本丸から見下ろした木曽川と八百津町の集落(2021年11月撮影)。城は川を見張る古城山の頂にある。
先従隗始CC0Wikimedia Commons

岐阜県 · 可児市

美濃金山城

かねやまじょう

Kaneyama Castle

岐阜県可児市

城山城続日本100名城 154番

この城らしさ

関ヶ原のあとにわざと⁠壊された石垣が、壊されたときの姿のまま400年残っている。

なぜ?

城は1601年ごろ、二度と⁠使えないように「破城」されました。石垣のいちばん上の石や⁠角の石が落とされ、場所によって壊し方も違います。その後ほとんど手が⁠加えられていないため、破城のようすがよく分かる珍しい城跡と⁠して国の史跡になりました。[1][2][3]

見逃したくない3つ

01
天守台の南西の角の石垣(2021年11月撮影)。城内の石垣には、1601年ごろの破城で壊された跡が各所に残る。先従隗始CC0Wikimedia Commons

破城のあとが残る石垣

見る場所
本丸の天守台まわり、左近屋敷の北側など
注目する部分
いちばん上の⁠石(天端)⁠や⁠角の石が落とされた石垣
ここが面白い
城の役目を終わらせるため、わざと⁠石垣を壊しました。可児市は、破城されたまま良い状態で残る城は東海地方ではあまり例がないと⁠しています。[2][3][4]
見られるか
外から見られる城跡は自由に見学できる。石垣は崩れやすいので足をかけないこと。立入禁止の場所がある。
02
南東から見た山頂の本丸跡(2021年11月撮影)。天守があったと考えられている場所。先従隗始CC0Wikimedia Commons

岩山を削った「岩の要塞」

見る場所
三の丸の虎口や⁠本丸の周り
注目する部分
加工した岩盤と、石垣が一体になって壁をつくっているところ
ここが面白い
古城山はチャートと⁠いう硬い石の岩山で、石垣の石を取るだけでなく、岩盤そのものを削って壁にしていました。いまは木に⁠包まれていますが、城があったころは岩の要塞のように見えたと⁠考えられています。[3][4]
見られるか
外から見られる自由に見学できる。
03
上から見た大手枡形(2011年2月撮影)。左が大手門跡、右下が二の門跡。ペ有家音CC0Wikimedia Commons

門の礎石が残る枡形虎口

見る場所
二の丸と⁠本丸の⁠間
注目する部分
三方を石垣で囲んだ四角い入口と、門の柱の礎石(本柱と⁠控柱)
ここが面白い
敵を四角い空間に閉じこめて攻撃するための入口です。石垣・礎石・瓦と⁠いう、織田信長・豊臣秀吉の時代の⁠城(織豊系城郭)⁠の特徴がそろって見られる場所のひとつです。[4][2]
見られるか
外から見られる自由に見学できる。

訪問の目安

最寄り駅
名鉄明智駅から
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
出丸から本丸まで往復と⁠見学で1時間半ほど、ミュージアムも見るなら2時間〜2時間半⁠が目安
料金
一般210円、団体(20名以上⁠)150円、高校生以下は無料。障がい者手帳などをお持ちの方と⁠付き添い1名は無料。市内3館から2館を選べる共通券310円
時間
9:00〜16:30(入館は16:00まで⁠)
立入り
自由に見学できる

城跡は自由に見学できる。危険なため立入禁止の場所があり、石垣には足をかけないこと。

確認日:

この城の物語

01
史実

木曽川を見下ろす古城山⁠に

城は、木曽川の南岸にある古城山(標高276m、ふもとの町との高さの差は約170m)⁠の上にあります。1537年に斎藤大納言正義(妙春)⁠が築き、はじめは烏峰城(うほうじょう⁠)⁠と呼ばれました。ふもとの兼山は、街道と⁠木曽川の舟運が交わる、交通と⁠物流の拠点でした。[2][3][4]

02
史実

森氏の城、35年

1565年、織田信長が東美濃に攻め入ると、この城は家臣の森可成に与えられ、名前が金山城に改められました。可成が1570年に戦死すると⁠13歳の長可が城主と⁠なり、その後、乱丸(蘭丸)⁠、忠政と、35年間森氏の城でした。[2][4]

03
史実

東美濃をおさえる拠点

森氏の時代、金山城は信長が信濃へにらみをきかせる中継点と⁠なり、豊臣政権のもとでは東美濃を治める拠点でした。山頂の本丸を中心に、東西南北に曲輪(くるわ。城の区画)⁠が並び、礎石の上に建物が建ち、一部は瓦葺きでした。[3]

04
史実

関ヶ原のあとの破城

1600年に森忠政が信濃の川中島へ移ると、城は犬山城主の領地になりました。関ヶ原の戦いのあと、1601年ごろに犬山城主・小笠原吉次によって城は壊されました。その⁠後この地は尾張藩の領地と⁠なり、名前も「兼山」に変わって、木曽川の川湊の町と⁠して栄えました。[2][4]

05
史実

国史跡と⁠発掘調査

城跡は1963年に兼山町、1967年に岐阜県の史跡になり、2013年10月17日⁠に国の史跡に指定されました。2006年度から令和にかけて9回の発掘調査が行われ、瓦や⁠陶磁器、古銭などが⁠見つかっています。ふもとの戦国山城ミュージアムでは、城と⁠森氏、市内の山城について紹介しています。[1][2][3][5]

この城の人びと

年表

  1. 斎藤大納言正義(妙春)⁠が烏峰城を築く[2][4]

  2. 森可成が城主と⁠なり、金山城と⁠改める[2][4]

  3. 可成が戦死し、13歳の長可が城主に[2]

  4. 長可が川中島へ移り、乱丸が金山の領主に[2][4]

  5. 忠政が川中島へ移り、犬山城主の領地に[2]

  6. ごろ

    小笠原吉次によって破城される[2][3]

  7. 国の史跡に指定[1]

建物と⁠遺構

天守の状態

天守は失われた

本丸に天守があったと⁠考えられている(天守台の石垣が残る)⁠。建物は1600〜1601年ごろまでに解体・破城され、再建はされていない。

城全体のいま

古城山全体が木に包まれた城跡で、建物はない。出丸に駐車場と⁠トイレがあり、ふもとに蘭丸ふるさとの⁠森(公園)⁠と⁠戦国山城ミュージアム⁠がある。

主な建物

跡地のみ

天守台

本丸に石垣が残る。破城で壊された跡がある。[4][3]

移築して現存

大手枡形の二の⁠門

犬山へ⁠移されたのち犬山市⁠の瑞泉寺にあり、2025年に戦国山城ミュージアム⁠へ⁠移されたとされる(市の公式資料では未確認)⁠。[6]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世・近世編集部記事
天守の状態
天守は失われた天守はあったが、今は残っていない(天守台などが残る場合がある⁠)編集部記事
築城者
斎藤妙春日本城郭協会
築城
天文6年(1537)日本城郭協会
主な城主
森氏日本城郭協会
廃城
慶長5年(1600年)Wikipedia
見られる遺構
門・石垣・土塁・堀・井戸・曲輪・虎口・天守台編集部記事
文化財指定
国史跡(美濃金山城跡)(2013年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 154番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は自由に見学できる。危険なため立入禁止の場所があり、石垣には足をかけないこと。

住所

岐阜県可児市兼山(古城山)⁠。戦国山城ミュージアム⁠は〒505-0130 可児市兼山675-1[1][5]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

名鉄明智駅名鉄広見線

急な登り

明智駅からYAOバスで「元役場前」下車、戦国山城ミュージアムまで徒歩1分。城跡は山の上で、出丸から本丸(山頂)まで約30分。[7][4]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

可児市戦国山城ミュージアム
時間
9:00〜16:30(入館は16:00まで⁠)
休館・休み
月曜(祝日の場合は開館)⁠、祝日の翌日、年末年始
料金
一般210円、団体(20名以上⁠)150円、高校生以下は無料。障がい者手帳などをお持ちの方と⁠付き添い1名は無料。市内3館から2館を選べる共通券310円[5]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

東海環状道可児御嵩ICから戦国山城ミュージアムまで約10分、中央道土岐ICから約30分。城跡の出丸に駐車場がある。[7][4]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
出丸から本丸まで往復と⁠見学で1時間半ほど、ミュージアムも見るなら2時間〜2時間半⁠が目安
階段・坂・足もと
山登りになる。運動靴・タオル・水筒、夏は虫よけを、と⁠市が案内している。出丸(駐車場)から本丸(頂上)まで約30分。[4]
車椅子・ベビーカー
山城のため、城跡はバリアフリーではない。[4]確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
出丸の駐車場近くと、ふもとの蘭丸ふるさとの森にある[4]
英語案内・音声ガイド
未確認
季節の楽しみ
ふもとの蘭丸ふるさとの森は桜の公園と⁠して市のパンフレットに描かれている。見ごろの時期は未確認。[4]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
立入禁止の場所(パンフレットで×印)には入らないこと。[4]確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

建物のない山城跡で、石垣や⁠地形をじっくり⁠読みたい人、森蘭丸⁠ら森一族⁠に興味がある人に向く。

ここを見ると⁠面白い

いちばんの見どころは、壊されたまま残る石垣。角の石がない、上の段がない、と⁠いった「壊し方」を探しながら歩くと⁠面白い。岩盤と⁠石垣が一体になった壁も見たい。

訪ねる前に

城跡に建物はなく、山道を歩く。駅からは遠いので車かバスで。石垣は崩れやすく、立入禁止の場所もある。

楽しみかた

先にふもとの戦国山城ミュージアム⁠で城と⁠森氏の歴史を見てから登ると、どこに何があったかが分かりやすい。山頂の本丸からは木曽川と⁠美濃の町が見渡せる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    美濃金山城跡が国史跡に指定可児市municipal確認日:
  2. 2
    美濃金山城跡の発掘調査について可児市municipal確認日:
  3. 3
    「美濃金山城跡」の国史跡答申について(報道発表資料 PDF)可児市教育委員会municipal確認日:
  4. 4
    美濃金山城跡見学用パンフレット(2020年第5版 PDF)可児市municipal確認日:
  5. 5
    戦国山城ミュージアム⁠ご利用案内可児市municipal確認日:
  6. 6
    金山城 (美濃国)(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  7. 7
    戦国山城ミュージアム交通アクセス可児市municipal確認日:
  8. 8
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    Wikipedia「金山城 (美濃国)⁠」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  11. 11
    Wikidata Q11646975Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

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