堀の水面に面した石垣と白い櫓(2022年10月撮影)。府内城では櫓の多くが戦後に外観を復元したもので、江戸時代から残るのは人質櫓と宗門櫓の2棟。
SuicasmoCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

大分県 · 大分市

大分府内城

ふないじょう

Funai Castle

大分県大分市

城平城日本100名城 92番

この城らしさ

「荷を落とす」と⁠いう地名をきらい、「荷揚(にあげ)⁠」⁠と⁠名を変えて建てた海辺の城。

なぜ?

城を建てた場所は、大分川の河口で船の荷を降ろしていたことから「荷落(におろし)⁠」⁠と⁠呼ばれていました。築城した福原直高はこの名をきらい、「荷揚城」と⁠名づけたと⁠大分市は説明しています。いまも城のある町の名前は「荷揚町」で、県庁や⁠市役所が並ぶ大分の中心になっています。[1][4]

見逃したくない3つ

01
西丸の櫓と宗門櫓、奥に東丸の着到櫓(2005年撮影)。宗門櫓は城の外から見ると平屋に見える低い櫓で、1859年に建て直された江戸時代の建物。ReggaemanCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

外からは平屋、中からは2階建ての宗門櫓

見る場所
城の南側、大手門の少し西。西丸の石垣の⁠角
注目する部分
堀の外から見た低い平屋の姿と、城の中から見たときに見える下の⁠階
ここが面白い
平らな土地に石垣を積んだ城なので、櫓の下に土台(櫓台)⁠を設けず、そのかわりに地下の階をつけたためにこう見えると⁠市は説明しています。いまの建物は大地震で倒れたあと⁠1859年に建て直されたもので、人質櫓とともに江戸時代から残る2棟のうちの1つです。[1][6]
見られるか
一部見られる外観はいつでも見られる。内部の公開は未確認。
02
本丸の人質櫓と天守台(2005年撮影)。人質櫓は1861年に建て直された江戸時代の櫓で、天守は1743年の大火で焼けたあと再建されなかった。ReggaemanCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

天守が消えた天守台と⁠人質櫓

見る場所
本丸(城の北東の中心部)
注目する部分
4重の天守がのっていた石の台と、すぐそばに立つ二重の人質櫓
ここが面白い
1602年に完成した4重の天守は、1743年の大火で焼けてから一度も建て⁠直されませんでした。人質櫓は1861年に建て直された江戸時代の櫓です。天守台の西の下には、工事を成しと⁠げるため人柱になった娘をまつったと⁠伝わる「お宮」の祠があります。[1][6]
見られるか
一部見られる城の外から天守台と⁠人質櫓を見られる。天守台の上に上がれるか、人質櫓の内部公開は未確認。
03
西丸と山里丸を結ぶ屋根つきの廊下橋(2005年撮影)。古い絵図をもとに1990年代に木造で復元された。ReggaemanCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

堀をまたぐ屋根つきの廊下橋

見る場所
西丸と⁠山里丸のあいだの⁠堀
注目する部分
白い壁と⁠屋根で囲われた木の橋。中を歩いて渡れる
ここが面白い
山里丸は茶の湯や能、月見を楽しんだ場所で、廊下橋はそこへ渡るための通路でした。古い絵図に描かれた大手門の廊下橋の形をもとに、1990年代に木造で復元されています。[1][4]
見られるか
外から見られる観光協会の案内では見学は8時〜18時ごろ。

訪問の目安

最寄り駅
JR大分駅から徒歩約15分
登り
登りなし
所要時間の目安編集部の目安
市の案内では、現地のウオーキングマップ⁠を使って40〜60分が目安
立入り
自由に見学できる

城跡(大分城址公園)⁠はいつでも見学できる。料金は無料。廊下橋の見学は8時〜18時ごろ。日本100名城スタンプ⁠は大手門の下にあり24時間押せる。

確認日:

この城の物語

01
史実

なぜ川の河口に城を建てたのか

1593年に豊後を治めていた大友氏が国を追われたあと、豊臣秀吉の命を受けた福原直高が1597年に新しい城を建てる場所を探し、大分川の河口の「荷落」を選びました。城は大分川と⁠住吉川にはさまれ、北は海に面していました。高低差がほとんどない平らな土地に、3つの大きな曲輪(くるわ)⁠と⁠4重の堀をめぐらせたのが特徴です。[1][2]

02
史実

2人の城主が2段階で築いた

福原直高は木材を土佐(いまの高知県)からも集め、1599年に本丸・二之丸・三之丸を完成させましたが、天守は未完成だったと⁠みられ、まもなく城を去りました。1601年に入った竹中重利は、徳川家康の許しを得て4重の天守や櫓、門、武家屋敷を造り、1602年に完成させました。石垣には加藤清正の石工を、建物には大坂や⁠伏見の大工や⁠瓦師を呼んだと⁠されます。[1]

03
史実

城と⁠町をいっしょにつくった

竹中重利は城の完成後、碁盤の目のように区切った城下町をつくり、1608年には船が出入りする⁠港「京泊」も設けました。いまの大分市の中心街のおおよその形はこのころにできたと市は説明しています。城主は竹中家のあと⁠日根野吉明に替わり、1658年からは松平(大給)家が幕末まで府内藩を治めました。[1][2][4]

04
史実

1743年の大火で天守を失う

1743年の大火で、天守をはじめ城の建物の多くが焼けました。天守はその⁠後建て⁠直されませんでした。1769年と⁠1854年の大地震でも建物が壊れ、宗門櫓は1859年、人質櫓は1861年に建て直されています。[1]

05
史実

空襲を越えて残った2棟

明治の終わりごろには外側と⁠内側の堀が埋め立てられ、いまは二之丸と⁠三之丸を分けていた堀が残ります。1945年の空襲では大手門などが焼けました。江戸時代の建物と⁠して残るのは人質櫓と⁠宗門櫓の2棟だけで、どちらも大分県の指定文化財(県史跡)です。[1][6]

06
史実

城址公園と⁠して整備し、調査を続ける

城跡は1966年に「城址公園」と⁠して整備され、同じ年に大手門が外観復元されました。1990年代には廊下橋が木造で復元されています。大分市は2017年度に「大分城址公園整備・活用基本計画」をつくり、城の昔の姿を明らかにするための文献調査報告書⁠を2020年から2023年に4冊刊行しました。[1][3]

この城の人びと

年表

  1. 福原直高が「荷落」で築城を始める[1]

  2. 竹中重利が4重の天守などを完成させる[1]

  3. 松平(大給)家が入り、幕末まで治める[2][4]

  4. 大火で天守など多くの建物が焼ける[1]

  5. 空襲で大手門などが焼ける[1]

  6. 城址公園と⁠して整備、大手門を外観復元[1]

建物と⁠遺構

天守の状態

天守は失われた

1602年に4重の天守が完成したが、1743年の大火で焼け、再建されなかった。天守台が残る。

城全体のいま

本丸・西丸・山里丸などが大分城址公園になっている。周りの三之丸の跡には大分県庁や⁠大分市役所が建ち、市の中心街の中にある。

主な建物

現存大分県指定史跡⁠の一部

人質櫓

1861年に建て直された江戸時代の二重櫓。[1][6]

現存大分県指定史跡⁠の一部

宗門櫓

1859年に建て直された江戸時代の櫓。外からは平屋、城内からは2階建てに見える。[1][6]

外観を復元

大手門(多聞櫓門)

1945年の空襲で焼失し、1966年に復元された。[1]

木造で復元

廊下橋

西丸と⁠山里丸を結ぶ。1990年代に古絵図をもとに木造で復元。[1][4]

外観を復元

二重櫓・着到櫓(東丸・西丸)

1960年代に外観を復元した櫓。[6]

現存しない

天守

1743年の大火で焼失。天守台のみ残る。[1]

基本データ

種類
城
地形による分類
平城平地に堀をめぐらせて築いた⁠城編集部記事
時代
近世編集部記事
天守の状態
天守は失われた天守はあったが、今は残っていない(天守台などが残る場合がある⁠)編集部記事
築城者
福原直高、竹中重利日本城郭協会
築城
慶長2年(1597)日本城郭協会
主な城主
福原氏、早川氏、竹中氏、日根野氏、松平氏日本城郭協会
廃城
1872年Wikipedia
見られる遺構
石垣・堀・櫓・櫓台・門・天守台・曲輪編集部記事
文化財指定
大分県指定史跡(石垣・土塀・堀・櫓)(1963年)⁠、大分市指定史跡(県指定以外の部分)編集部記事
名城選定
日本100名城 92番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡(大分城址公園)⁠はいつでも見学できる。料金は無料。廊下橋の見学は8時〜18時ごろ。日本100名城スタンプ⁠は大手門の下にあり24時間押せる。

住所

大分県大分市荷揚町4[4][1]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR大分駅JR日豊本線・久大本線・豊肥本線

徒歩約15分 · 登りなし

駅から北へ歩いて約15分。バスなら府内中央口(北口)6番のりばから萩原・高城・鶴崎方面行きで約6分、「大分市役所合同新聞社前」で降りて徒歩約1分。[1][4]

確認日: 2026-10-03

車・駐車場

大分ICから車で約20分。城跡に観光用の駐車場はないため、周辺の駐車場を使う。[1][4]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
いつでも見学できる(廊下橋は8時〜18時ごろ)[1][4]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安
市の案内では、現地のウオーキングマップ⁠を使って40〜60分が目安
階段・坂・足もと
高低差のほとんどない平らな城跡で、駅からも平坦な道。[1]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
大分市観光協会⁠の観光サイトに英語版がある。現地の英語表示は未確認。[4]
季節の楽しみ
3月下旬〜4月上旬⁠に桜が咲く。[1]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
確認した範囲で工事・立入制限のお知らせはなし。[1]確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

大分駅から歩いて行ける城を手軽に見たい人、天守のない城で石垣と⁠堀と⁠櫓をじっくり見たい人に向く。平らな城なので坂が苦手な人でも回りやすい。

ここを見ると⁠面白い

江戸時代から残る宗門櫓と⁠人質櫓の2棟がいちばんの見どころ。宗門櫓は堀の外と⁠城の中から⁠見比べると⁠高さの違いが分かる。そのうえで、戦後に復元した大手門や⁠二重櫓と⁠見比べると、本物と⁠復元の違いが見えてくる。

訪ねる前に

天守は1743年に焼けたまま再建されておらず、天守台だけが残る。大手門や⁠多くの櫓は戦後の外観復元。城跡は県庁や⁠市役所のすぐ隣で、観光用の駐車場はない。

楽しみかた

現地のウオーキングマップ⁠を手に、堀に沿って一周するのが分かりやすい。「荷揚町」と⁠いう地名や、かつて海に面していた北側の位置関係を意識して歩くと、ここが港を兼ねた城だったことが想像しやすい。春は堀ばたの桜もよい。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    府内城大分市教育委員会文化財課municipal確認日:
  2. 2
    府内城の藩主について教えてください大分市municipal確認日:
  3. 3
    府内城文献調査報告書大分市教育委員会文化財課municipal確認日:
  4. 4
    府内城跡おおいた市観光ナビ(大分市観光協会)tourism確認日:
  5. 5
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  6. 6
    府内城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  7. 7
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  8. 8
    Wikipedia「府内城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  9. 9
    Wikidata Q1142070Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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