Kazuhiro TsugitaCC BY 3.0Wikimedia Commonsこの
全長1.5kmの石垣が尾根をうねる北山王の城。王が滅び、役人が去ったあとも、人びとは祈るためにこの城へ通い続けた。
見逃したくない3つ
Kazuhiro TsugitaCC BY 3.0Wikimedia Commons屏風
CEphoto, Uwe AranasCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons城の中の祈りの場「御内原」と御嶽
- 見る
場所 - 大庭
(うーみゃー)の 北側、 一段 高い 御内原 (うーちばる)。 北の 端から 海が 見える - 注目する
部分 - 石垣で
囲まれた 自然石の 拝所 テンチジアマチジ (城内上の 御嶽) と、 北の 端からの 海の 眺め - ここが
面白い - 御内原は
女官が [1][2][8]暮らした 場所と伝えられ、 城内でも 特に 神聖な 場所です。 テンチジアマチジは 今帰仁城で いちばん神聖な 拝所とされ、 古い 歌謡集『おもろさう し』にも 詠まれています。 グスクは 戦いの ための 城であると同時に、 こうした 神を まつる 場所を 抱えていました。 北の 端からは 伊平屋・ 伊是名の 島々や、 晴れた 日には 与論島まで 見えると村は 紹介しています。 - 見られるか
- 一部
見られる 御内原と眺望は見学できる。 拝所は いまも祈りの 場なので、 立ち入りや撮影は 節度を もって。
訪問の目安
- 最寄り駅
- バス停
「今帰仁城跡入口」から 徒歩約15分 - 登り
- 未確認
- 所要時間の
目安 編集部の目安 - 公式の
目安は 城跡内約30分、 歴史文化 センター 約15分。 御内原の 眺めや拝所まで ゆっくり 見るなら 1時間ほど - 料金
- 大人1,000円、
中高生500円、 小学生以下 無料。 10人以上の 団体は 大人800円・ 中高生400円 (2025年9月1日改定)。 今帰仁村歴史文化 センターは 無料開放 - 時間
- 8:00〜18:00
(最終入場17:30)。 5〜8月は 8:00〜19:00 (最終入場18:30)。 1月下旬〜2月上旬の 桜まつり期間は 延長あり - 立入り
- 自由に
見学できる 城跡は
有料 (券売所は グスク 交流 センター 内)。 見学は 徒歩のみ。 城内は 飲食禁止 (休憩所は 可)。 ペットは リードを つければ 同伴できる。 御嶽などの 拝所は いまも祈りの 場。
確認日:
この城の物語
この城の人びと
年表
沖縄の
本土復帰 [18]とともに 国の 史跡に なる
建物と遺構
天守の
もともと天守なし
グスクには
城全体の
城跡全体が
主な建物
平郎門
城壁(六つの郭)
火神の祠
監守が
正殿・北殿・南殿
基本データ
- 種類
- グスク琉球
(沖縄・ 奄美)の 石積みの 城。 祈りの 場でも あった - 地形に
よる 分類 - 山城山の
上に 編集部記事築いた城。 登りが ある - 時代
- 中世編集部記事
- 天守の
状態 - もともと天守なし天守は建
てられなかった 編集部記事 - 築城
- 13世紀末頃日本城郭協会
- 主な
城主 - 怕尼芝、
珉、 日本城郭協会攀安知 - 廃城
- 1665年
(寛文5年) Wikipedia - 見られる
遺構 - 石垣・
曲輪・門 編集部記事 - 文化財指定
- 国史跡
(今帰仁城跡附 編集部記事シイナ 城跡) (1972年)、 世界遺産 「琉球王国の グスク及び 関連遺産群」の 構成資産 (2000年)、 県指定有形文化財 (山北今帰仁城監守来歴碑記) (2002年) - 名城選定
- 日本100名城 98番日本城郭協会
旅の情報
立入り
自由に城跡は
住所
〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101番地[4]
確認日: 2026-10-03最寄り駅と行き方
開館時間・料金
- 時間
- 8:00〜18:00
(最終入場17:30)。 5〜8月は 8:00〜19:00 (最終入場18:30)。 1月下旬〜2月上旬の 桜まつり期間は 延長あり - 休館・
休み - 年中無休
(台風などで 臨時休城あり)
車・駐車場
那覇空
周辺の楽しみ
博物館
今帰仁村歴史文化センター
城跡の
城下町
今泊のフクギ屋敷林と集落
城跡の
編集部ガイド(見どころレビュー)
資料と確認した
こんな人におすすめ
本州の
ここを見ると面白い
まずは
訪ねる前に
城内は
楽しみかた
券売所の
写真
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異説・未確認の点
- 北山が
滅んだ年は 1416年が 通説だが、 1422年とする 説も ある。 - 城を
最初に 築いた 人物は 分かっていない。 舜天王統や英祖王統との つながりを 語る 話は 伝説に 近い。 - 1609年に
薩摩軍に 焼かれた ことは 記録に 残るが、 発掘調査では 焼けた 建物や器は見 つかっていない。 - 攀安知が
城の 神の 石を 斬りつけ、 千代金丸を 川に 投げ捨てたという 話は 伝承。 - 国史跡の
指定年 (1972年)と 2010年の 名称変更は、 公的資料で 直接確認 できず 補助資料 (Wikipedia)に よる。 - 英語の
案内の 範囲、 トイレの 位置の 詳細は 確認 できなかった。
出典
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- 16Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of RyukyuUNESCO World Heritage Centreheritage確認日:
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掲載の状況
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