城跡に残る高い石垣の角(2009年8月撮影)。建物はひとつも残っていないが、石垣が城の大きさを伝えている。
inunamiCC BY 2.0Wikimedia Commons

三重県 · 松阪市

松阪城

まつさかじょう

Matsusaka Castle

三重県松阪市

城平山城日本100名城 43番

この城らしさ

天守台の石垣に、古墳の石棺のふたがそのまま⁠積⁠み⁠込まれている。

なぜ?

蒲生氏郷はこの城をわずか3年で完成させました。大量の石が必要だったため、まわりの石がかき集められ、古墳の石棺のふたまで使われたと⁠いわれます。そのふたは今も天守台などに残っていて、見ることができます。[2][3][5]

見逃したくない3つ

01
本丸上段の天守台跡(2017年9月撮影)。3層の天守が建っていたが、江戸時代前期に倒れたとされ、いまは石垣だけが残る。Saigen JiroCC0Wikimedia Commons

天守台の野面積みと⁠石棺のふた

見る場所
本丸上段の天守跡。敵見櫓跡のとなり
注目する部分
自然の石をほぼそのまま積んだ石垣(野面積み)と、その中に混じる平たく大きな石棺のふた
ここが面白い
天守台や⁠本丸のあたりは築城当時の積み方が残っていると⁠されます。手前の大きな石が石棺のふたで、急いで石を集めた跡が石垣そのものに残っています。[1][3][7]
見られるか
外から見られる城跡は見学自由・無料。
02
裏門跡(2017年9月撮影)。ここから天守台までは、石垣に囲まれた折れ曲がる通路(枡形)がいくつも続く。Saigen JiroCC0Wikimedia Commons

裏門から天守まで続く枡形

見る場所
裏門跡から中御門跡を通って本丸へ上る⁠道
注目する部分
高い石垣で囲まれた四角い空間と、そこで2回折れ曲がる通路
ここが面白い
敵がまっすぐ進めないようにするしかけ(枡形)です。市の説明では、裏門から天守までに枡形が4回も続きます。歩いてみると、なかなか天守台にたどり着けないことが体で分かります。[3]
見られるか
外から見られる自由に歩ける。
03
御城番屋敷の石畳の通り(2018年1月撮影)。両側に槇の生け垣と武士の長屋が並ぶ。1863年に建てられた国の重要文化財。SuikoteiCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

御城番屋敷

見る場所
裏門跡を出てすぐ南。かつての三ノ丸の⁠中
注目する部分
石畳の道の両側に並ぶ、槇の生け垣と⁠長い武家長屋
ここが面白い
1863年に、城を守る役目の武士20人と⁠その家族のために建てられた長屋です。いまも子孫の方が住んで守っていて、江戸時代の武家長屋と⁠して国の重要文化財になっています。1戸だけ市が借りて公開しています。[4][8]
見られるか
一部見られる通りは外から見られる。公開しているのは1戸だけ(10:00〜16:00、月曜休み、無料)⁠。ほかの住戸は住まいなので入れない。

訪問の目安

最寄り駅
JR・近鉄松阪駅から徒歩約15分
登り
少し登る
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと⁠回りするなら約1時間、御城番屋敷と⁠資料館も見るなら2時間ほどが目安
料金
一般150円(20名以上の団体120円)⁠、6〜18歳70円(団体50円)
時間
4〜9月 9:00〜16:30、10〜3月 9:00〜16:00
立入り
自由に見学できる

城跡(松阪公園)⁠は見学自由・無料。御城番屋敷は1戸だけ公開で、ほかは住まいなので入れない。日本100名城スタンプ⁠は松阪市立歴史民俗資料館⁠と本居宣長記念館⁠にあり、資料館の休館日や⁠閉館後は豪商のまち松阪観光交流センター⁠と⁠松阪駅観光情報センター⁠で押せる。

確認日:

この城の物語

01
史実

海辺の城から、川を堀にした丘へ

蒲生氏郷ははじめ、海に近い松ヶ島城に入りました。その南約4kmにある標高38mの独立した⁠丘「四五百森(よいほのもり)⁠」⁠に新しい城を築きました。北を流れる阪内川を守りの線にでき、丘を切り通して北の丘に城の中心、南の丘に八幡宮を置きました。[1][2][5]

02
史実

信長に見込まれた蒲生氏郷が3年で築いた

氏郷は織田信長の娘婿で、のちに豊臣秀吉に仕えた武将です。1584年に南伊勢12万3千石⁠の領主と⁠なり、1588年に新しい城に入りました。石垣づくりには、近江(いまの滋賀県)から穴太衆と⁠いう石垣の職人を呼んだと⁠いわれます。城下の地名も、秀吉のいた大坂から1字をもらって「松坂」と⁠改めました。[2][3][5]

03
史実

城と⁠一緒につくった商人の⁠町

氏郷は城と⁠同時に城下町も整えました。伊勢街道を城下に通し、近江日野や⁠伊勢大湊から有力な商人を呼び、自由に商売できる楽市楽座を進めました。これがのちの三井家などの豪商を生む「商人の町・松阪」のもとになりました。[5]

04
史実

城主がいなくなり、天守は倒れた

氏郷は入城からわずか2年後の1590年に会津へ移りました。そのあと⁠服部氏、古田氏が城主になり、1619年からは紀州藩(和歌山)⁠の領地になって、城代が治める城になりました。本丸の3層の天守は、江戸時代前期の記録で1644年に台風で倒れたとされ、その後は建て⁠直されませんでした。[1][10]

05
史実

建物は消え、石垣と⁠武家長屋が残った

明治になって城は役目を終え、1877年の火事で二ノ丸の御殿が焼け、ほかの建物も⁠取⁠り⁠壊されました。いま城跡に建物は⁠残っていませんが、石垣はほぼ全体に残っています。城を守る武士のために幕末の1863年に建てられた御城番屋敷も、いまも人が住む長屋と⁠して残っています。[2][4][10]

06
史実

石垣を直し、国の史跡に

1988年から2003年にかけて、石垣の大がかりな修理が行われました。2006年に日本100名城⁠に選ばれ、2011年に「松坂城跡」と⁠して国の史跡になりました。いまは松阪公園と⁠して整備され、城跡の中に歴史民俗資料館⁠や本居宣長の旧宅(鈴屋)⁠があります。[1][2][10]

この城の人びと

年表

  1. 蒲生氏郷が四五百森の新しい城に入る[2][5][9]

  2. 氏郷が会津へ移る[5]

  3. 紀州藩の領地になり、城代が置かれる[10]

  4. 天守が台風で倒れたとされる[10]

  5. 御城番屋敷が建てられる[4]

  6. 「松坂城跡」が国の史跡になる[2][11]

建物と⁠遺構

天守の状態

天守は失われた

本丸上段に3層の天守があったが、1644年に台風で倒れたとされ、その後は天守台だけが残る(城郭協会の表記は「天守台のみ残る」)⁠。

城全体のいま

松阪公園と⁠して整備され、石垣がほぼ全体に残る。城跡の中に松阪市立歴史民俗資料館⁠と本居宣長旧宅(鈴屋)⁠、すぐ横に本居宣長記念館⁠がある。三ノ丸の跡は学校や⁠病院などになっている。

主な建物

現存しない

天守・櫓・御殿

天守は1644年に倒壊したとされる。二ノ丸御殿は1877年に焼失し、ほかの建物も明治に取り壊された。[10]

現存国重要文化財

御城番屋敷

1863年築。主屋は東棟10戸・西棟9戸が残る。子孫が住み、1戸のみ公開。[4]

移築して現存

米蔵(御城番屋敷の土蔵)

隠居丸にあった米蔵を移したものと⁠伝わる。[1]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
近世編集部記事
天守の状態
天守は失われた天守はあったが、今は残っていない(天守台などが残る場合がある⁠)編集部記事
築城者
蒲生氏郷日本城郭協会
築城
天正16年(1588)日本城郭協会
主な城主
蒲生氏、服部氏、古田氏日本城郭協会
廃城
1871年(明治4年)Wikipedia
見られる遺構
天守台・曲輪・石垣・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(松坂城跡)(2011年)⁠、国重要文化財(御城番屋敷)(2004年)編集部記事
名城選定
日本100名城 43番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡(松阪公園)⁠は見学自由・無料。御城番屋敷は1戸だけ公開で、ほかは住まいなので入れない。日本100名城スタンプ⁠は松阪市立歴史民俗資料館⁠と本居宣長記念館⁠にあり、資料館の休館日や⁠閉館後は豪商のまち松阪観光交流センター⁠と⁠松阪駅観光情報センター⁠で押せる。

住所

〒515-0073 三重県松阪市殿町1538-1[7]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR・近鉄松阪駅JR紀勢本線・名松線、近鉄山田線

徒歩約15分 · 少⁠し登る

駅から徒歩約15分。バスなら三重交通バスや⁠市街地循環バス(鈴の音バス)⁠で「市役所前」下車。城跡は丘の上なので、本丸までは石段や⁠坂を上る。[7][10]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

松阪市立歴史民俗資料館(2階小津安二郎松阪記念館)
時間
4〜9月 9:00〜16:30、10〜3月 9:00〜16:00
休館・休み
月曜(祝日を除く⁠)⁠、祝日の翌平日、12月29日〜1月3日、展示替え期間
料金
一般150円(20名以上の団体120円)⁠、6〜18歳70円(団体50円)[6]
確認日: 2026-10-03
御城番屋敷(公開住戸)
時間
10:00〜16:00
休館・休み
月曜(祝日の場合は翌日)⁠、年末年始
料金
無料[8]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

伊勢自動車道松阪ICから約15分。松阪市駐車場(御城番屋敷の案内では無料)⁠を利用。[7][8]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
見学自由[7]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと⁠回りするなら約1時間、御城番屋敷と⁠資料館も見るなら2時間ほどが目安
階段・坂・足もと
丘の上の城跡で、枡形の石段や⁠坂が多い。地面は土や⁠砂利の場所が多い。[2][3]
車椅子・ベビーカー
未確認(松阪市観光協会⁠が車いすの貸し出しを案内している⁠)[11]確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
城跡にトイレあり[7]
英語案内・音声ガイド
現地の英語案内は未確認。
季節の楽しみ
桜・藤・銀杏が石垣を彩る。2月中旬〜3月上旬⁠は梅。毎年11月3日に「氏郷まつり」がある。[7][5]
撮影のルール
歴史民俗資料館⁠の館内は一部を⁠除⁠き撮影できるが、フラッシュ・三脚は不可。城跡の撮影ルールは未確認。[6]
工事・休館・立入制限
歴史民俗資料館⁠は企画展の展示替えのため2026年12月7日〜11日⁠は休館。[12]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

城下町

御城番屋敷

裏門跡のすぐ南に続く武家長屋の通り(見どころ参照)⁠。[4]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

石垣を見るのが好きな人、建物のない城跡でも縄張り(城の設計)⁠を歩いて楽しめる人、松阪の商人の町や⁠本居宣長に興味がある人に向く。

ここを見ると⁠面白い

天守台の野面積みと⁠二ノ丸の加工した石の積み方を見比べると、築城時と⁠江戸時代の修理で積み方が違うことが分かる。天守台では石棺のふたを探したい。裏門から入れば、枡形を何度も曲がって本丸へ上る守りのしかけを歩いて確かめられる。

訪ねる前に

城の建物はひとつも残っていない。見どころは石垣と、城の外の御城番屋敷。城の名前は史跡名にあわせて「松坂城」とも書く(地名は1889年に「松阪」と⁠改められた⁠)⁠。

楽しみかた

本丸から城下町を見下ろしてから、裏門を出て御城番屋敷の石畳を歩くと、城と⁠城を守った武士の暮らしがひと⁠続きでつかめる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    松坂城跡の概要松阪市municipal確認日:
  2. 2
    国指定史跡・日本100名城松坂城跡松阪市municipal確認日:
  3. 3
    松坂城の石垣松阪市municipal確認日:
  4. 4
    御城番屋敷松阪市municipal確認日:
  5. 5
    松阪の礎を築いた戦国武将「蒲生氏郷」松阪市municipal確認日:
  6. 6
    松阪市立歴史民俗資料館利用案内松阪市municipal確認日:
  7. 7
    松坂城跡(松阪公園)観光三重(三重県観光連盟)tourism確認日:
  8. 8
    御城番屋敷観光三重(三重県観光連盟)tourism確認日:
  9. 9
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    松坂城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  11. 11
    松坂城跡(国指定史跡)松阪市観光協会tourism確認日:
  12. 12
    松阪市立歴史民俗資料館(展示替えによる臨時休館のお知らせ)松阪市municipal確認日:
  13. 13
    本居宣長記念館公式サイト本居宣長記念館official確認日:
  14. 14
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  15. 15
    Wikipedia「松坂城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  16. 16
    Wikidata Q1010226Wikidatawikidata確認日:
  17. 17
    OpenStreetMap way/688382059© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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