日本のお城アトラス

はじめての日本の⁠城

城を訪ねる前に知っておくと、見え方が変わることをまとめました。

本丸の中央に仮に移されていたころの天守と岩木山(2022年5月撮影)。1810年に建てられた江戸時代からの天守で、2026年に元の天守台へ戻す工事が進んでいる。掬茶CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons
温根元漁港から見たヲンネモトチャシ跡(2009年撮影)。岬の上に盛った土が丸く重なり、「お供え餅」のように見える。1467jpCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons
温根元漁港から見たヲンネモトチャシ跡(2009年撮影)。岬の上に盛った土が丸く重なり、「お供え餅」のように見える。1467jpCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons
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「天守」と⁠「城」は同じではない

写真でよく見る高い建物は「天守」で、城の一部にすぎません。城は、堀や⁠石垣で区切った「曲輪(くるわ)⁠」⁠がいくつも連なった、広い守りの仕組みです。天守がない城や、天守が失われた城もたくさんあります。城を訪ねたら、天守だけでなく、門から天守までの道のり、堀の幅、石垣の高さにも目を⁠向けてみてください。

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現存・復元・再建・模擬のちが⁠い

江戸時代以前に建てられた天守が今も残るものを「現存天守」と⁠呼びます。多くの天守は明治時代の取り壊しや⁠戦争で失われ、その後に建て直されました。図面や⁠写真などの史料にもと⁠づいて木造で建て直したものは「木造復元」、外観だけを史料どおりにしたものは「外観復元」、形や⁠位置が当時と⁠違うこともある建て直しは「復興」や⁠「再建」、もともと⁠天守がなかった場所に建てたものは「模擬天守」と⁠呼ばれます。このアトラスでは、城ごとにどれにあたるかを出典とともに示しています。

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天守のない城跡の楽しみかた

建物が⁠残っていなくても、城の形は地面に残っています。平らに削られた場所は曲輪、尾根を断ち切る深い溝は堀切、斜面を縦に走る溝は竪堀、土を盛り上げた壁は土塁。入口が直角に折れていれば、攻め手の勢いを止める虎口(こぐち)です。案内板の縄張図(なわばりず=城の平面図)⁠を見てから歩くと、どこから攻められ、どこで守ったのかが見えてきます。

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階段と⁠靴について

現存天守の中は階段がとても急で、はしごに近いところもあります。両手が使えるように荷物は少なめに。多くの天守では入口で靴を脱ぎ、袋に入れて持って歩きます。山城は未舗装の山道で、雨のあとは⁠滑りやすくなります。歩きやすい靴と⁠飲み物を用意してください。車椅子や⁠ベビーカーで回れる範囲は城ごとに違うので、各城の「旅の情報」で⁠確かめてください。

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電車と⁠バスで訪ねる

城下町から発展した町が多いため、駅の近くにある城も少なくありません。各城のページでは、最寄り駅、歩く時間、登りの有無を確認できたものだけ⁠載せています。山城や⁠地方の城はバスの本数が少ないことがあるので、帰りの時刻を先に確かめておくと⁠安心です。

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撮影と⁠立入りのルール

天守や⁠資料館の中では、撮影が禁止されている場所や、フラッシュ・三脚が使えない場所があります。石垣に登る、柵を越えるのは危険で、遺構を傷めます。城跡の中には私有地や⁠立入禁止の区域もあります。現地の案内に従い、このアトラスで「非公開」「一部のみ」と⁠なっている場所には⁠入らないでください。ドローンの飛行は多くの城で許可が必要です。

城を歩くための用語集

天守(てんしゅ)Tenshu
城の中心に立つ、いちばん高い建物。城主の権威を示す象徴でもあった
櫓(やぐら)Yagura
見張りや⁠攻撃、物の保管に使った建物。石垣の角などに建つ
曲輪(くるわ)Kuruwa
堀や⁠石垣・土塁で区切った区画。本丸・二の丸など
本丸(ほんまる⁠)Honmaru
城の中心と⁠なる曲輪
石垣(いしがき)Ishigaki
石を積み上げた⁠壁
土塁(どるい⁠)Dorui
土を盛り上げてつくった⁠壁
堀(ほり⁠)Hori
城のまわりを掘った溝。水をためた水堀と、水のない空堀がある
堀切(ほりきり)Horikiri
尾根を断ち切るように掘った⁠堀
虎口(こぐち)Koguchi
曲輪の出入口。折れ曲がらせて守りを固めた
大名(だいみょう⁠)Daimyo
広い領地を治めた武士の領主
藩(はん)Han (domain)
江戸時代、大名が治めた領地と⁠その組織
城下町(じょうかまち)Jōkamachi
城のまわりにつくられた⁠町
グスクGusuku
琉球(沖縄・奄美)⁠の城。祈りの場でもあった
チャシChashi
アイヌの人々が築いた砦・祭祀・談判の⁠場
陣屋(じんや⁠)Jin'ya
城を持たない小さな藩の大名や⁠代官の役所