南から見た古宮城跡のある宮山(2021年3月撮影)。森のふもとに見学の出入口になる白鳥神社の鳥居がある。
BaristonCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

愛知県 · 新城市

古宮城

ふるみやじょう

Furumiya Castle

愛知県新城市

城平山城続日本100名城 142番

この城らしさ

田んぼに囲まれた小さな丘が、巨大な堀切で東西まっぷたつに割られている。

なぜ?

古宮城は、武田信玄が徳川との領地の境に築いた城です。東西約200m・南北約150mの独立した丘の真ん中に南北へのびる大きな堀切を掘り、二つに分けた丘を一か所の土橋だけでつないでいます。まわりの田んぼは、かつて城を守った湿地の名残です。[1][2]

見逃したくない3つ

01

丘を断ち割る大堀切と⁠土橋

見る場所
城の中央。東側丘陵と⁠西側丘陵の⁠間
注目する部分
南北にのびる深い堀切と、そこに一本だけ架かる土橋
ここが面白い
西の丘に入った敵がいても、堀切の向こうの東の丘のほうが一段高いため、土塁の上から攻撃できました。中心へ進むには土橋や⁠櫓台、虎口を通る一本道しかなく、そのあいだずっと⁠上から攻撃を受け続ける仕組みだったと⁠市⁠は説明しています。[1][2]
見られるか
外から見られる見学路から見られる。通路以外には入らない。
02
杉林の中に残る虎口(城の出入口)と土塁(2021年3月撮影)。BaristonCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

主郭の両袖枡形虎口

見る場所
東側丘陵の主郭の正面入口。白鳥神社の脇の階段から登ってすぐ
注目する部分
左右の土塁が内側へ引っ込んだ四角い入口(両袖枡形)と、中で2回ゆるく曲がる通路
ここが面白い
敵を入口の前で足止めし、正面と⁠横から攻撃できる形です。戦国時代の武田氏の城に多く見られるため、古宮城の見どころの一つと⁠されています。[1][2]
見られるか
外から見られる見学路から見られる。
03
西側丘陵の主郭的な曲輪と丸馬出(2021年3月撮影)。BaristonCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

西側丘陵の迷路のような通路と⁠丸馬出

見る場所
西側丘陵
注目する部分
土塁と⁠堀で3回ほど折れ曲がる通路と、横堀に囲まれた西側の主郭的な曲輪(丸馬出)
ここが面白い
通路は土塁の上を歩かせるつくりで、攻める側は隠れる場所がありません。市は、丸馬出・両袖枡形虎口・横堀など、これまで徳川方や⁠武田方それぞれの特色と⁠されてきた形が一つの城に混ざっていることも古宮城の大きな特徴と⁠しています。[1][2]
見られるか
外から見られる見学路から見られる。

訪問の目安

最寄り駅
JR新城駅(バス)から
登り
少し登る
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと⁠回りするなら1時間前後が目安
料金
無料
時間
10:00〜15:00
立入り
一部のみ見学できる

敷地の多くは個人の土地で、地主の理解で自由に見学できる。白鳥神社からの出入口を必ず通り、通路以外に入らないこと。個人の家の敷地を近道に通らない。続日本100名城スタンプ⁠は城跡ではなく作手歴史民俗資料館⁠にある。

確認日:

この城の物語

01
史実

湿地に浮かぶ高原の⁠丘

古宮城は新城市の北西、標高約535mの作手(つくで⁠)高原の真ん中にある宮山と⁠いう独立した丘にあります。丘は西側を除く三方を泥炭の湿地に囲まれ、自然の守りになっていました。まわりには奥平氏や⁠武田氏にかかわる城跡がいくつも残っています。[1]

02
研究上の解釈

武田信玄が境目に築いた

1572年、この地を治めていた奥平定能が武田信玄から領地を認める約束を受けており、古宮城はそれ以降に信玄が築いたと⁠考えられています。城の設計(縄張り)⁠は武田家の重臣・馬場信春によるものと⁠伝わります。徳川との領地の境に置かれた、武田方の大事な拠点でした。[2][1]

03
伝承

奥平の寝返りと⁠「古宮城の戦い」

1573年に信玄が亡くなると、奥平定能・信昌の親子は徳川家康に通じ、居城の亀山城を出て武田方から離れました。武田軍が親子を追う混乱のすきに、援軍に来た徳川軍が手薄になった古宮城を攻め、城の武田軍は城を焼いて退いたと⁠伝えられています。[2][1]

04
研究上の解釈

長篠の戦いのあと⁠役目を終える

1575年の記録から、このころも城は残っていたと⁠考えられています。しかし同じ年の長篠・設楽原の戦いで武田勝頼が織田・徳川連合軍に敗れ、この地域は徳川の支配が強まって、古宮城は武田の拠点と⁠しての役目を失っていったと⁠みられます。いつ廃城になったかははっきりしていません。[2][1]

05
史実

地元が守ってきた、ほぼ完全な土の⁠城

城跡は公園と⁠しての整備はされていない山林で、発掘調査も⁠行われていません。それでも地域の人たちが大切に守ってきたため、土塁や⁠堀などの戦国時代の遺構がほぼ完全に残っています。2017年に続日本100名城⁠に選ばれ、2018年に市の史跡になりました。敷地の多くは個人の土地で、地主の理解によって自由に見学できます。[1][2]

この城の人びと

年表

  1. この年以降

    武田信玄が古宮城を築く[2][1]

  2. 奥平親子が武田方を離れ、徳川軍が古宮城を攻めたと⁠伝わる(古宮城の戦い⁠)[2][1]

  3. 長篠・設楽原の戦いで武田勝頼が敗れ、城は拠点と⁠しての役目を失っていく[2][1]

  4. 続日本100名城⁠に選ばれる[2]

  5. 新城市の史跡に指定[1][2]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

戦国時代の土づくりの城で、天守はもともとない。

城全体のいま

杉などの山林で、公園と⁠しての整備はされていない。南側に白鳥神社がある。敷地の多くは個人の土地。

主な建物

跡地のみ

大堀切・土橋

丘を東西に分ける南北方向の堀切と、両側をつなぐ一か所の土橋。[1]

跡地のみ

両袖枡形虎口

東側丘陵の主郭の正面入口。[1][2]

跡地のみ

丸馬出・横堀

西側丘陵の主郭的な曲輪と⁠それを囲む横堀。[1][2]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
武田信玄日本城郭協会
築城
元亀2年(1571)日本城郭協会
主な城主
小幡余一、小林与兵衛尉ら日本城郭協会
廃城
天正3年(1575年)Wikipedia
見られる遺構
土塁・曲輪・堀・竪堀・虎口編集部記事
文化財指定
新城市指定史跡(古宮城跡)(2018年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 142番日本城郭協会

旅の情報

立入り

一部のみ見学できる

敷地の多くは個人の土地で、地主の理解で自由に見学できる。白鳥神社からの出入口を必ず通り、通路以外に入らないこと。個人の家の敷地を近道に通らない。続日本100名城スタンプ⁠は城跡ではなく作手歴史民俗資料館⁠にある。

住所

愛知県新城市作手清岳字宮山地内(白鳥神社のある丘)[1]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR新城駅(バス)JR飯田線

少し登る

2019年の市のパンフレットでは、新城栄町から市営バス作手高里線で「鴨ヶ谷口」下車、徒歩約10分。作手には鉄道がなく、バスの路線名や⁠時刻は変わっている可能性があるので事前に確認を。[2][3]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

作手歴史民俗資料館(続日本100名城スタンプ)
時間
10:00〜15:00
休館・休み
火曜(祝休日のときは次の平日。夏休み期間は開館)⁠、年末年始(12月29日〜1月3日)
料金
無料[3]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

新東名高速道路⁠の新城ICから国道151号・301号を通って約40分。[2]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと⁠回りするなら1時間前後が目安
階段・坂・足もと
比高約25mの丘で、土の道と⁠階段、堀と⁠土塁の上り下りがある。[1]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
英語の案内は未確認。
季節の楽しみ
未確認
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
遺構や⁠草花が踏み荒らされる被害が出ているため、市は通路以外に入らないよう呼びかけている。[1]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

博物館

作手歴史民俗資料館

続日本100名城スタンプ⁠が置かれた無料の資料館。奥平氏の居城・亀山城跡の模型など、作手の歴史と⁠自然を紹介している。市の地図の位置で比べると、古宮城跡から北西へ直線で約650m。[3][1]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

武田の城づくりが好きな人、土塁と⁠堀だけで組み立てた城の守りを体で感じたい人、静かな山の城跡を歩きたい人に向く。

ここを見ると⁠面白い

まず大堀切の深さと、東の丘が西より一段高いことを確かめたい。そのうえで、両袖枡形虎口や⁠西の丘の折れ曲がる通路を歩くと、攻める側がどこから狙われたかが見えてくる。

訪ねる前に

城跡の多くは個人の土地で、地主の理解で見学できる。白鳥神社から出入りし、通路の外や⁠民家の敷地に入らない。公園と⁠しての整備はなく、トイレの有無も確認できなかった。スタンプは作手歴史民俗資料館(火曜休館)⁠にある。

楽しみかた

市の解説では、西の丘は迷路のようで、一本道で敵を一列に並ばせ、四方から矢を射かけられるつくりと⁠される。自分が攻め手になったつもりで通路をたどると、守りの工夫がよく分かる。

訪問者レビュー

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評価

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    古宮城跡新城市municipal確認日:
  2. 2
    古宮城跡解説パンフレット(2019年)新城市municipal確認日:
  3. 3
    作手歴史民俗資料館新城市municipal確認日:
  4. 4
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  5. 5
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  6. 6
    Wikipedia「古宮城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  7. 7
    Wikidata Q11411030Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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