿内(京都のまわりの5か国)⁠を治めました。当時の人が「天下」と⁠呼んだのはこの畿内のことで、高槻市は長慶を織田信長に先がけた「天下人」と⁠紹介しています。城には面会や⁠裁きを求める人が大勢のぼってきました。[2]

見逃したくない3つ

01
大手筋に残る石垣(大石垣)。戦国時代の山城では珍しい石垣ブレイズマンPublic domainWikimedia Commons

大手筋の石垣

見る場所
城の南側、大手⁠(正面の登り道)⁠の谷筋。市の地図の「大手筋ルート」の途中
注目する部分
登ってくる人の正面に積まれた、高さ2m以上の石垣
ここが面白い
戦国時代の城はふつう土でつくられ、石垣を本格的に使うのは1576年に始まる安土城からと⁠されます。芥川山城の大手の石垣はそれより前のものと⁠みられ、市は登城する人に「みせる」ための石垣と⁠考えています。[2][3]
見られるか
一部見られる大手筋ルートは足もとが悪いと⁠市の地図に注意書きがある。整備された史跡ではない。
02
斜面をまっすぐ下る竪土塁(たてどるい)の跡。斜面を回りこむ敵を止める仕掛けと考えられているブレイズマンPublic domainWikimedia Commons

斜面を一直線に下る竪土塁

見る場所
城の東側の曲輪群
注目する部分
斜面を上から下へまっすぐ下っていく土の盛り上がり(竪土塁)と、土塁で囲まれた曲輪
ここが面白い
竪土塁は珍しい遺構で、斜面を横へ回りこんで攻めてくる敵を止めるためのしかけと⁠考えられています。石垣を使わず、土を削り盛って守った戦国時代の山城の工夫がよく分かります。[2]
見られるか
一部見られる木や⁠竹が茂っていて、遺構は見分けにくい場合がある。
03
三好山の山頂を平らにならした主郭(しゅかく)。発掘で礎石を使った本格的な建物の跡が見つかったブレイズマンPublic domainWikimedia Commons

主郭と⁠山頂からの眺め

見る場所
三好山の山頂(標高182.69m)⁠。主郭は江戸時代の城の本丸にあたる
注目する部分
平らにならした山頂と、三好長慶をまつるほこら。山頂近くの休憩場所からの大阪平野の眺め
ここが面白い
1993年度の発掘で、主郭から礎石を使った東西6.6m以上⁠の建物の跡が見つかり、床を張った部屋が4つ以上あって縁側がめぐる本格的な建物だったと⁠分かりました。1556年に城で火事があったと⁠いう記録と⁠合う焼けた跡も出ています。山城には簡単な建物しかなかったと⁠いう見方を変えた発見です。山頂からは生駒山地から大阪市内まで見渡せます。[1][2][3]
見られるか
外から見られる山頂は自由に見られる。発掘した礎石が現地で見られるかは未確認。

訪問の目安

最寄り駅
高槻市営バス「塚脇」停留所から徒歩約30分
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
バス停から往復と⁠山上の見学で2時間ほどが目安
料金
無料(特別展は有料)
時間
10:00〜17:00(入館は16:30まで⁠)
立入り
自由に見学できる

城跡は私有地で、整備された史跡ではない。木が茂り、虫や⁠蛇もいて危ない場所もあるため、下調べをしたうえで自己責任で見学するよう市は呼びかけている。地面を掘ったり遺物を持ち帰ったりしないこと。ゴミは持ち帰る。続日本100名城⁠のスタンプは現地ではなく、高槻市しろあと⁠歴史館にある(休館日は押せない)⁠。

確認日:

この城の物語

01
史実

三方を谷に守られた⁠山

三好山(通称城山)は、北・西・南のふもとを芥川の渓谷にかこまれた天然の要害です。山頂からは大阪平野が一望できます。城の範囲は東西約500m、南北約400mあり、大阪府内でも最大級の山城です。[2]

02
史実

管領・細川高国が築く

城は1515年から翌年にかけて、室町幕府の管領(将軍を補佐する最高の役職)だった細川高国が築きました。細川家が二つに割れて争う中、敵の細川澄元に対抗する軍事拠点と⁠して、摂津に城が必要だったのです。当時の記録には、昼も夜も300〜500人⁠の人夫が働いたと⁠書かれています。完成後は家臣の能勢氏が城を守りました。[2]

03
史実

三好政権の「首都」

1553年、三好長慶はこの城を攻め落と⁠して住まいにし、1560年に飯盛城へ移るまでの約7年間、ここから畿内を治めました。城には松永久秀ら重臣や⁠役人が住み、政治の中心になりました。長慶はふもとの村どうしの水争いを裁くなど、地域の人と⁠向き合う政治をしました。城では学者を招いた儒学の講義や⁠連歌会も開かれました。長慶が移ったあとは子の義興が城を継ぎ、政権の本拠地であり⁠続けました。[2]

04
史実

信長が押さえ、役目を終える

1563年、三好義興はこの城で亡くなりました。1568年、京都をめざす織田信長⁠は三好一族を追ってこの城を手に入れ、新しい将軍足利義昭とともに形勢を見定めてから京都に入りました。そのあと⁠城主になったのは義昭の重臣の和田惟政で、家臣の高山飛騨守(高山右近の父)⁠が城を預かりました。宣教師ルイス・フロイスもこの城で歓待されています。翌年、惟政が平地の高槻城へ移ると、芥川山城はしだいに役目を終えました。[2][4]

05
史実

土の城の姿がよく残る

建物は⁠残っていませんが、山頂の主郭のまわりの尾根や⁠谷に平らな曲輪がいくつもつくられ、要所に土塁や⁠堀切(尾根を断ち切った堀)⁠、土橋が残っています。こうした形は「連郭式山城」と呼ばれる戦国時代の典型です。最近の発掘で、主郭から記録と⁠合う火事の跡が見つかり、和田惟政や⁠高山右近が入った「芥川城」がこの山城であることが確実になりました。[1][2]

06
史実

続100名城から国史跡へ

2017年3月、日本城郭協会は芥川山城を続日本100名城⁠に選びました。2022年11月10日には国の史跡「芥川城跡」に指定されています。ただし城跡は私有地で、公園と⁠して整備された史跡ではありません。[1][2]

この城の人びと

年表

  1. 細川高国が築城を始める(翌年にかけて⁠)[2]

  2. 細川晴元がこの城に長く滞在しはじめる[2]

  3. 三好長慶が城を攻め取り、居城にする[1][2]

  4. 長慶が飯盛城へ移り、子の義興が城を継ぐ[2]

  5. 織田信長が城を押さえ、和田惟政が城主に[2]

  6. 続日本100名城⁠に選ばれる[2][6]

  7. 国の史跡「芥川城跡」に指定[1][2]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

天守のない戦国時代の山城。主郭には礎石を使った御殿のような建物があった。

城全体のいま

三好山の山林の中に遺構が残る。城跡は私有地で、整備された史跡公園ではない。山頂に三好長慶をまつるほこらがある。

主な建物

跡地のみ

主郭の礎石建物

1993年度の発掘で検出。東西6.6m以上⁠・南北3.9m以上、床張りの部屋4つ以上と⁠縁があった。[2]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
細川高国日本城郭協会
築城
永正13年(1516)⁠頃日本城郭協会
主な城主
細川氏、三好氏、和田日本城郭協会
廃城
元亀4年(1573年)⁠頃Wikipedia
見られる遺構
曲輪・堀切・石垣・土塁・虎口・⁠堀編集部記事
文化財指定
国史跡(芥川城跡)(2022年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 157番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は私有地で、整備された史跡ではない。木が茂り、虫や⁠蛇もいて危ない場所もあるため、下調べをしたうえで自己責任で見学するよう市は呼びかけている。地面を掘ったり遺物を持ち帰ったりしないこと。ゴミは持ち帰る。続日本100名城⁠のスタンプは現地ではなく、高槻市しろあと⁠歴史館にある(休館日は押せない)⁠。

住所

大阪府高槻市大字原(三好山)[1]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

高槻市営バス「塚脇」停留所JR高槻駅北のりばから〈塚脇〉〈下の口〉行き

徒歩約30分 · 急⁠な登り

バス停から坂道を歩き、途中から未舗装の山道になる。市の「三好山山頂へのアクセス」地図には、塚脇バス停から妙力寺方面へ進む「塚脇ルート」、大手門石垣の横を通る「大手筋ルート」(足もとが悪い)⁠、北の上の口から登る「上の口ルート」(滑落注意)⁠が示されている。[1][2][3]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

高槻市立しろあと⁠歴史館(スタンプ設置・関連展示)
時間
10:00〜17:00(入館は16:30まで⁠)
休館・休み
月曜(祝日は開館)⁠、祝日の翌平日、12月28日〜1月3日。暴風警報のときは臨時休館
料金
無料(特別展は有料)[5][2]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

城跡用の駐車場はない。公共交通機関の利用を市は求めている。[1][2]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
バス停から往復と⁠山上の見学で2時間ほどが目安
階段・坂・足もと
坂道と⁠未舗装の山道。大手筋ルートは足もとが悪く、上の口ルートは滑落に注意。登山靴など安全な靴で登るよう市は呼びかけている。[1][2][3]
車椅子・ベビーカー
山道のため車いすでの見学はできないと⁠考えたほうがよい(公式の記載はなし)確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
城跡と⁠付近にトイレはない。市の地図では、ふもとの摂津峡公園桜広場などにトイレがある。[2][3]
英語案内・音声ガイド
市が英語版の「三好山山頂へのアクセスと⁠解説」PDFを出している(韓国語・中国語版もある)⁠。[2][4]
季節の楽しみ
市の地図では、秋は芥川の川辺が紅葉し、ふもとの摂津峡公園は桜の名所と⁠される。[3]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
城跡でスズメバチが多数目撃されていると⁠市が注意を呼びかけている。[1][2]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

博物館

高槻市立しろあと⁠歴史館

高槻城の三の丸跡に立つ市の歴史博物館。芥川山城や⁠三好長慶に関する展示があり、続日本100名城⁠のスタンプもここにある。入館無料(特別展は有料)⁠。阪急高槻市駅から南へ徒歩約10分。[5][2]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

建物より地形や⁠土の遺構を見るのが好きな人、信長より前の「天下人」三好長慶に興味がある人、軽い山歩きを楽しめる人に向く。整備された公園ではないので、山道に慣れた人向け。

ここを見ると⁠面白い

大手筋の石垣、東側の竪土塁、山頂の主郭の3つ。石垣は戦国時代の山城では珍しく、竪土塁は斜面を守るための工夫がよく分かる。山頂の休憩場所からは、長慶が治めた大阪平野が見渡せる。

訪ねる前に

城跡は私有地で、トイレも駐車場もない。山道は未舗装で足もとが悪いところがあり、スズメバチの注意も出ている。続100名城のスタンプは現地になく、市街地のしろあと⁠歴史館にあるので、先に寄るか帰りに寄るかを決めておくとよい。ここに使った写真の多くは2008年ごろのもので、いまの様子とは違う可能性がある。

楽しみかた

市が出している「三好山山頂へのアクセス」地図を手に、行きは塚脇ルート、帰りは大手筋ルートのように道を変えると、大手の石垣も見られる。しろあと⁠歴史館で長慶や⁠松永久秀の展示を見てから登ると、山の上で何が⁠行われていたかを想像しやすい。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    史跡芥川城跡高槻市(たかつき歴史Web)municipal確認日:
  2. 2
    続日本100名城芥川山城跡高槻市(たかつき歴史Web)municipal確認日:
  3. 3
    三好山山頂へのアクセス(PDF)高槻市municipal確認日:
  4. 4
    Access to the Summit of Mt. Miyoshi & Commentary on Mt. Miyoshi (PDF)Takatsuki Citymunicipal確認日:
  5. 5
    しろあと⁠歴史館の利用案内高槻市(たかつき歴史Web)municipal確認日:
  6. 6
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  7. 7
    芥川山城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  8. 8
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    Wikipedia「芥川山城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  10. 10
    Wikidata Q11614735Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

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  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

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