城内でいちばん広い曲輪(くるわ)、四の丸の跡(2009年5月撮影)。礎石とされる石の一部が残る。
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大阪府 · 千早赤阪村

千早城

ちはやじょう

Chihaya Castle

大阪府千早赤阪村

城山城日本100名城 51番

この城らしさ

楠木正成がわずかな兵でこもり、鎌倉幕府の大軍に最後まで落と⁠されなかった金剛山の山城。

なぜ?

1333年、千早城は鎌倉幕府の大軍に囲まれましたが、楠木正成は深い谷に守られた地形と⁠奇策で戦い抜き、城は⁠落ちませんでした。幕府軍がここに足止めされている間に各地で反幕府の兵が立ち上がり、まもなく鎌倉幕府は滅びます。村も神社も「籠城戦で落ちなかった城」と⁠して紹介しています。[1][3][4][7]

見逃したくない3つ

01
金剛登山口から城跡へ上る石段(2009年5月撮影)。大手口の跡とされる道で、ずっと上りが続く。KENPEICC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

金剛登山口から続く石段の登城道

見る場所
金剛登山口バス停近くの登り口から、四の丸跡まで
注目する部分
まっすぐ上へ延びる石段と、両側の急な斜面
ここが面白い
城跡までは徒歩20〜30分ほどで、ずっと⁠上りが続きます。観光協会は「ちょっとした登山へ行く心構え」が必要と⁠しています。この登りのきつさこそ、大軍が攻めあぐねた城の守りの強さを体で感じられる部分です。[3]
見られるか
外から見られるいつでも歩ける(山道なので雨や雪の日は注意)⁠。
02
城内でいちばん広い曲輪(くるわ)、四の丸の跡(2009年5月撮影)。礎石とされる石の一部が残る。KENPEICC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

城でいちばん広い曲輪、四の⁠丸

見る場所
石段を上りきった先の広場
注目する部分
平らに削られた広い曲輪と、礎石と⁠される石。木の間から見える谷と⁠遠くの平野
ここが面白い
千早城には今も多くの曲輪(くるわ。平らにならした区画)⁠が残り、四の丸は特に大きな区画です。石垣や⁠天守のある近世の城とちがい、山の地形そのものを削って区切った中世の山城の姿がよく分かります。[1][2]
見られるか
外から見られる自由に入れる。
03
二の丸跡に建つ千早神社の拝殿(2009年5月撮影)。社殿の裏の曲輪が本丸とされるが、立ち入りはできない。KENPEICC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

二の丸跡の千早神社と、その奥の本丸

見る場所
四の丸からさらに奥。千早神社の境内
注目する部分
城の守り神と⁠して始まったと⁠伝わる千早神社の社殿
ここが面白い
神社によると、1332年の築城のとき本丸に八幡大菩薩をまつったのが始まりと⁠され、のちに楠木正成・正行もまつられました。村は、いま神社が建つのは二の丸で、その裏の曲輪が本丸(主郭)だと⁠説明しています。本丸には立ち入れません。[1][4]
見られるか
一部見られる神社の境内は参拝できるが、本丸(主郭)には立ち入れない。

訪問の目安

最寄り駅
金剛登山口バス⁠停から徒歩約30分
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
登山口から往復と⁠城跡の見学で1時間〜1時間半⁠が目安
立入り
一部のみ見学できる

城跡と⁠千早神社の境内は自由に歩ける。神社の裏の本丸(主郭)⁠は立入不可。日本100名城スタンプ⁠は城跡ではなく、登山口近くの「金剛山山の豆腐」に置かれている(営業日・時間に注意)⁠。

確認日:

この城の物語

01
史実

三方を深い谷に囲まれた尾根の⁠先

千早城は金剛山の中腹、千早川に面した山の上にあります。西・南・北の三方は急な斜面で、残る一方だけが金剛山の山頂へ続く尾根です。攻める側からは登りにくく、守る側は背後の山と⁠つながっている、守りにとても強い地形でした。[2][3]

02
史実

1332年、楠木正成が築く

1332年(元弘2年)⁠、後醍醐天皇の側について鎌倉幕府と⁠戦った河内の武将・楠木正成が、楠木城(赤坂の城)とともに千早城を築きました。観光協会の説明では、下赤阪城が前線、上赤阪城が本城で、千早城はいちばん奥の「詰めの城」でした。[1][2][3]

03
伝承

1333年の籠城戦

1333年、赤坂の城が落ちたあと、正成は千早城にこもって幕府の大軍と⁠戦いました。軍記物語『太平記』には、崖から石や⁠丸太を落としたり、わら人形を使って敵をおびき⁠寄せたりした奇策が書かれていて、幕府軍100万⁠に対して正成の兵は1000だったと伝わります。数字や⁠細部は物語と⁠しての誇張を含むと⁠考えられますが、城が落ちなかったことは国の解説にも書かれています。[2][4][7]

04
伝承

金剛山一帯の砦をまとめる司令所

正成は金剛山のあちこちに砦を築き、千早城をその司令所と⁠して使ったと⁠伝わります。金剛山の山頂近くにある国見城跡も、その砦のひとつと⁠されています。千早城が⁠持ちこたえている間に各地で反幕府の動きが広がり、鎌倉幕府は1333年に滅びました。[3][7]

05
史実

南北朝の終わりに落城し、曲輪が残る

その後も千早城は南朝方の楠木氏の城と⁠して使われましたが、南北朝時代の終わりごろに北朝方に攻め落と⁠され、廃城になりました。建物は⁠残っていませんが、山を削った多くの曲輪が残り、四の丸には礎石と⁠される石の一部があります。[1][2][7]

06
史実

1934年に国の史跡に

千早城跡は1934年に国の史跡に指定され、千早赤阪村が管理しています。2006年には日本100名城(55番)⁠に選ばれました。二の丸跡には千早神社が建ち、城跡は神社への参道と⁠して歩かれています。[2][3][4][8]

この城の人びと

年表

  1. 楠木正成が千早城を築く[1][2]

  2. 鎌倉幕府軍に囲まれるが落ちず。同じ年に鎌倉幕府が滅ぶ[2][7]

  3. 落城の年は資料によって異なる

    南北朝時代の終わりごろ、北朝方に攻め落と⁠され廃城[2][7]

  4. 国の史跡に指定[2]

  5. 日本100名城(55番)⁠に選定[3][8]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

天守が生まれる前、鎌倉時代末から南北朝時代の山城で、天守はない(城郭協会の一覧でも天守は「−」)⁠。

城全体のいま

金剛山中の山林の中に曲輪が残る城跡。二の丸跡に千早神社が建つ。登山口から石段で上る。

主な建物

跡地のみ

本丸(主郭)⁠跡

千早神社の裏の曲輪。立入不可。[1]

跡地のみ

四の丸跡

大きな曲輪。礎石と⁠される遺構の一部が見られる。[1]

確認中

千早神社

二の丸跡に建つ。神社は1332年の創建と⁠伝え、社殿は1874年に再建された。[1][4]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
楠木正成日本城郭協会
築城
元弘2年(正慶元、1332)日本城郭協会
主な城主
楠木氏日本城郭協会
廃城
明徳3年(1392年)Wikipedia
見られる遺構
曲輪・⁠堀編集部記事
文化財指定
国史跡(千早城跡)(1934年)編集部記事
名城選定
日本100名城 51番日本城郭協会

旅の情報

立入り

一部のみ見学できる

城跡と⁠千早神社の境内は自由に歩ける。神社の裏の本丸(主郭)⁠は立入不可。日本100名城スタンプ⁠は城跡ではなく、登山口近くの「金剛山山の豆腐」に置かれている(営業日・時間に注意)⁠。

住所

大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早[2][4]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

金剛登山口バス⁠停南海バス小深線(河内長野駅から金剛山ロープウェイ前行き)⁠、または富田林駅からコミュニティバス千早線⁠で千早赤阪村立中学校前⁠へ行き、⁠村コミュニティバス金剛登山口行きに乗り換え

徒歩約30分 · 急⁠な登り

登山口から城跡まで徒歩約20〜30分、ずっと⁠上り。金剛バスは2023年12月20日⁠に廃止されたので、古い案内に注意。[3][5][6]

確認日: 2026-10-03

車・駐車場

未確認(登山口周辺に駐車場があるが、料金・台数は公式で確認できなかった⁠)

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
城跡は山林で、開園時間の決まりは確認できなかった確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
登山口から往復と⁠城跡の見学で1時間〜1時間半⁠が目安
階段・坂・足もと
登山口から城跡までは石段の上りが続く山道。歩きやすい靴が必要。[3]
車椅子・ベビーカー
石段の山道のため、車いす・ベビーカーでの見学は難しい(公式の案内は確認できなかった)⁠。確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
英語の案内は確認できなかった。
季節の楽しみ
冬は金剛山に雪が⁠積もることがある。観光協会のサイトに積雪情報のページがある。[3]
撮影のルール
特別なきまりは確認できなかった。
工事・休館・立入制限
バスは本数が少ないので、行く前に南海バスと⁠村の時刻表を確認したい。[5][6]確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

楠木正成や⁠『太平記』の物語が好きな人、山歩きをかねて中世の城跡を見たい人。金剛山に登る人の寄り道にもなる。

ここを見ると⁠面白い

建物や⁠石垣を見る城ではなく、地形を見る城。石段のきつい上り、谷に囲まれた尾根の形、平らにならされた曲輪を順に見ていくと、少ない兵で守り抜けた理由が分かってくる。

訪ねる前に

鉄道駅からは遠く、バスを乗り継いで登山口へ行き、さらに20〜30分上る。金剛バスは廃止されたので、新しいバスの時刻を確認しておきたい。100名城スタンプ⁠は城跡ではなく登山口近くの店にある。

楽しみかた

時間と⁠体力があれば、尾根づたいに金剛山の山頂方面へ歩き、正成が築いたと⁠伝わる砦の広がりを想像するのもよい。ふもとの赤阪の城跡と⁠あわせて回ると、前線から詰めの城までの守りの組み立てが見えてくる。

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    国史千早城跡千早赤阪村municipal確認日:
  2. 2
    千早城跡文化遺産オンライン(文化庁)heritage確認日:
  3. 3
    千早城・千早神社千早赤阪村観光協会tourism確認日:
  4. 4
    千早城(千早神社の歴史)千早神社other確認日:
  5. 5
    千早赤阪村へお越しの皆様へ千早赤阪村municipal確認日:
  6. 6
    新たな交通サービスの開始について千早赤阪村municipal確認日:
  7. 7
    千早城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  8. 8
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    Wikipedia「千早城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  11. 11
    Wikidata Q1149573Wikidatawikidata確認日:
  12. 12
    OpenStreetMap way/1238889329© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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