和田川ダムの湖(2007年8月撮影)。この湖の下に、増山城の城下町「下町」が沈んでいる。
NhrdskPublic domainWikimedia Commons

富山県 · 砺波市

増山城

ますや⁠まじょう

Masuyama Castle

富山県砺波市

城山城続日本100名城 140番

この城らしさ

上杉謙信が3度攻めた山城へは、いまはダムの上を歩いて渡って入る。

なぜ?

増山城は和田川の東岸の丘にあり、川そのものを外堀と⁠して使っていました。1968年に和田川ダムの湖ができて、対岸の城下町の一部も湖に沈みました。いまは休憩所「増山陣屋」に車を置き、ダムを歩いて渡って登山口の冠木門から城に入ります。[1][3]

見逃したくない3つ

01
主郭と考えられている二ノ丸と案内板(2007年7月撮影)。NhrdskPublic domainWikimedia Commons

主郭の二ノ丸と⁠櫓台

見る場所
城の中心部。冠木門の登山口から登った⁠先
注目する部分
東西90m・南北50mの広い平らな場所と、北東の隅に盛り上がった櫓台
ここが面白い
江戸時代の絵図では「二ノ丸」と⁠書かれていますが、城でいちばん高く、いちばん広い⁠郭(くるわ)なので、ここが本丸にあたる主郭と⁠考えられています。まわりを一ノ丸・安室屋敷・三ノ丸・無常の郭が取り囲んで守っています。[1][2][3]
見られるか
外から見られる登山道を歩いて行ける。冠木門から二ノ丸へ行って戻るまで約30分(市の目安)⁠。
02
杉林の中に残る空堀(2007年7月撮影)。NhrdskPublic domainWikimedia Commons

長さ300mの二重の堀切と⁠畝状竪堀群

見る場所
城の中心部の東側から南側にかけて
注目する部分
尾根を断ち切る深い空堀(堀切)と、斜面に何本も並んで掘られた縦の⁠溝(畝状竪堀群)
ここが面白い
石垣のない中世の山城は、土を削って守りを固めました。増山城では⁠長さ300mにもなる堀切を二重に掘り、さらに斜面に竪堀を並べて、敵が横に⁠回⁠り⁠込めないようにしています。市は、遺構の残り方のよさも続日本100名城⁠に選ばれた理由に挙げています。[1][3]
見られるか
外から見られる城内の道から見られる。木々の中なので、葉の落ちる時期のほうが形が分かりやすい。
03
和田川の対岸、城下町の西の入口に残る土塁(2007年6月撮影)。NhrdskPublic domainWikimedia Commons

和田川の対岸に残る城下町の土塁

見る場所
和田川(ダム湖)⁠をはさんだ西岸
注目する部分
堀を伴う長さ約80mの南北の土塁
ここが面白い
城の対岸には城下町があり、土塁の東に「下町」、西に「寺土居町」がありました。下町はダム湖でほぼ水没しましたが、発掘では16世紀末から17世紀の遺構や⁠遺物がたくさん見つかり、佐々氏から前田氏の時代に城下町が整えられたことが分かりました。[1]
見られるか
未確認見学の方法や⁠道順は公式に記載がない。

訪問の目安

最寄り駅
JR砺波駅(タクシー)から
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
二ノ丸まで往復するだけなら約30分(市の目安)⁠。城下町の土塁や⁠城内をめぐるなら1時間半〜2時間⁠が目安
料金
公式に記載なし
時間
8:30〜17:00
立入り
自由に見学できる

城跡は自由に歩ける山の中の史跡。増山陣屋に駐車し、歩いてダムを渡り、冠木門の登山口から入る。12月〜3月末⁠はボランティアガイド⁠を⁠受⁠け⁠付けていない。

確認日:

この城の物語

01
史実

三つの郡の境に立つ山

増山城は、砺波平野の東の端、標高約120mの丘の上にあり、平野のほぼ全体を見下ろせます。砺波・射水・婦負の三つの郡の境で、人や⁠物が行き来する大事な場所でした。城の西側では和田川が曲がりくねって深い谷をつくり、天然の堀になっていました。[1][2]

02
史実

南北朝の「和田城」から神保氏の城へ

この土地は和田とも呼ばれ、南北朝時代の史料に出てくる「和田城」が増山城の最初の記録と⁠されています。戦国時代には越中の守護代・神保氏が勢力を広げ、1560年に上杉謙信が攻め込むと、神保長職は富山城を捨ててこの増山城へ移りました。[1][8]

03
史実

謙信、信長、成政、前田と⁠移る持ち主

増山城は神保氏・一向一揆・上杉氏の争いの場になり、謙信の度重なる攻撃を受けて1576年に落ちました。謙信が亡くなると⁠織田信長の勢力が進み、1581年に城は織田勢に焼き払われます。1583年には信長の家臣だった佐々成政の城になり、1585年に成政が豊臣秀吉に降伏すると、前田利家の重臣・中川光重が入りました。[1][2]

04
研究上の解釈

土を削ってつくった大きな守り

城は和田川の東岸に南北約1.4km、東西約0.9kmの広さで広がり、二つの谷で北の亀山城・孫次山砦、中央の中心部、南の屋敷群に分かれます。出土した土器から、城の骨組みは神保氏がつくり、その後の上杉・佐々・前田の時代に大きく改修・拡張されたと⁠考えられています。[1][2][7]

05
研究上の解釈

城は終わり、杉の山になった

増山城は慶長年間(1596〜1615年)ごろまで使われたと⁠考えられています。江戸時代には加賀藩の林になり、富山県を代表する⁠杉「マスヤマスギ」が育てられました。建物は⁠残っていませんが、そのおかげで堀切や⁠郭などの土の遺構がよく残りました。[1][2]

06
史実

国史跡、そして続日本100名城⁠へ

砺波市教育委員会⁠は1997年から2003年にかけて測量と⁠発掘を行い、2009年に城跡は国の史跡になりました。その後、地元で増山城戦国祭りが始まり、2010年にはボランティアガイド⁠の「曲輪の会」ができました。2017年に続日本100名城⁠に選ばれています。[1][2][3]

この城の人びと

年表

  1. このころまでに

    史料に「和田城」と⁠して現れる[6][1]

  2. 上杉謙信に攻められた神保長職が富山城から増山城へ移る[1]

  3. 上杉謙信が増山城を落とす[1][2]

  4. 織田勢が城を焼き払う[1]

  5. 佐々成政が降伏し、前田家の中川光重が入る[1][2]

  6. 国の史跡に指定[2]

  7. 続日本100名城⁠に選ばれる[3]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

戦国時代の土づくりの山城で、天守はもともとない。

城全体のいま

建物はなく、杉林の中に郭・堀切・竪堀などの土の遺構が残る。城跡一帯は増山城跡公園と⁠して歩ける。和田川はダム湖になり、対岸の城下町の一部は水没している。

主な建物

跡地のみ

二ノ丸(主郭)⁠と⁠櫓台

城でいちばん高く広い郭。建物はなく平らな地形と⁠櫓台が残る。[1][2]

跡地のみ

二重の堀切・畝状竪堀群

中心部の東から南を守る長さ300mにおよぶ堀切と⁠竪堀。[1]

跡地のみ

城下町の土塁

和田川西岸に残る、堀を伴う長さ約80mの土塁。[1]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
二宮円阿日本城郭協会
築城
貞治元年(1362)以前日本城郭協会
主な城主
桃井氏、斯波氏、神保氏、上杉氏、織田氏、佐々氏、前田氏日本城郭協会
廃城
1615年(元和元年)Wikipedia
見られる遺構
曲輪・櫓・櫓台・竪堀・堀切・石垣・土塁・井戸・堀・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(増山城跡)(2009年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 140番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は自由に歩ける山の中の史跡。増山陣屋に駐車し、歩いてダムを渡り、冠木門の登山口から入る。12月〜3月末⁠はボランティアガイド⁠を⁠受⁠け⁠付けていない。

住所

増山陣屋: 〒939-1402 富山県砺波市増山211[3]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR砺波駅(タクシー)JR城端線

急な登り

駅からタクシーで約20分。増山陣屋からダムを歩いて渡り、冠木門から山道を登る。[4]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

増山陣屋(休憩施設・トイレ)
時間
8:30〜17:00
休館・休み
12月26日〜3月14日⁠は冬期閉鎖(トイレも使えない⁠)
料金
公式に記載なし[3]
確認日: 2026-10-03
砺波市埋蔵文化財センター(続日本100名城スタンプ)
時間
9:00〜17:00
休館・休み
月曜、毎月第3日曜、国民の祝日(祝日が月曜のときは翌日も⁠)⁠、年末年始(12月29日〜1月3日)
料金
無料[3]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

カーナビは「増山城跡」、出ないときは「和田川ダム管理事務所」と⁠入れる。管理事務所の手前左に増山陣屋があり、そこに駐車する。砺波ICから車で約30分。[3][1]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
二ノ丸まで往復するだけなら約30分(市の目安)⁠。城下町の土塁や⁠城内をめぐるなら1時間半〜2時間⁠が目安
階段・坂・足もと
標高約120mの丘陵にある山城で、土の山道を上り下りする。[1]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
増山陣屋にトイレがある(12月26日〜3月14日⁠は閉鎖)[3]
英語案内・音声ガイド
名誉城主の春風亭昇太さんが案内する日本語の音声ガイド「ますナビ」がある(城内の看板のQRコードから再生、端末の無料貸出も)⁠。英語の案内は未確認。[3]
季節の楽しみ
公式の季節情報は未確認。冬期(12月26日〜3月14日)⁠は増山陣屋が閉まり、ガイドも⁠受⁠け⁠付けていない。[3][4]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
2026年10月6日(火)7時〜17時ごろは、ダム湖の地質調査のため、ダムの上の通路から増山城へは通れない。[5]確認日: 2026-10-03

歩きかたの⁠例

冠木門から⁠二⁠ノ丸往復 30分 30分

  1. 増山陣屋に駐車し、パンフレットを手に入れる
  2. 和田川ダムの上を歩いて渡る
  3. 冠木門の登山口から城へ入る
  4. 主郭の二ノ丸と⁠櫓台を見る
  5. 同じ道を冠木門へ戻る

時間は市の案内(冠木門から二ノ丸へ行って戻って約30分)⁠。陣屋からダムを渡る時間は含まない。

周辺の楽しみ

博物館

砺波市埋蔵文化財センター

増山城跡から出土した遺物や⁠城の模型を展示し、続日本100名城スタンプ⁠や⁠御城印もある。入館無料。庄東小学校の敷地内(砺波市頼成566)⁠。[3]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

建物のない土の城の見方を知りたい人、戦国時代の越中をめぐる上杉・織田・神保の争いに興味がある人、森の中を歩くのが好きな人に向く。

ここを見ると⁠面白い

二ノ丸の広さと⁠高さを確かめたら、まわりの堀切や⁠竪堀の深さに注目したい。土を削っただけの守りが、どれほど大がかりだったかが分かる。ダムを渡るときは、湖の下に城下町があったことを思い出すと⁠景色の見え方が変わる。

訪ねる前に

駅から歩ける距離ではなく、車かタクシーで行く。山道を歩くので歩きやすい靴で。冬は増山陣屋(トイレ)⁠が閉まる。100名城スタンプ⁠は城跡ではなく砺波市埋蔵文化財センター⁠にある。

楽しみかた

増山陣屋のパンフレットや⁠展示で城全体の形をつかんでから登ると⁠迷いにくい。日本語が分かる人は、城内のQRコードから聞ける音声ガイド「ますナビ」を使うと、場所ごとの説明が聞ける。ガイドを頼むなら2週間前までに「曲輪の会」へ申し込む。

訪問者レビュー

レビュー募集中

この城を訪ねた方の声を募集しています。

レビューを書く
評価

体験に基づかない投稿・宣伝・個人情報を含む投稿は公開しません。

異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    増山城跡(上杉謙信が3たび攻めた城)砺波市教育委員会(デジタルミュージアム砺波正倉)municipal確認日:
  2. 2
    増山城跡文化遺産オンライン(文化庁)heritage確認日:
  3. 3
    国指定史跡増山城跡⁠のご案内砺波市municipal確認日:
  4. 4
    増山城跡のガイドをご希望の方へ(曲輪の会)砺波市municipal確認日:
  5. 5
    増山城跡横ダム通路⁠の通行止(予定)砺波市municipal確認日:
  6. 6
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  7. 7
    増山城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  8. 8
    戦国時代編2富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  9. 9
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    Wikipedia「増山城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  11. 11
    Wikidata Q11429184Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

現地の変化や⁠誤り、使ってよい写真をご存じでしたらお知らせください。

情報の訂正・写真の提供