紅葉の岩櫃山と、ふもとの町並み(2020年11月撮影)。岩肌がむき出しの山頂(標高802.6m)の下、東側の中腹に岩櫃城があった。
Koda6029CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

群馬県 · 東吾妻町

岩櫃城

いわびつじょう

Iwabitsu Castle

群馬県東吾妻町

城山城続日本100名城 119番

この城らしさ

岩肌むき出しの岩櫃山の中腹に、武田勝頼を迎えるため真田昌幸がわずか3日で御殿を造らせたと⁠伝わる城がある。

なぜ?

1582年、織田・徳川の大軍に攻められた武田勝頼に、⁠真田昌幸は岩櫃城で武田を立て直すよう勧めました。昌幸は急いで戻り、山の南のふもとに勝頼を迎える御殿を3日で造らせたと町は伝えています。しかし勝頼は岩櫃へ向かわず、天目山で自害しました。御殿の跡は潜龍院跡と⁠して残っています。[2]

見逃したくない3つ

01
紅葉に囲まれた「岩櫃城本丸址」の標柱と説明板(2020年11月撮影)。Koda6029CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

岩櫃城本丸址

見る場所
平沢登山口から尾根通りを登った、標高593mの本丸址
注目する部分
東西約140m・南北約35mの細長い本丸と、25m×15mの建物の土台のような⁠跡
ここが面白い
この土台は、見張り台と⁠指揮所を兼ねた城の中心部の跡と⁠考えられています。本丸から東へのびる4本の尾根に曲輪(くるわ:城の区画)⁠が広がり、町は群馬県内の中世の城でも最大級の規模だと⁠説明しています。[2][3]
見られるか
外から見られる登山道を歩いて行く。⁠冬(12月〜3月)⁠は登山の自粛が⁠呼びかけられている。
02
岩櫃城跡の堀(2006年撮影)。尾根を断ち切るように深い堀が残る。前田左衛門佐Public domainWikimedia Commons

本丸下の長大な竪堀

見る場所
本丸の下。尾根通りの途中
注目する部分
斜面をまっすぐ下る幅の広い竪堀(たてぼり:斜面を縦に掘った堀)と、鉤の⁠手(かぎのて)⁠に折れ曲がる⁠堀
ここが面白い
竪堀は、斜面を横に回り込む敵の動きを止めるための堀です。折れを設けた堀は守りの力が高いと⁠町は説明しています。建物は⁠残っていませんが、こうした堀や⁠曲輪が当時のまま残っていることが、国の史跡に指定された理由の一つです。[2]
見られるか
外から見られる登山道から見られる。
03

勝頼を迎えようとした御殿の跡・潜龍院跡

見る場所
岩櫃山の南側、赤岩登山口の近く
注目する部分
芝地に残る石垣と、正面にそびえる岩櫃山の岩壁
ここが面白い
真田昌幸が武田勝頼を迎えるため3日で造らせたと⁠伝わる御殿の跡です。勝頼は来ないまま亡くなり、御殿は昌幸の一族の根津氏が「潜龍院」と⁠して守って明治に至りました。明治17年(1884年)にはその護摩堂が原町の顕徳寺の本堂になったと町は紹介しています。[2][3]
見られるか
外から見られる赤岩通りの登山口近くにある。

訪問の目安

最寄り駅
JR群馬原町駅から徒歩約40分
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
平沢登山口から本丸址まで往復するだけなら1時間ほど、山頂まで回るなら町の地図どおり2時間〜2時間半⁠が目安
料金
無料
時間
9:00〜16:00(4月〜11月)
立入り
自由に見学できる

城跡へは登山道を歩いて行く。12月1日〜3月31日⁠は登山の自粛が⁠呼びかけられている。続日本100名城スタンプは、4月1日〜11月30日⁠は平沢登山口観光案内所(9:00〜16:00)⁠、12月1日〜3月31日⁠は東吾妻町観光協会(9:00〜17:00)⁠にある。年末年始は押せない。

確認日:

この城の物語

01
研究上の解釈

岩の山の東の中腹に広がる山城

岩櫃城は、標高802.6mの岩櫃山の東側の中腹に築かれた山城です。岩櫃山の南の正面は⁠高⁠さ約200mの断崖です。城は山頂から約200m下がったところに本丸・二の丸・中城を置き、南の切沢の谷や⁠山すその斜面、吾妻川を自然の堀と⁠して使ったと⁠考えられています。城下町まで取り込んだ大きく複雑な造りです。[2][4][1]

02
史実

築城は不明、最初の城主は吾妻太郎

いつ誰が築いたかは⁠分かっていませんが、中世に⁠築かれたとされます。記録に最初に出てくる城主は、南北朝時代(1336〜1392年)⁠の吾妻太郎行盛です。戦国時代には斎藤氏がこの城を本拠に東吾妻を治めました。[2][3]

03
史実

武田方の真田幸綱が攻め落とす

1563年、武田信玄の命を受けた家臣の真田幸綱(幸隆)⁠が岩櫃城を攻めました。城主の斎藤憲広はけわしい城を生かして戦いましたが、ついに落城しました。その後、東吾妻は武田氏、続いて真田氏の支配地と⁠なり、岩櫃城は上田城と⁠沼田城を結ぶ真田道の中間の拠点と⁠して重く見られました。[2][3]

04
伝承

勝頼を迎えようとした⁠城

1582年、織田・徳川の連合軍に攻められた武田勝頼に、⁠真田昌幸は岩櫃城で再起を図るよう勧め、勝頼を迎える御殿を急いで造らせたと⁠伝わります。勝頼は岩櫃に来ることなく天目山で自害し、もし来ていれば歴史は⁠変わっていたかもしれない城と⁠して語られています。[2]

05
史実

一国一城令で壊された

1590年に北条氏が滅びると、昌幸の長男の信幸が沼田城主と⁠なり、岩櫃城はその支城と⁠して吾妻郡を治める中心になりました。関ヶ原の戦い(1600年)⁠のあとも信幸方の城でしたが、1615年に徳川幕府の一国一城令で壊され、役目を終えました。建物は⁠残りませんでしたが、曲輪や堀は今もよく残っています。[2][3]

06
史実

2019年に国の史跡に

2019年10月16日、岩櫃城跡は国の史跡に指定されました。指定面積は約21ヘクタールです。国は、武田氏・北条氏・上杉氏が争った境目の城で、城下町を取り込む大きく複雑な造りが東国の戦国時代を考えるうえで極めて重要だと⁠評価しています。[1][2]

この城の人びと

年表

  1. 真田幸綱(幸隆)⁠が岩櫃城を攻め落とす[2][3]

  2. 真田昌幸が武田勝頼を迎える御殿を造らせたと⁠伝わる[2]

  3. 北条氏が滅び、沼田の支城と⁠して吾妻郡支配の中心に[2]

  4. 一国一城令で破却される[2][3]

  5. 続日本100名城(117番)⁠に選ばれる[8]

  6. 国の史跡に指定される(約21ha)[1][2]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

戦国時代の山城で、天守はない(城郭協会の一覧でも天守は「−」)⁠。

城全体のいま

岩櫃山の中腹の山林に、曲輪や⁠堀が残る。建物はない。登山道が城跡を通り、山頂へ続いている。

主な建物

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世・近世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城
不明日本城郭協会
主な城主
斎藤氏、武田氏、⁠真田氏日本城郭協会
見られる遺構
曲輪・土塁・竪堀・堀・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(岩櫃城跡)(2019年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 119番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡へは登山道を歩いて行く。12月1日〜3月31日⁠は登山の自粛が⁠呼びかけられている。続日本100名城スタンプは、4月1日〜11月30日⁠は平沢登山口観光案内所(9:00〜16:00)⁠、12月1日〜3月31日⁠は東吾妻町観光協会(9:00〜17:00)⁠にある。年末年始は押せない。

住所

群馬県吾妻郡東吾妻町原町(平沢登山口観光案内所: 原町1965-2)[5][6]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR群馬原町駅JR吾妻線

徒歩約40分 · 急⁠な登り

平沢登山口まで徒歩約40分(坂道)⁠、タクシーなら約10分。バスはなく、駅にタクシーは常駐していない。登山口から先は登山道。[5][6]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

岩櫃山平沢登山口観光案内所
時間
9:00〜16:00(4月〜11月)
休館・休み
12月〜3月は休館
料金
無料[6][7]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

関越自動車道の渋川伊香保ICから約50分。平沢登山口に駐車場(70台、大型可)⁠と⁠トイレがある。[4][6]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
時間の決まりは確認できなかった。12月1日〜3月31日⁠は登山自粛[7]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
平沢登山口から本丸址まで往復するだけなら1時間ほど、山頂まで回るなら町の地図どおり2時間〜2時間半⁠が目安
階段・坂・足もと
城跡までは土の登山道で、尾根通り・沢通りなど複数のルートがある。山頂へは鎖場・岩場・⁠はしごがあり、町は登山に適した服装と⁠トレッキングシューズ⁠や登山靴をすすめている。天狗の架け橋は迂回路を通ること。南側のJR郷原駅(無人駅)からも登山道がある。[4][5]
車椅子・ベビーカー
山道のため車いすでの見学は難しい(公式のバリアフリー情報⁠は未確認)確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
平沢登山口にトイレがある。[4]
英語案内・音声ガイド
未確認
季節の楽しみ
毎年11月3日に平沢地区の登山口で紅葉祭が開かれる。春の新緑、秋の紅葉の季節に登山者が多い。[5][4]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
12月1日〜3月31日⁠は登山自粛。平沢登山口観光案内所⁠もこの間は休館し、スタンプは東吾妻町観光協会⁠へ移る。[7][9]確認日: 2026-10-03

歩きかたの⁠例

岩櫃山往復コース(約2時間) 120分

  1. 平沢登山口(駐車場・案内所)から尾根通り分岐へ
  2. 本丸址分岐から沢通りを櫃の口・九合目へ
  3. 鎖場を越えて岩櫃山山頂(802.6m)
  4. 九合目・櫃の口へ戻り、尾根通りへ
  5. 赤岩通⁠り分岐から岩櫃城本丸址へ
  6. 尾根通り分岐を経て平沢登山口へ戻る

東吾妻町のガイドマップのおすすめコース(難易度★★)⁠。山頂付近に鎖場・岩場があり、天狗の架け橋は迂回路を通る。12月〜3月は登山自粛。

城址と⁠岩櫃山コース(約2時間30分) 150分

  1. 平沢登山口から尾根通り分岐を経て岩櫃城本丸址へ
  2. 赤岩通⁠り分岐から十二様通りを下り、郷原城跡・潜龍院跡へ
  3. 古谷T字路から密岩登山口へ
  4. 密岩通りで尾根鞍部・天狗の架け橋(迂回路)⁠・鷹の巣岩陰遺跡を経て岩櫃山山頂へ
  5. 九合目・櫃の口から沢通りで本丸址分岐へ
  6. 尾根通り分岐を経て平沢登山口へ戻る

東吾妻町のガイドマップのおすすめコース(難易度★★★)⁠。密岩通りはいちばん険しい上級者向けのルートで、鎖場や⁠岩場がある。

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

山歩きをしながら戦国の山城の堀や⁠曲輪を見たい人、⁠真田氏の歴史が好きな人に向く。山頂まで行くなら、鎖場のある登山に慣れた人向き。

ここを見ると⁠面白い

本丸址の大きな平場と⁠建物の土台の跡、本丸下の長い竪堀。時間があれば南側の潜龍院跡で、勝頼を迎えようとした話を思い浮かべたい。

訪ねる前に

城跡も山の中で、建物はない。⁠冬(12月〜3月)⁠は登山自粛。駅からはバスがなく、駅にタクシーも常駐していないので、帰りの足を考えておくこと。歩きやすい靴と⁠服装で。

楽しみかた

平沢登山口の案内所で地図と⁠パンフレットをもらってから歩き出すと⁠よい。11月3日の紅葉祭のころは山も色づく。上田城と⁠沼田城を結ぶ真田の道の中間にある城なので、名胡桃城・沼田城と⁠あわせてめぐると真田氏の勢力の広がりが見えてくる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    国指定文化財等データベース岩櫃城跡文化庁heritage確認日:
  2. 2
    国指定史跡岩櫃城跡(パンフレット)東吾妻町・東吾妻町観光協会municipal確認日:
  3. 3
    岩櫃城跡(東国文化の拠点と⁠して栄えた東吾妻町)東吾妻町municipal確認日:
  4. 4
    岩櫃山周辺ガイドマップ東吾妻町・東吾妻町観光協会municipal確認日:
  5. 5
    岩櫃山東吾妻町(岩櫃公式サイト)municipal確認日:
  6. 6
    岩櫃山平沢登山口観光案内所群馬県観光物産国際協会(心にググっと⁠観光ぐんま)tourism確認日:
  7. 7
    続日本100名城東吾妻町観光ガイド(スタンプ設置場所)東吾妻町観光協会tourism確認日:
  8. 8
    続日本100名城一覧(117 岩櫃城)公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    スタンプ設置場所などの変更一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  11. 11
    Wikipedia「岩櫃城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  12. 12
    Wikidata Q2968290Wikidatawikidata確認日:
  13. 13
    OpenStreetMap node/10234977244© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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