この
北側へ回ると、白い天守が黒い鉄の壁に変わる。
見逃したくない3つ
天守北面の
m-louis .® from Osaka, JapanCC BY-SA 2.0Wikimedia Commons
663highlandCC BY 2.5Wikimedia Commons訪問の目安
- 最寄り駅
- JR福山駅北口
(福山城口) から 徒歩約5分 - 登り
- 少し
登る - 所要時間の
目安 編集部の目安 - 外
まわりだけなら 約45分、 博物館に 入るなら 1時間半〜2時間が 目安 - 料金
- 一般500円、
団体 (20名以上)・ 各種割引400円、 高校生以下は 無料。 特別展の 期間は 料金が 変わる - 時間
- 9:00〜17:00
(最終入館16:30) - 立入り
- 自由に
見学できる 城跡
(福山城公園)は 外から 自由に 歩ける。 天守の中 (福山城博物館)は 有料。 伏見櫓・ 筋鉄御門・ 鐘櫓の 内部は 非公開。 日本100名城 スタンプは 管理事務所外の 券売機横 (6:00〜22:00)と 天守内 ミュージアムショップ (要入館料)に ある。
確認日:
この城の物語
なぜこの場所に城を建てたのか
1619年、
この城の人びと
築城者・
水野勝成
Mizuno Katsunari
1564–1651
徳川家康の
伏見城の
徳川秀忠
Tokugawa Hidetada
1579–1632
江戸幕府の
阿部家として
阿部正邦
Abe Masakuni
1658–1715
1710年に
福山藩主・
阿部正弘
Abe Masahiro
1819–1857
福山藩主。
城主
松平氏
Matsudaira clan
城主
水野氏
Mizuno clan
年表
建物と遺構
天守の
外観を復元
1966年に
城全体の
本丸を
主な建物
天守
1945年焼失、
伏見櫓
伏見城から
筋鉄御門
本丸の
鐘櫓
荒れていた
月見櫓
明治初めに
御湯殿
藩主の
鏡櫓(文書館)
明治初めに
基本データ
- 種類
- 城
- 地形に
よる 分類 - 平山城平地の
中の 編集部記事丘に 築いた城 - 時代
- 近世編集部記事
- 天守の
状態 - 外観を
復元 外観は史料に 編集部記事基づいて 復元。 中は 鉄筋 コンクリートの 資料館など - 築城者
- 水野勝成日本城郭協会
- 築城
- 元和8年
(1622) 日本城郭協会 - 主な
城主 - 水野氏、
松平 日本城郭協会(奥平) 氏、 阿部氏 - 廃城
- 1874年Wikipedia
- 見られる
遺構 - 櫓・
櫓台・ 編集部記事門・ 石垣・ 曲輪・ 天守台 - 文化財指定
- 国史跡
(福山城跡) 編集部記事(1964年)、 国重要文化財 (伏見櫓・ 筋鉄御門) (1950年) - 名城選定
- 日本100名城 71番日本城郭協会
旅の情報
立入り
自由に城跡
住所
〒720-0061 広島県福山市丸之内一丁目8番[8][9]
確認日: 2026-10-03最寄り駅と行き方
開館時間・料金
- 時間
- 9:00〜17:00
(最終入館16:30) - 休館・
休み - 月曜
(祝日の 場合は 翌日)、 12月28日〜31日、 展示入替に よる 臨時休館あり
車・駐車場
福山城博物館駐車場
歩きかたの例
駅から45分鉄と石垣をめぐる外まわりコース 45分
- JR福山駅北口を
出て、 南側の 階段ルートへ - 伏見櫓を
見上げる (江戸時代から 残る 櫓) - 筋鉄御門を
くぐり、 扉の 鉄の 帯を 間近で 見る - 本丸の
天守前広場から 天守の 南側を 眺める - 天守の
まわりを 北へ 回り、 黒い 鉄板張りの 北面を 見る - 東側の
ゆる やかな 階段ルートで 駅へ 戻る
時間は
半日城と文化ゾーンじっくりコース 210分
- 南側の
階段ルートで 伏見櫓・ 筋鉄御門を 見て 本丸へ - 福山城博物館で
福山城と福山藩の 展示を 見て、 最上階から 町を 見渡す - 天守の
北側へ 回り、 鉄板張りの 北面を 見る - 鏡櫓文書館
(無料)で 福山藩の 古文書の 展示を 見る - 福寿会館の
庭越しに 天守を 眺める - 城の
西側の ふくやま美術館、 広島県立歴史博物館へ (駅北口から 西へ 約400m) - 時間が
あれば ふくやま 文学館へ (駅北口から 徒歩8分)
時間は
周辺の楽しみ
博物館
ふくやま美術館
城の
博物館
広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム)
中世の
博物館
ふくやま文学館
城の
庭園
福寿会館
城の
城下町
鞆の浦
水野勝成が
編集部ガイド(見どころレビュー)
資料と確認した
こんな人におすすめ
新幹線の
ここを見ると面白い
いちばんの
訪ねる前に
天守は
楽しみかた
新幹線の
写真
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異説・未確認の点
- 北面の
鉄板の 目的に ついて、 公式は 「搦手 (城の 裏側)の 防御」、 福山市は 「縄張り上の 弱点だった 北側の 防備」 「大砲の 弾に 耐える ため」と説明している。 目的に ついては 異説も ある。 - 1966年の
再建天守は、 窓の 形や配置など 多くの 点で 焼失前と違っていた ため、 「復元天守」か 「復興天守」かで 見方が 分かれていた。 2022年に 北面の 鉄板・ 最上階の 窓・ 狭間が 外観復元 されたが、 すべてが 焼失前どおりに なったわけではない。 - 伏見櫓は
梁の 刻印で 伏見城からの 移築が確 かめられているが、 筋鉄御門・ 月見櫓・ 御湯殿の 伏見城からの 移築は 「伝わる」段階。 - 「天守の
壁一面に 鉄板を 張ったのは 福山城だけ」は、 福山市と福山城博物館の 説明に よる。 - 公園の
開園時間、 館内の 撮影ルール、 館内の 英語表示、 鞆の 浦までの 所要時間は 確認 できなかった。
出典
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