2016年に木造で復元された郭馬出西虎口門(2020年11月撮影)。発掘で見つかった井伊氏の時代(16世紀末)の礎石をもとにしている。
うなぎやCC0Wikimedia Commons

群馬県 · 高崎市

箕輪城

みのわじょう

Minowa Castle

群馬県高崎市

城平山城日本100名城 18番

この城らしさ

30年あまりで武田・織田・北条・徳川と⁠持ち主が変わり、最後は井伊直政が城を高崎へ移して終わった。

なぜ?

箕輪城は1500年前後⁠に長野氏が築き、4代にわたって本拠にしました。1566年に武田信玄に降伏すると、その後は武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏と、戦国の大きな勢力が次々と⁠城を手に入れます。1598年、徳川方の井伊直政が城を高崎へ移し、箕輪城は役目を終えました。[1]

見逃したくない3つ

01
2016年に木造で復元された郭馬出西虎口門(2020年11月撮影)。発掘で見つかった井伊氏の時代(16世紀末)の礎石をもとにしている。うなぎやCC0Wikimedia Commons

木造で復元された郭馬出西虎口門

見る場所
二の丸と⁠郭馬出(くるわうまだし)⁠の⁠間
注目する部分
土塁の切れ目に立つ木造の櫓門と、その前後の土橋
ここが面白い
2002年度の発掘で、井伊氏の時代(16世紀末)⁠の門の礎石が8つ見つかり、それをもとに2016年に木造で復元されました。幅5.73m、奥行3.48mで、箕輪城で見つかった7か所の城門の中で最も大きい規模です。[2]
見られるか
外から見られる外から見られる。見学無料。
02

城を区切る巨大な⁠堀

見る場所
本丸・二の丸など、曲輪(くるわ)⁠のあいだ
注目する部分
最大で幅40m・深さ10mにもなる空堀と、その上の土塁
ここが面白い
箕輪城は東西約500m、南北約1,100mの大きな城で、曲輪の間を巨大な堀で区切っていました。発掘では門跡や⁠石垣、石組みの排水溝なども⁠見つかっています。土を掘って盛る戦国の城づくりの迫力を、自分の目で確かめられます。[1]
見られるか
外から見られる散策路から見られる。
03

本丸の木橋と⁠西虎口門

見る場所
本丸と⁠蔵屋敷の間、本丸の西の入口
注目する部分
堀にかかる長さ約29mの木橋と、2026年に完成した本丸西虎口門・石垣
ここが面白い
本丸と⁠蔵屋敷を結ぶ木橋は、発掘で見つかった16世紀末の橋脚の礎石をもとに2022年に完成しました。本丸西虎口では石垣が2024年に、門が2026年4月⁠に復元され、いちばん新しい見どころです。[2][3]
見られるか
外から見られる見学無料。

訪問の目安

最寄り駅
JR高崎駅西口(バス)から
登り
少し登る
所要時間の目安編集部の目安
郭馬出西虎口門・本丸・大きな堀をめぐって1時間〜1時間半⁠が目安
立入り
自由に見学できる

城跡は無料で見学できる。日本100名城スタンプ⁠は城跡ではなく、近くの高崎市箕郷支所1階ロビー(平日8:30〜17:15)⁠、箕郷公民館(9:00〜17:00)⁠、箕郷図書館(水〜金10:00〜19:00、土日月祝10:00〜17:00)⁠にある。支所の土日祝の設置は2026年5月31日⁠で終わった。

確認日:

この城の物語

01
史実

榛名山のふもとの台地に

箕輪城は、榛名山から流れる榛名白川が削った台地の上に、曲輪を段々に並べた平山城です。西を榛名白川、南を沼が守る天然の要害でした。城の広さは東西約500m、南北約1,100mあり、いまは約21ヘクタール⁠が国の史跡になっています。[1][5]

02
伝承

長野氏の4代の本拠

城は1500年前後⁠に長野氏が築き、4代にわたって本拠にしました。城郭協会は築城者を長野業尚と⁠しています。長野業政(業正)⁠の時代には、上杉氏の力を背に箕輪衆と⁠呼ばれる武士たちをまとめ、たびたび攻めてきた武田信玄を⁠退けたといわれます。[1][4][5]

03
史実

1566年、武田信玄に降る

1566年、箕輪城は武田信玄に降伏しました。その後、城の主は武田氏(1566〜1582年)⁠、織田氏(1582年)⁠、北条氏(1582〜1590年)⁠、徳川氏(1590〜1598年)と、短いあいだに次々と⁠代わりました。[1]

04
史実

井伊直政が高崎へ移り、廃城に

1590年に徳川家康が関東に入ると、箕輪城には井伊直政が入りました。復元された門の礎石は、この井伊氏の時代のものです。1598年、直政が城を高崎へ移したことで、箕輪城は廃城になりました。建物は⁠残っていませんが、堀・土塁・石垣の跡が残ります。[1][2]

05
史実

発掘と⁠整備で門がよみがえる

1987年に国の史跡になり(2018年に範囲を追加)⁠、1998年度から発掘調査、2011年度から整備事業が進められました。杉林を切って城の地形が見えるようにし、2016年に郭馬出西虎口門、2022年に本丸と⁠蔵屋敷を結ぶ木橋、2024年に本丸西虎口の石垣、2026年4月⁠に本丸西虎口門が復元されました。[1][2][3]

この城の人びと

年表

  1. 1500年前後

    長野氏が箕輪城を築く[1]

  2. 武田信玄に降伏[1]

  3. 徳川氏の城と⁠なり、井伊直政が入る[1][5]

  4. 井伊直政が城を高崎へ移し、廃城[1]

  5. 国の史跡に指定[1][6]

  6. 郭馬出西虎口門⁠を木造で復元[2]

  7. 4月、本丸西虎口門が完成[2][3]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

戦国時代の城で、天守はない(城郭協会の一覧でも天守の記載なし)⁠。

城全体のいま

史跡公園と⁠して整備され、散策路で城内を歩ける。木造の門や⁠木橋が復元されている。無料駐車場と⁠トイレがある。

主な建物

木造で復元

郭馬出西虎口門

2016年復元。井伊氏時代の礎石8つをもとに。幅5.73m・奥行3.48m。[2]

木造で復元

本丸・蔵屋敷間の木橋

2022年完成。幅2.40m・⁠長さ28.92m・高さ6.00m。[2]

木造で復元

本丸西虎口門・石垣

石垣は2024年、門は2026年4月4日⁠に公開。2003年の発掘で見つかった礎石などをもとに。[2][3]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
長野業尚、武田信玄、北条氏邦、井伊直政日本城郭協会
築城
15世紀後半~16世紀前半頃、永禄10年(1567)⁠、天正15年(1587)⁠、天正18年(1590)日本城郭協会
主な城主
長野氏、武田氏、織田氏、小田原北条氏、徳川氏日本城郭協会
廃城
1598年(慶長3年)Wikipedia
見られる遺構
石垣・土塁・堀・虎口・井戸・曲輪・⁠門編集部記事
文化財指定
国史跡(箕輪城跡)(1987年)編集部記事
名城選定
日本100名城 18番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は無料で見学できる。日本100名城スタンプ⁠は城跡ではなく、近くの高崎市箕郷支所1階ロビー(平日8:30〜17:15)⁠、箕郷公民館(9:00〜17:00)⁠、箕郷図書館(水〜金10:00〜19:00、土日月祝10:00〜17:00)⁠にある。支所の土日祝の設置は2026年5月31日⁠で終わった。

住所

群馬県高崎市箕郷町東明屋・西明屋ほか(駐車場は箕郷町東明屋582-6)[3]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR高崎駅西口(バス)JR上越・北陸新幹線、高崎線ほか

少し登る

西口2番のりばから群馬バスで約30分。降りるバス停と⁠徒歩の分数は公式に記載がない。[3]

確認日: 2026-10-03

車・駐車場

関越自動車道前橋ICから約11km。無料駐車場(普通車78台・大型バス6台、7:00〜19:00〈当面⁠の間〉、水洗トイレあり)⁠。[3]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
城跡の開放時間は未確認(駐車場は当面7:00〜19:00)⁠。[3]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
郭馬出西虎口門・本丸・大きな堀をめぐって1時間〜1時間半⁠が目安
階段・坂・足もと
台地の上の城で、散策路には上り下りがある。[1]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
駐車場に水洗トイレがある。[3]
英語案内・音声ガイド
未確認
季節の楽しみ
未確認
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
本丸西虎口門の整備が完了し、2026年4月4日から公開。100名城スタンプ⁠の箕郷支所での土日祝の設置は2026年5月31日⁠で終了し、新たに箕郷図書館に置かれた。[2][3]確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

戦国時代の土の城が好きな人、発掘の成果をもとに少しずつ復元が進む城を見たい人に向く。武田信玄や⁠井伊直政の名前にひかれる人にもよい。

ここを見ると⁠面白い

まず郭馬出西虎口門で、土塁の切れ目を守る門の形を見たい。次に曲輪の間の巨大な堀の深さを確かめ、本丸の木橋と、2026年にできたばかりの本丸西虎口門へ。

訪ねる前に

天守や⁠石垣の大きな城ではなく、堀と⁠土塁の城。駅からはバスで約30分。100名城スタンプ⁠は城跡ではなく近くの公共施設にあり、置き場所と⁠時間が⁠変わっているので確認してから行く。

楽しみかた

発掘で見つかった礎石の位置に建てた門を見ると、「なぜここに門があったのか」が分かりやすい。井伊直政がこの城から高崎へ移ったことを知ってから、高崎城と⁠あわせて訪ねるのもよい。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    箕輪城跡高崎市municipal確認日:
  2. 2
    史跡箕輪城跡保存整備事業高崎市municipal確認日:
  3. 3
    史跡箕輪城跡案内高崎市municipal確認日:
  4. 4
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  5. 5
    箕輪城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  6. 6
    箕輪城跡文化遺産オンライン(文化庁)heritage確認日:
  7. 7
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  8. 8
    Wikipedia「箕輪城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  9. 9
    Wikidata Q994006Wikidatawikidata確認日:
  10. 10
    OpenStreetMap way/550618784© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
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  6. 訪問情報を確認確認済み

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