基山の山頂付近に残る土塁(2012年8月撮影)。草におおわれた斜面の上に、さらに土を盛っている。
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佐賀県 · 基山町

基肄城

きいじょう

Kii Castle

佐賀県基山町

古代山城山城続日本100名城 184番

この城らしさ

大宰府の南の守りと⁠して665年に築かれた古代の山城。基山の谷をふさぐ石塁には、同じ石垣に4つも水の通り道が開いている。

なぜ?

基肄城は、近世の城とはまったく成り立ちの違う7世紀の古代山城です。山の尾根に土塁、谷に石塁をめぐらせて城壁にしました。基山町の石垣修理で、知られていた水門のほかに3つの通水溝が見つかり、一つの石塁に排水の仕組みが4つある珍しい例と⁠分かりました。[1][2]

見逃したくない3つ

01
谷をふさぐ石塁に開けられた水門(2012年8月撮影)。奥の右寄りに南門跡がある。基山町が2010年度から行った石垣の積み直し・調査の期間中の写真。WxrxCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

水門跡・南門跡の石塁

見る場所
城の南側、谷をふさぐ石塁。城跡見学の入口にあたる
注目する部分
長さ26mほどの石塁と、その途中に開いた水門の⁠口
ここが面白い
谷を流れる川の水を城の外へ逃がすための仕組みです。2010年度からの積み直しと⁠調査で、ほかに3つの通水溝が見つかり、同じ石塁に計4つの排水施設があったと⁠分かりました。基山町は全国的にも珍しい例と⁠説明しています。南門は⁠残っていませんが、水門の東側の舗装道路のあたりにあったと⁠考えられています。[2][1]
見られるか
外から見られる屋外で見られる。
02

大礎石群と⁠倉庫の⁠跡

見る場所
城内の尾根。城内を見渡せる場所
注目する部分
花崗岩の礎石が10間×3間(約28m×9m)⁠に並ぶ建物跡
ここが面白い
城内では約40棟の建物跡が見つかり、ほとんどは武器や⁠食料をしまう倉庫と⁠考えられています。多くは5間×3間ですが、大礎石群の建物だけは特に大きく、特別な役割の建物だったと⁠推測されています。約1360年前⁠の本物の礎石がよく残っています。[3][1]
見られるか
外から見られる山道を歩いて見に行く。
03
基山の山頂(2012年8月撮影)。中央が「タマタマ石」、左奥が1933年建立の天智天皇欽仰之碑。WxrxCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

基山山頂からのなが⁠め

見る場所
基山の頂上(標高約405m)
注目する部分
南の有明海や⁠雲仙方面、東の耳納連山まで広がる景色と、山頂の台地を囲む空堀
ここが面白い
大宰府の南を見張るのにふさわしい場所だと⁠実感できます。山頂の台地は、中世に基肄城が「木山城」と⁠して再び使われたときの中心部と⁠推定されています。南の端の巨石「タマタマ石」は、ふもとの荒穂神社がかつてここにあったころの磐座(神が宿る岩)⁠と⁠伝わります。[4]
見られるか
外から見られる山頂まで歩いて登る。

訪問の目安

最寄り駅
JR基山駅から徒歩約50分
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
駐車場から水門・大礎石群・山頂をめぐるなら2〜3時間が目安
立入り
自由に見学できる

山の中の史跡で、山道を歩いて見て回る。ふもとの関屋土塁は主要部が消えて会社の敷地内に標柱があるだけで、見学には向かない。

確認日:

この城の物語

01
史実

大宰府の南の守り

基山は大宰府の南約8kmにある山で、ふもとを大宰府から南へ向かう古代の官道が通っていました。北の大野城と⁠南北に向かい合い、大宰府を守るために築かれたと国の解説は説明しています。山頂からは北の博多湾から南の有明海まで見渡せます。[5][4][8]

02
史実

白村江の敗戦と⁠百済の技術

663年、⁠倭(当時の日本)⁠は朝鮮半島の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗しました。⁠攻めてくるかもしれない相手に備え、665年、百済の高官の指揮で大野城とともに基肄城が築かれたと⁠『日本書紀』にあります。基山町は、文献で築かれた時期と⁠背景が分かる日本で最初の本格的な朝鮮式山城と⁠説明しています。[3][1][8]

03
史実

谷を囲む4kmの城壁

基肄城は、基山と⁠その東の⁠峰(327m)⁠にかけて谷を囲み、約4kmの土塁と⁠石塁で城壁をつくっています。尾根には土を盛った土塁、谷には石を積んだ石塁を築き、途中に4か⁠所(推定を含む)⁠の門を置きました。城の中には倉庫と⁠考えられる約40棟の建物がありました。[1][3]

04
研究上の解釈

中世の「木山城」と⁠して再利用

中世になると、古代の基肄城を利用して山城「木山城」が築かれました。いつ、誰が築いたかは⁠分かっていませんが、山頂の堀に囲まれた台地や、土塁を4か所溝のように掘り切った「いものがんぎ」は、このときのものと⁠考えられています。[1][4]

05
史実

残る土塁・石塁・礎石

木の建物はすべて失われましたが、土塁、谷の石塁と⁠水門、北帝門・東北門の門跡、建物の礎石などが山の中に残っています。東北門は土塁を幅2.7mほど切り開いた門で、江戸時代には萩原へ向かう近道「萩原越え」と⁠して⁠使われていました。[5][6][7]

06
史実

佐賀県で最初の特別史跡

1937年に国の史跡、1954年に佐賀県で最初の国の特別史跡に指定されました。2008年には東南門跡へ向かう通路の土塁が追加で指定されています。2010年度から水門の石垣の積み直しが行われ、2017年には続日本100名城(184番)⁠に選ばれました。[1][5][2][9]

この城の人びと

年表

  1. 白村江の戦いで唐・新羅軍に大敗[1][3]

  2. 大野城とともに基肄城を築く(『日本書紀』)[1][5]

  3. 国の史跡に指定[1][5]

  4. 佐賀県で最初の国の特別史跡に[1]

  5. 水門の石塁で新たに3つの通水溝を発見(2012年度)[2]

  6. 続日本100名城⁠に選定[9]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

7世紀の古代山城で、天守はもともとない(城郭協会の一覧でも天守は「−」)⁠。近世の城とは成り立ちがまったく違う。

城全体のいま

基山の山中に遺構が残り、山道で歩いて見て回る。城跡は佐賀県基山町と⁠福岡県筑紫野市⁠にまたがり、筑紫野市側(北側)では東北門・北帝門と⁠土塁線が見られる。

主な建物

現存

水門と⁠石塁

長さ約26mの石塁。2010年度から解体・積み直しの保存修理を行った。[2]

跡地のみ

城門(北帝門・東北門・南門・東南門)

4か⁠所(推定を含む)⁠。東北門には門柱の基礎石が残る。[1][6]

跡地のみ

礎石建物群

約40棟。多くは倉庫と⁠考えられ、礎石だけが残る。[1][3]

基本データ

種類
古代山城7世紀ごろ、大陸からの侵攻に備えて西日本に築かれた山の⁠城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
古代・中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
ヤマト政権日本城郭協会
築城
天智天皇4年(665)日本城郭協会
主な城主
不明日本城郭協会
見られる遺構
土塁・石垣・門・⁠堀編集部記事
文化財指定
国特別史跡(基肄(椽)城跡)(1954年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 184番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

山の中の史跡で、山道を歩いて見て回る。ふもとの関屋土塁は主要部が消えて会社の敷地内に標柱があるだけで、見学には向かない。

住所

佐賀県三養基郡基山町大字小倉(字北帝・坊住・車道ほか⁠)[1]

確認日: 2026-10-04

最寄り駅と⁠行き方

JR基山駅JR鹿児島本線・甘木鉄道

徒歩約50分 · 急⁠な登り

駅から水門跡(南門跡)まで徒歩約50分、そこから山頂まで約30分(Wikipediaによる。公式の案内は確認できなかった)⁠。[8]

確認日: 2026-10-04

車・駐車場

宮浦ICから県道300号(基山公園線)⁠で基山草スキー場方面へ。草スキー場の手前に駐車場があり、特別史跡の碑まで徒歩10分ほど(Wikipediaによる)⁠。[8]

確認日: 2026-10-04
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-04
所要時間の目安編集部の目安
駐車場から水門・大礎石群・山頂をめぐるなら2〜3時間が目安
階段・坂・足もと
標高約405mの山。山道や⁠急な坂があり、歩きやすい靴が必要。[4][8]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-04
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
未確認
季節の楽しみ
未確認
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
未確認(行く前に基山町の案内を確認)確認日: 2026-10-04

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

古代史や⁠大宰府に興味がある人、山歩きを楽しみながら遺構を探したい人に向く。天守や⁠白い櫓を期待する人向けではない。

ここを見ると⁠面白い

まずは水門の石塁で、石垣に開いた水の通り道を探したい。大礎石群では並んだ礎石から建物の大きさを想像し、山頂では大宰府の南を見張った眺めを確かめたい。

訪ねる前に

本格的な山歩きになる。公式の交通案内や⁠現地の施設情報は確認できなかったので、地図と⁠飲み物を用意して行きたい。中世に「木山城」と⁠して使われた跡もまじっている。

楽しみかた

同じ665年に築かれた大野城や、664年の水城と⁠あわせて見ると、山の城と⁠平地の堤で大宰府を囲んだ守りの全体が分かる。ふもとのとうれぎ土塁⁠も「小水城」と⁠呼ばれる仲間。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    基肄(椽)城跡(きいじょうあと⁠)基山町municipal確認日:
  2. 2
    水門跡・南門跡(基肄城跡)基山町municipal確認日:
  3. 3
    大礎石群基山町municipal確認日:
  4. 4
    基山山頂(基肄城跡)基山町municipal確認日:
  5. 5
    基肄(椽)城跡(国指定文化財等データベース)文化庁heritage確認日:
  6. 6
    東北門跡基山町municipal確認日:
  7. 7
    基肄(椽)城跡(国特別史跡)筑紫野市municipal確認日:
  8. 8
    基肄城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  9. 9
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  11. 11
    Wikipedia「基肄城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  12. 12
    Wikidata Q11426463Wikidatawikidata確認日:
  13. 13
    OpenStreetMap node/839501989© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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