この
建物がひとつも残らない崖の上の石垣が、瀧廉太郎の「荒城の月」のもとになったと言われる。
見逃したくない3つ
訪問の目安
- 最寄り駅
- JR豊後竹田駅
から - 登り
- 急な
登り - 所要時間の
目安 編集部の目安 - 公式の
おすすめ 散策 ルート は、 本丸 ルート30〜40分、 西の丸 ルート40〜60分、 一周 ルート90〜120分 - 料金
- 高校生以上
300円 (20名以上の 団体 200円)、 小・ 中学生150円 (団体100円)。 現金の ほか クレジットカード・ 交通系ICなども 使える - 時間
- 入城受付 9:00〜17:00
- 立入り
- 一部のみ
見学できる 入城は
有料 (9:00〜17:00受付)。 石垣の 上には 柵が なく、 縁に 近づくと落ちる 危険が ある (滑落事故が 起きている)。 雨の 日と翌日は 石段や坂が 滑りやすい。 史跡の 中には 私有地も ある。 ドローンは 原則禁止。
確認日:
この城の物語
この城の人びと
年表
建物と遺構
天守の
天守は失われた
天守に
城全体の
建物は
主な建物
基本データ
- 種類
- 城
- 地形に
よる 分類 - 山城山の
上に 編集部記事築いた城。 登りが ある - 時代
- 中世・
近世 編集部記事 - 天守の
状態 - 天守は
失われた 天守はあったが、 編集部記事今は 残っていない (天守台などが 残る 場合が ある) - 築城者
- 緒方惟栄、
志賀貞朝、 日本城郭協会中川秀成 - 築城
- 文治元年
(1185)?、 日本城郭協会元徳3年 (1331)?、 慶長元年 (1596) - 主な
城主 - 緒方氏、
志賀氏、 日本城郭協会中川氏 - 廃城
- 明治4年
(1871年) Wikipedia - 見られる
遺構 - 石垣・
曲輪・ 編集部記事虎口・ 櫓・ 櫓台・門 - 文化財指定
- 国史跡
(岡城跡) 編集部記事(1936年) - 名城選定
- 日本100名城 93番日本城郭協会
旅の情報
立入り
一部のみ入城は
住所
〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2889
最寄り駅と行き方
開館時間・料金
車・駐車場
駐車場は
歩きかたの例
公式「本丸ルート」(さくっと30〜40分) 40分
- 料金所
(総役所跡)で 入城料を 払う - 坂道を
登って 大手門跡へ。 大手道 のかまぼこ石を 見る - 西中仕切跡、
太鼓櫓門跡の 巨石の 石垣を 通る - 三の
丸跡で 崖の 上の 高石垣を 見る - 二の
丸跡の 瀧廉太郎像と山の 眺めを 見る - 本丸跡まで
進み、 同じ道を 戻る
ルート名と所要時間は
周辺の楽しみ
博物館
竹田市歴史文化館・由学館
岡城
編集部ガイド(見どころレビュー)
資料と確認した
こんな人におすすめ
天守や櫓が
ここを見ると面白い
三の
訪ねる前に
建物は
楽しみかた
城下の
写真
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異説・未確認の点
- 1185年に
緒方惟栄が 築いたという 話は 伝承。 志賀氏が 岡城に 入った 時期も、 記録から 「1369年以降」と 推定されている。 - 城域の
広さは、 公式サイトは 約100万㎡、 Wikipediaは 約23万4千㎡と していて、 数え方が 違うとみられる。 - 建物の
取り壊しは、 公式は 1874年、 Wikipediaは 1871〜1872年と している。 - 瀧廉太郎が
岡城から 「荒城の 月」の 着想を 得たという 話は 「〜と言われている」と 公式も 書いている。 - 駅から
歩いた 場合の 所要時間、 現地の 英語表示、 ARアプリの 英語対応は 確認 できなかった。
出典
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掲載の状況
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