草におおわれた九戸城跡の空堀と土塁(2007年ごろ撮影)。左の斜面のすそに石が並んで見える。城の堀は水をためない空堀だった。
Satoshin at Japanese WikipediaCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

岩手県 · 二戸市

九戸城

くのへじょう

Kunohe Castle

岩手県二戸市

城平山城続日本100名城 104番

この城らしさ

豊臣秀吉の天下統一の最後の合戦場。落城のあとに積まれた本丸の石垣は、東北最古と⁠みられている。

なぜ?

1591年、南部氏の一族・九戸政実がこの城で挙兵し、秀吉が送った約6万の大軍に囲まれて落城しました。この戦いで秀吉の国内統一が完成したとされます。落城のあと、蒲生氏郷らが城を豊臣流に造りかえ、そのとき本丸に石垣が積まれました。[1][3][5]

見逃したくない3つ

01

東北最古と⁠みられる本丸の石垣

見る場所
本丸のまわり。本丸と⁠二ノ丸の間の空堀に沿って
注目する部分
自然の石をあまり加工せずに積んだ「野面(のづら⁠)積み」の石の並び
ここが面白い
落城の直後、蒲生氏郷の配下にいた石垣づくりの専門集団・穴太衆(あのうしゅう⁠)⁠が積んだと⁠考えられています。二戸市は、佐賀の名護屋城や⁠会津若松城と⁠同じ形式だと⁠説明しています。北東北の城は土の城がふつうで、ここで豊臣の城づくりが持ち込まれたことが分かります。[1][5]
見られるか
外から見られる屋外で見られる。整備工事のため園路の一部が通行止めになっていることがある。
02

本丸隅櫓跡からの眺め

見る場所
本丸の隅、土塁が高く広くなった場所
注目する部分
城の配置と、まわりの山並み
ここが面白い
海抜139mで城跡のいちばん⁠高⁠い⁠所です。昔はここに隅櫓(すみやぐら)⁠が立ち、敵を見張り、撃つための場所でした。見渡すと⁠城の造りがよく分かり、秀吉方の大軍が陣を置いた山並みも見えます。[5][1]
見られるか
外から見られる櫓はなく、跡地に立てる。
03

二ノ丸の先、白鳥川の断崖

見る場所
二ノ丸の搦手(からめて・裏口)門跡から、堀底の道を北へ
注目する部分
足もとに切り立つ白鳥川の⁠崖
ここが面白い
九戸城は三方を川に囲まれた城で、北は白鳥川の断崖が守りでした。崖を見下ろすと、6万の大軍がなかなか⁠攻⁠め⁠落とせなかった理由が分かります。九戸氏が九戸村へ行き来した道が斜めに降りていく場所でもあります。[1][5]
見られるか
外から見られる屋外。崖の近くでは足もとに注意。

訪問の目安

最寄り駅
呑香稲荷神社前バス⁠停(二戸駅からバス)から徒歩約5分
登り
未確認
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと回りして約1時間が目安。埋蔵文化財センター⁠の展示も見るなら30分ほど足すと⁠よい。
料金
未確認
時間
10:00〜15:00
立入り
自由に見学できる

城跡は屋外の史跡公園で歩いて見学できる。整備工事のため、園路の一部が通行止めになっている(2026年10月時点⁠の市の案内)⁠。続日本100名城スタンプ⁠は九戸城ガイドハウス⁠と二戸市埋蔵文化財センター⁠の2か所。

確認日:

この城の物語

01
史実

三方を川に守られた台地

九戸城は、西を馬淵川、北を白鳥川などの川に囲まれた台地の上に築かれた平山城です。広さは約36万平方メートルあり、空堀で本丸・二ノ丸・三ノ丸・松ノ丸・若狭舘・外舘などに⁠分かれていました。川と⁠崖を生かした、東北でも有数の大きな城でした。[1]

02
伝承

九戸氏が築いた中世の⁠城

九戸城は、九戸政実の4代前にあたる九戸光政が明応年間(1492〜1501年)⁠に築いたと⁠言われています。九戸氏は南部氏の一族で、そのあと⁠着実に力を伸ばしました。いまも若狭舘や⁠外舘などに、地形に合わせて曲線的につくられた九戸氏時代の姿が残っています。[1][4]

03
史実

1591年、九戸政実の⁠乱

南部家の跡継ぎ争いで南部信直が当主になると、九戸政実はこれに反発し、1591年3月⁠に兵を挙げました。秀吉は信直を当主と⁠認めていたため、政実は天下人に背く者と⁠され、9月には約6万の軍が城を囲みました。城にこもったのは約5千人と⁠伝わります。苦戦した攻め手は九戸氏の菩提寺の和尚を使者に立て、女性や⁠子どもの命を助けると⁠いう条件で降伏を勧めました。[1][3]

04
史実

だまし討ちの落城と、骨が語る記録

政実は降伏を受け入れて城を開きましたが、それは計略で、城の中の人々は斬り殺されたと⁠伝えられています。政実と⁠重臣たちは、いまの宮城県栗原市の三迫で処刑されました。1995年、二ノ丸の大手門近くの粗末な墓穴から、首のない十数体分の人骨が見つかりました。多くの刀の傷があり、伝えられてきた落城の犠牲者と⁠考えられています。[1][3][4]

05
史実

豊臣流に造りかえられ「福岡城」に

落城のあと、秀吉の命令で蒲生氏郷が本丸・二ノ丸・松ノ丸を中心に城を豊臣流に造りかえ、南部信直に渡しました。信直は城を福岡城と⁠改め、南部氏の本拠にしました。本丸の盛り土の中からは、焼けた生活用品や⁠火縄銃の弾が出ていて、合戦のあとにならした跡だと⁠分かります。その後、南部氏は盛岡城へ本拠を移し、1636年に城は廃されました。[1][4]

06
史実

地元は「九戸城」と⁠呼び続けた

城跡は1935年に国の史跡になりました。南部氏がつけた名は福岡城ですが、百年以上治めた九戸氏への思いから、地元の人々は九戸城と⁠呼び続け、史跡の名前も九戸城跡になっています。二戸市は1989年度から発掘調査と⁠整備を続け、土地を市のものにしながら史跡公園づくりを進めています。2017年に続日本100名城⁠に選ばれました。[1][4][8][7]

この城の人びと

年表

  1. 明応年間・伝承

    九戸光政が築いたと⁠言われる[1][4]

  2. 九戸政実の乱。9月に約6万の軍に囲まれ落城[1][3]

  3. 蒲生氏郷が改修し、南部信直が福岡城と⁠改める[1]

  4. 廃城[1]

  5. 国の史跡に指定[8][1]

  6. 二ノ丸で刀傷のある人骨が見つかる[4]

  7. 続日本100名城⁠に選ばれる[7]

建物と⁠遺構

天守の状態

確認中

二戸市によると、発掘で瓦が出ておらず、福岡城に天守や⁠櫓があったかは分かっていない。九戸城の時代にはおそらく板ぶきの櫓があったが、場所は不明。いまは建物はない。

城全体のいま

市の中心部にある史跡で、二戸市が史跡公園と⁠して整備を進めている。三ノ丸は大部分が市街地になっている。城の広さは約36万平方メートル(史跡指定地は約21万平方メートル)⁠。

主な建物

跡地のみ

本丸追手門と⁠木橋

本丸の東にあった門と⁠橋の跡。礎石が残り、二戸市は復元の可能性がある建物と⁠して挙げている。[1]

跡地のみ

本丸隅櫓

土塁が高く広くなった部分が隅櫓の跡。[1][5]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
中世・近世編集部記事
天守の状態
確認中天守の有無・状態は確認中編集部記事
築城者
九戸氏日本城郭協会
築城
明応年間(1492~1501)日本城郭協会
主な城主
九戸氏、南部氏日本城郭協会
廃城
寛永13年(1636年)Wikipedia
見られる遺構
曲輪・石垣・堀・土塁・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(九戸城跡)(1935年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 104番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は屋外の史跡公園で歩いて見学できる。整備工事のため、園路の一部が通行止めになっている(2026年10月時点⁠の市の案内)⁠。続日本100名城スタンプ⁠は九戸城ガイドハウス⁠と二戸市埋蔵文化財センター⁠の2か所。

住所

岩手県二戸市福岡字城⁠ノ⁠内(九戸城ガイドハウス⁠は城ノ内3-3、九戸城エントランス広場内)[7]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

呑香稲荷神社前バス⁠停(二戸駅からバス)東北新幹線・IGRいわて銀河鉄道二戸駅から、JRバス(二戸病院・軽米病院行)または岩手県北バス(伊保内営業所行)

徒歩約5分 · 未確認

バス停から徒歩5分。[6]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

九戸城ガイドハウス
時間
10:00〜15:00
休館・休み
開館は4月中旬〜11月(期間中は原則毎日⁠)
料金
未確認[7][2]
確認日: 2026-10-03
二戸市埋蔵文化財センター(展示室)
時間
9:00〜17:00
休館・休み
月曜、祝日の翌日(土・日は除く⁠)⁠、12月29日〜1月3日
料金
展示室は一般50円、小中学生20円(10名以上の団体割引あり)[7]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

八戸自動車道浄法寺ICから約25分、一戸ICから約15分。城のまわりは道が狭い所があり、観光バスは二戸市埋蔵文化財センター⁠に相談を。カーナビは住所(二戸市福岡字城⁠ノ内3-3)⁠で検索するよう市が案内している。[6][7]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと回りして約1時間が目安。埋蔵文化財センター⁠の展示も見るなら30分ほど足すと⁠よい。
階段・坂・足もと
土塁や⁠空堀のある起伏のある城跡。堀底の道や⁠崖の近くを歩く場所がある。[5][1]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
未確認
季節の楽しみ
本丸の大手の出入口(クランク状の虎口)⁠のあたりは、春に桜が咲く。[5]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
史跡九戸城跡の整備工事(令和7年度)⁠に伴い、園路などの一部が通行止め。九戸城ボランティアガイド(4月上旬〜11月末、10:00〜15:00、1週間前までに二戸市観光協会⁠へ予約、0195-23-3641)⁠。[1][5][7]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

博物館

二戸市埋蔵文化財センター

九戸城に関する展示がある市の施設。二戸市総合福祉センター⁠の建物の3階。続日本100名城スタンプ⁠も置かれている。[7]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

戦国時代の終わりの合戦や、東北と⁠豊臣の城づくりの違いに興味がある人に向く。建物はないが、土塁・空堀・石垣がよく残り、城の地形を歩いて確かめられる。

ここを見ると⁠面白い

本丸の石垣で、豊臣の城づくりが東北に持ち込まれた跡を見る。若狭舘など曲線的な九戸氏時代の部分と、まっすぐに改修された本丸を見比べると、「二つの時代の城が⁠重なっている」ことが分かる。

訪ねる前に

整備工事のため園路の一部が通れないことがある。ガイドハウスは4月中旬〜11月だけ⁠開く。冬に行く場合は、スタンプや⁠展示は埋蔵文化財センターで。

楽しみかた

まず本丸隅櫓跡に上って城全体と、秀吉方が陣を置いた山並みを見渡すと、包囲戦の様子が想像しやすい。予約すればボランティアガイド⁠の案内も受けられる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    九戸城跡二戸市municipal確認日:
  2. 2
    中世終焉の地九戸城二戸市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  3. 3
    九戸政実と⁠豊臣秀吉 -奥州再仕置-二戸市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  4. 4
    発掘調査の成果と⁠新事実二戸市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  5. 5
    九戸城跡散策ガイド二戸市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  6. 6
    地図、アクセス二戸市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  7. 7
    【九戸城】続日本100名城スタンプラリー⁠のご案内二戸市教育委員会municipal確認日:
  8. 8
    国指定文化財等データベース九戸城跡文化庁heritage確認日:
  9. 9
    城郭検索(続日本100名城 104 九戸城)公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    九戸城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  11. 11
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  12. 12
    Wikipedia「九戸城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  13. 13
    Wikidata Q10855488Wikidatawikidata確認日:
  14. 14
    OpenStreetMap node/2494978395© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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