名護屋城跡の高台から見下ろした曲輪(くるわ)の跡と石垣。その先に玄界灘の海と島々が広がる(2012年9月撮影)。
shikabane taroCC BY 3.0Wikimedia Commons

佐賀県 · 唐津市

名護屋城

なごやじょう

Nagoya Castle

佐賀県唐津市

城平山城日本100名城 87番

この城らしさ

この岬に、7年だけ日本中⁠の大名が陣を並べた。

なぜ?

名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮半島へ兵を送る拠点と⁠して築いた城です。まわり約3kmの範囲に130か所以上の大名の陣屋が建ち、20万人を超える人が⁠集まったとされます。秀吉が亡くなり大名たちが引き揚げると⁠役目を終え、町ごと⁠消えました。[1][4][15]

見逃したくない3つ

01
天守台の上に立つ「名護屋城天守臺址」の石碑と、まわりの入り江や町並み(2026年9月撮影)。ここに五重の天守が建っていた。AspereCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

天守台からの海の眺め

見る場所
本丸の北西にある天守台の⁠上
注目する部分
「名護屋城天守臺址」の石碑、礎石の位置を示した基礎の表示、その先に広がる玄界灘と⁠島々
ここが面白い
ここには五重の天守が建ち、屏風絵から石垣の上25〜30mほどの高さだったと⁠考えられています。発掘では16か所の礎石と、半地下の「穴蔵」の石垣が見つかりました。本丸からは壱岐、その先に対馬を望むことができ、海の向こうへ兵を送る城として場所が選ばれたことがよく分かります。博物館は、初冬には対馬が見えると⁠案内しています。[2][13]
見られるか
外から見られる城跡は外から歩いて見学できる。天守台の建物はない。
02
本丸の石垣。角の部分が大きく崩され、石が斜面に散らばっている(2005年5月撮影)。城は江戸時代の初めに壊されたと考えられている。Aboshi at the Japanese language WikipediaCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

わざと⁠崩された石垣

見る場所
本丸のまわりなど城跡の各所
注目する部分
角の部分が大きく欠け、石が斜面に散らばった石垣
ここが面白い
名護屋城は江戸時代の初めに壊された(破却された⁠)⁠と考えられ、石垣が広い範囲で崩されています。役目を終えた城を使えなくするための取り壊しの跡で、建物は一つも残っていません。完全な石垣より、こうした崩れ方にこの城の歴史が表れています。[2][13]
見られるか
外から見られる城跡を歩きながら見られる。崩れた石垣には近づきすぎない。
03
名護屋城のまわりにある大名の陣跡のひとつ、堀秀治陣跡(2013年12月撮影)。もっとも整備が進んだ陣跡とされる。sk01CC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

まわりに残る大名の陣跡

見る場所
名護屋城跡を中心に半径約3kmの範囲。木下延俊陣跡は博物館の裏から見える
注目する部分
丘の上に石垣や⁠土塁で囲まれた陣屋の跡。堀秀治陣跡では御殿や⁠能舞台の跡が分かる
ここが面白い
名護屋には全国から大名が集まり、それぞれが丘に陣屋を建てました。いま150か所あまりの陣跡が確認され、そのうち23か所が城跡と⁠あわせて特別史跡です。徳川家康や⁠前田利家の陣跡もあり、ひとつの城のまわりに当時の有力大名がそろった、ほかにない遺跡です。堀秀治陣跡はもっとも整備が進んだ陣跡と⁠されます。[3][4]
見られるか
一部見られる整備された陣跡と⁠未整備の陣跡がある。場所によっては車が必要。

訪問の目安

最寄り駅
昭和バス「名護屋城博物館入口」バス停から徒歩約5分
登り
未確認
所要時間の目安編集部の目安
城跡は博物館の目安で30〜40分(博物館→三⁠ノ丸→本丸→博物館)⁠。二ノ丸なども回るならもっと⁠長め。博物館の展示も見るなら1時間ほど足すと⁠よい(編集部の目安)⁠。
料金
無料(特別企画展は有料)⁠。黄金の茶室の観覧も無料
時間
9:00〜17:00
立入り
自由に見学できる

城跡は外から歩いて見学できる。大学生以上には城跡の清掃協力金(100円)への協力が⁠呼びかけられている。博物館の常設展は無料(特別企画展は有料)⁠。城跡の案内は予約制(名護屋城跡観光案内所 0955-82-5774)⁠。

確認日:

この城の物語

01
研究上の解釈

海に突き出た半島のいちばん高い⁠所

名護屋城は、玄界灘に⁠突⁠き⁠出たなだらかな半島の最も高い所に築かれました。本丸からは目の前に壱岐、その先に対馬が見えます。朝鮮半島へ兵を送る拠点と⁠して、海の見晴らしのよさが場所選びの決め手になったと⁠考えられています。[13]

02
史実

秀吉の命令で、数か月で完成

城は1591年、豊臣秀吉の命令で⁠築⁠き⁠始められました。工事は大名たちに区域を割り当てる「割普請(わりぶしん)⁠」⁠で進められ、わずか数か月で一応の完成を見たと⁠いわれます。広さは約17ヘクタールで、当時は大坂城に次ぐ大きさの城でした。[1][2][12]

03
史実

朝鮮半島への出兵の拠点

1592年に始まった文禄・慶長の⁠役(朝鮮出兵)で、名護屋城は朝鮮半島への侵略の拠点になりました。秀吉自身も1年あまりここに滞在しています。まわりには全国の大名が陣屋を建て、20万人を超える人が⁠集まったとされます。城では黄金の茶室も使われ、茶会や⁠外国の使節を迎える⁠場にもなりました。[1][2][10][12]

04
史実

秀吉の死で7年の役目を終える

1592年の開戦から、1598年に秀吉が亡くなって大名たちが⁠引⁠き⁠揚げるまでの7年間、名護屋城は大陸へ向かう拠点でした。戦いが終わると⁠城は使われなくなり、江戸時代の初めに壊されたと⁠考えられています。[1][2][15]

05
史実

建物は消え、崩された石垣が残った

いま建物は一つも残っていません。石垣は広い範囲で⁠崩されていますが、曲輪(くるわ)⁠や⁠虎口(こぐち。城の出入口)⁠の形はよく残っています。発掘では本丸御殿の礎石や⁠玉石敷きが見つかり、秀吉の御殿の跡が確かめられた城跡は名護屋城だけと⁠博物館は説明しています。本丸の大手門は伊達政宗が仙台へ移したと⁠いう言い伝えもあります。[2][13]

06
史実

史跡指定から100年

城跡と⁠陣跡は1926年に国の史跡、1955年に特別史跡になりました。2026年は最初の指定から100年にあたります。1976年から陣跡の調査と⁠整備が始まり、1993年には佐賀県立名護屋城博物館⁠が開館しました。いまも発掘や⁠石垣の修理、本丸御殿跡の平面表示が⁠続けられています。[4][11][13]

この城の人びと

年表

  1. 豊臣秀吉の命令で築城が始まる[2][12]

  2. 文禄の役が始まり、名護屋城が出兵の拠点になる[1][10]

  3. 秀吉が亡くなり、大名たちが引き揚げる[1][15]

  4. 名護屋城跡と⁠陣跡が国の史跡に指定される[11][13]

  5. 特別史跡に指定される[12][13]

  6. 佐賀県立名護屋城博物館⁠が開館[4]

建物と⁠遺構

天守の状態

天守は失われた

五重の天守があったが失われ、天守台の石垣だけが残る。天守台の上は礎石の位置を示す基礎の表示と⁠して整備されている。

城全体のいま

建物はなく、石垣・曲輪・虎口などの遺構が残る城跡と⁠して公開されている。城跡の南に佐賀県立名護屋城博物館⁠がある。まわりに大名の陣跡が点在する。

主な建物

現存しない

天守

屏風絵に五重の天守が描かれている。天守台は保存整備され、礎石の位置が表示されている。[2]

跡地のみ

本丸御殿

発掘で礎石や⁠玉石敷きが確認され、芝生や⁠模擬石で平面表示を進めている。[2]

跡地のみ

本丸大手門

門の跡が残る。伊達政宗が仙台の城へ移したと⁠いう言い伝えがある。[2]

跡地のみ

山里丸の草庵茶室

秀吉の居館があった山里丸(いまの広沢寺のあたり)で、茶室の跡などが発掘された。[2]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
近世編集部記事
天守の状態
天守は失われた天守はあったが、今は残っていない(天守台などが残る場合がある⁠)編集部記事
築城者
豊臣秀吉日本城郭協会
築城
天正20年(1592)日本城郭協会
主な城主
豊臣氏日本城郭協会
廃城
慶長3年(1598年)Wikipedia
見られる遺構
石垣・堀・井戸・曲輪・虎口・天守台編集部記事
文化財指定
国史跡(名護屋城跡並陣跡)(1926年)⁠、国特別史跡(名護屋城跡並陣跡)(1955年)編集部記事
名城選定
日本100名城 87番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は外から歩いて見学できる。大学生以上には城跡の清掃協力金(100円)への協力が⁠呼びかけられている。博物館の常設展は無料(特別企画展は有料)⁠。城跡の案内は予約制(名護屋城跡観光案内所 0955-82-5774)⁠。

住所

〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3(佐賀県立名護屋城博物館)[6][16]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

昭和バス「名護屋城博物館入口」バス停昭和バス呼子線・野元・名護屋線など(JR唐津駅近くの大手口バスセンター、JR西唐津駅前から⁠)

徒歩約5分 · 未確認

バス停から博物館まで約300m。JR唐津駅からは大手口バスセンターまで徒歩約8分。路線によっては呼子で乗り換え。時刻や⁠運賃は昭和バスのサイトで確認を。[6]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

佐賀県立名護屋城博物館
時間
9:00〜17:00
休館・休み
月曜(祝日の場合はその翌平日)⁠、12月29日〜31日、1月1日〜3日
料金
無料(特別企画展は有料)⁠。黄金の茶室の観覧も無料[5][10][16]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

博物館の駐車場(無料・普通車58台、バス6台、城跡と⁠共用)⁠。混雑時は西側の多目的広場駐車場⁠も使える。唐津から国道204号で約30分(博物館の案内)⁠。[6][7]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
城跡は博物館の目安で30〜40分(博物館→三⁠ノ丸→本丸→博物館)⁠。二ノ丸なども回るならもっと⁠長め。博物館の展示も見るなら1時間ほど足すと⁠よい(編集部の目安)⁠。
階段・坂・足もと
大手口から長い坂を上って三ノ丸へ入る。一般駐車場から博物館の入口までも長い坂道。[2][8]
車椅子・ベビーカー
博物館の横に身障者用駐車場⁠が3台分あり、スロープで入館できる。2階展示室へはエレベーターあり。身障者対応トイレ⁠は1階と⁠2階(2階はオストメイト対応)⁠。車いす3台・ベビーカー2台⁠を貸し出し。城跡の通路のバリアフリー状況⁠は未確認。[8]確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
博物館の1階ホール横と⁠2階常設展示室入口横⁠にトイレあり[8]
英語案内・音声ガイド
博物館に英語・韓国語・中国語のページがある。英語ページによると、常設展で使える無料の音声ガイド(韓国語・英語・中国語)⁠を受付で貸し出している。[15]
季節の楽しみ
春は大手口の坂で桜が咲く。初冬は天守台から対馬が見えることがある。[2]
撮影のルール
博物館の常設展示は撮影できる(撮影禁止マーク⁠のある資料を除く)⁠。フラッシュや⁠三脚は使えない。[9]
工事・休館・立入制限
史跡指定100周年記念企画展「名護屋城阯竝陣阯」を2026年10月9日〜11月29日⁠に開催(観覧無料、11月1日までが前期、11月3日からが後期)⁠。10月10日(土)⁠は8:15〜12:20ごろ、自転車レースのため博物館周辺⁠で大規模な交通規制の予定。11月22日(日)⁠は第6回名護屋城大茶会。[11]確認日: 2026-10-03

歩きかたの⁠例

博物館から本丸へ城跡ひとまわり 40分

  1. 名護屋城博物館⁠を出発
  2. 大手口の長い坂を上って三ノ丸へ
  3. 三ノ丸から本丸へ入り、崩された石垣や⁠御殿跡の表示を見る
  4. 天守台に上り、海と⁠島々を眺める
  5. 博物館へ戻る

順路と⁠時間は博物館の案内(30〜40分)⁠による。二ノ丸なども回るなら時間に余裕をもって。

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

天守や⁠櫓より、城がどう使われ、どう消えたかに興味がある人。日本と⁠朝鮮半島の歴史を学びたい人。海の見える広い城跡を歩きたい人に向く。

ここを見ると⁠面白い

まず天守台に上り、海の向こうへ兵を送った城の立地を確かめたい。次に本丸のまわりで、わざと⁠崩された石垣を見ると、城が役目を終えたあとの扱いが分かる。時間があれば陣跡にも足をのばすと、大名が集まった町の広さが実感できる。

訪ねる前に

建物はなく、石垣と⁠地面の表示を見る城跡。坂が多いので歩きやすい靴で。朝鮮出兵は朝鮮半島に大きな被害を出した戦争で、博物館は日本列島と⁠朝鮮半島の交流の歴史を展示の柱にしている。バスは本数や⁠乗り換えを事前に確認しておくと⁠安心。

楽しみかた

博物館で城と⁠城下町の復元模型を見てから城跡へ出ると、何もない広場がどんな姿だったか想像しやすい。博物館では、秀吉がこの城でも使った黄金の茶室の復元も無料で見られる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    名護屋城とは(名護屋城・陣跡の概要)佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  2. 2
    名護屋城跡佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  3. 3
    諸大名の陣跡佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  4. 4
    保存整備事業佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  5. 5
    利用案内佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  6. 6
    交通アクセス佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  7. 7
    駐車場のご案内佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  8. 8
    バリアフリー情報佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  9. 9
    ご利用時のお願い佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  10. 10
    黄金の茶室佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  11. 11
    史跡指定100周年記念企画展「名護屋城阯竝陣阯」佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  12. 12
    国指定(史跡の部)01 特別史跡名護屋城跡並陣跡佐賀県municipal確認日:
  13. 13
    名護屋城跡並陣跡(国指定文化財等データベース)文化庁heritage確認日:
  14. 14
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  15. 15
    Saga Prefectural Nagoya Castle Museum (English)佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  16. 16
    佐賀県立名護屋城博物館トップページ佐賀県立名護屋城博物館official確認日:
  17. 17
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  18. 18
    Wikipedia「名護屋城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  19. 19
    Wikidata Q711685Wikidatawikidata確認日:
  20. 20
    OpenStreetMap node/12871663877© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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