桜に囲まれた本丸跡の天守風の建物(2018年3月撮影)。1975年に博物館として建てられたもので、2021年12月から改修のため休館している。
Σ64CC BY 3.0Wikimedia Commons

千葉県 · 大多喜町

大多喜城

おおたきじょう

Ōtaki Castle

千葉県大多喜町

城平山城続日本100名城 121番

この城らしさ

丘の上には昭和の天守が立つが、江戸時代から残る建物は、ふもとの高校の玄関脇に⁠立⁠つ⁠門ひとつだけ。

なぜ?

1871年の廃城で城の建物はすべて壊されました。いまの天守の形の建物は、1975年に県の博物館と⁠して建てたもので、当時の資料と⁠江戸時代の一般的な天守を参考にした「推定復元」です。本物と⁠して残ったのは、二の丸跡(いまの県立大多喜高校)⁠に移された薬医門だけです。[2][7][9]

見逃したくない3つ

01
石垣の上に立つ3層の天守風の建物(2018年3月撮影)。鉄筋コンクリート造りで、江戸時代の一般的な天守を参考にした推定の姿。Σ64CC BY 3.0Wikimedia Commons

本丸跡に立つ天守風の博物館

見る場所
本丸跡(大多喜町大多喜481)⁠。城下の町営駐車場から坂を上った丘の⁠上
注目する部分
石垣の上に立つ3層4階の白い外観と、丘の上から見下ろす城下町
ここが面白い
1975年に千葉県立総南博物館(いまの県立中央博物館大多喜城分館)⁠として、鉄筋コンクリート⁠で建てられました。大多喜城に天守があったのか、あったならどんな姿だったのかは資料が乏しく、はっきりしていません。そのため博物館は、残された資料と⁠江戸時代の一般的な天守を参考に「推定復元」したと説明しています。[1][2][3]
見られるか
一部見られる2021年12月27日から施設改修のため休館中で、建物の中には入れない。一部を除き敷地には入れ、外から写真も撮れる。
02
県立大多喜高校の敷地に移された薬医門(2025年4月撮影)。大多喜城の建物で唯一残ったもの。Higa4CC0Wikimedia Commons

城でただひとつ残った薬医門

見る場所
二の丸跡にある県立大多喜高校⁠の玄関脇
注目する部分
門の側面の三角の破風(はふ)⁠の真ん中にある、藩主の家紋「三つ扇」
ここが面白い
廃城のとき城の建物はすべて壊されましたが、この門だけが残りました。大きさから御殿の門だったと⁠考えられています。大多喜水道の工事に力を尽くした小高半左衛門が買い取り、のちに旧制大多喜中学校(いまの大多喜高校)⁠の校門と⁠して寄付したため、いまに伝わりました。県史跡の一部と⁠して指定されています。[2][8][9]
見られるか
一部見られる高校の敷地内にある。観光協会は、高校の校舎には入らないよう、また高校に駐車場はないと⁠案内している。
03
二の丸跡(いまの大多喜高校)に残る大井戸(2025年4月撮影)。周囲約17mあり、本多忠勝の築城のときに掘られたとされる。Higa4CC0Wikimedia Commons

周囲17mの大井戸

見る場所
二の丸跡(県立大多喜高校⁠の敷地内)
注目する部分
円く大きな井戸の縁と、その広さ
ここが面白い
二の丸・三の丸には大小25の井戸があったと⁠いわれ、その中でもこの井戸は周囲約17mと⁠特に大きなものです。本多忠勝の築城のときに掘られたとされ、江戸時代には八角形の井桁の上に屋根をかけ、8個の滑車と⁠16個のつるべおけで水をくみ⁠上げていたと⁠伝わります。[8][9][2]
見られるか
一部見られる高校の敷地内。柵の外から見る形になる。

訪問の目安

最寄り駅
いすみ鉄道大多喜駅から徒歩約15分
登り
少し登る
所要時間の目安編集部の目安
本丸跡と⁠研修館、高校の薬医門・大井戸を回って1時間ほど。駅からの往復と⁠城下町歩きを入れるなら2〜3時間が目安
料金
休館中
時間
休館中
立入り
一部のみ見学できる

博物館(天守風の建物)⁠は2021年12月27日から改修のため休館中で、建物には入れない。一部を除き敷地には入れ、外から写真を撮れる。敷地内の研修館で「大多喜城と⁠城下町」のパネル展示を無料で開いている。薬医門と⁠大井戸は県立大多喜高校⁠の敷地内にあり、校舎には入らないこと。続日本100名城⁠のスタンプは大多喜駅前の観光本陣にある。

確認日:

この城の物語

01
史実

房総の戦国大名どうしが取り合った⁠城

中世の資料では、この地は「小田喜」と⁠書かれ、城も小田喜城と⁠呼ばれていたと⁠考えられています。16世紀の前半に武田(真里谷)氏が入ったと⁠いわれ、天文年間(1532〜1555年)には安房(いまの千葉県南部)⁠の里見氏の重臣・正木氏が入りました。以後4代にわたって、上総(千葉県中部)⁠の正木家の本拠と⁠して栄えました。[1][10]

02
史実

本多忠勝が10万石で入る

1590年に豊臣秀吉が北条氏の小田原城を落とすと、関東に移った徳川家康は、この城を重臣の本多忠勝に与えました。安房の里見氏の力をおさえるためです。忠勝は10万石の城主と⁠して入り、城と⁠城下町を整えました。いまの大多喜の町のもとは、このときにつくられました。[1][2]

03
史実

スペイン人が見た城の⁠姿

1609年、スペイン人のドン・ロドリゴがこの城を訪れ、記録を残しました。城は高台にあって堀に囲まれ、大きな城門は鉄でできていて守りが厳しく、城の中は金や銀で美しく飾られ、立派な武器庫もあったと⁠書いています。当時の城主は忠勝の次男・本多忠朝でした。[1]

04
史実

城主が次々に替わり、小さな藩に

本多家3代のあと、城主は阿部・青山・稲垣家と⁠次々に替わり、石高も10万石から1〜2万石台へと⁠小さくなりました。1703年に松平(大河内)正久が入ってからは、松平家が9代続いて明治を迎えました。[1][2]

05
史実

廃城で建物は壊され、門と⁠井戸が残った

1871年、廃藩置県とともに大多喜城は廃城と⁠なり、城の建物は壊されました。いま残るのは、高校の敷地に移された薬医門と、二の丸の大井戸、城下から本丸へ上る坂の途中にある大多喜水道のトンネル⁠跡などです。大手門は、いすみ鉄道大多喜駅⁠の裏手にあり、いまは跡を示す道しるべが立つだけです。[7][2][9]

06
史実

本丸跡に建った昭和の天守

1966年に本丸跡は大井戸・薬医門と⁠あわせて千葉県の史跡になりました。1975年には本丸跡に、3層4階の天守の形をした鉄筋コンクリート⁠の県立総南博物館⁠が開館し、房総の城と⁠城下町をテーマに刀や鎧などを展示してきました。2006年からは県立中央博物館⁠の大多喜城分館です。2021年12月からは施設改修のため休館しており、再開の時期は公式に⁠示されていません。[1][3][6][7][8]

この城の人びと

年表

  1. 推定

    武田(真里谷)氏が城に入ったと⁠いわれる[1][10]

  2. 本多忠勝が10万石で城主と⁠なる[1][2]

  3. スペイン人ドン・ロドリゴが訪れ、城のようすを記録する[1]

  4. 廃藩置県で廃城。建物が壊される[1][7]

  5. 「上総大多喜城本丸跡附大井戸薬医門」が県史跡になる[8][7]

  6. 天守の形をした県立総南博物館⁠が開館[1][7]

  7. 12月27日から施設改修のため休館[3]

建物と⁠遺構

天守の状態

戦後の再建(復興)

1975年に鉄筋コンクリート3層4階⁠で博物館と⁠して建設。天守があったかどうか、どんな姿だったかは資料が乏しく不明で、博物館は「当時残された資料と⁠江戸期の一般的な天守閣を参考に推定復元」と⁠説明している。城郭協会の一覧の天守欄は「−」。

城全体のいま

本丸跡には県立中央博物館大多喜城分館(休館中)⁠と⁠研修館が建つ。二の丸跡は県立大多喜高校、城域にはいすみ鉄道大多喜駅⁠も含まれる。ふもとには城下町の町並みが残る。

主な建物

再建(復興)

天守風の建物(県立中央博物館大多喜城分館)

1975年建設⁠の推定復元。2021年12月から休館中。[1][2][3]

移築して現存県史跡「上総大多喜城本丸跡」の⁠附(つけたり)

薬医門

城でただひとつ残った建物。御殿の門と⁠考えられ、県立大多喜高校⁠の玄関脇に移されている。[2][8][9]

跡地のみ県史跡「上総大多喜城本丸跡」の⁠附

大井戸

二の丸跡(大多喜高校敷地内)⁠。周囲約17m。[8][9]

現存しない

大手門

いすみ鉄道大多喜駅⁠の裏手にあった。いまは跡を⁠示⁠す⁠道しるべのみ。[9][2]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
中世・近世編集部記事
天守の状態
戦後の再建(復興)昭和以降に建て直した天守。形や⁠位置が当時と⁠違う場合がある編集部記事
築城者
真里谷(武田)信清日本城郭協会
築城
16世紀前半日本城郭協会
主な城主
本多氏、松平氏日本城郭協会
廃城
明治4年(1871年)Wikipedia
見られる遺構
土塁・堀・堀切・曲輪・井戸・石垣・⁠門編集部記事
文化財指定
千葉県指定史跡(上総大多喜城本丸跡附大井戸薬医門1棟)(1966年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 121番日本城郭協会

旅の情報

立入り

一部のみ見学できる

博物館(天守風の建物)⁠は2021年12月27日から改修のため休館中で、建物には入れない。一部を除き敷地には入れ、外から写真を撮れる。敷地内の研修館で「大多喜城と⁠城下町」のパネル展示を無料で開いている。薬医門と⁠大井戸は県立大多喜高校⁠の敷地内にあり、校舎には入らないこと。続日本100名城⁠のスタンプは大多喜駅前の観光本陣にある。

住所

〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481[5][6]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

いすみ鉄道大多喜駅いすみ鉄道いすみ⁠線(JR外房線大原駅⁠で乗り換え)

徒歩約15分 · 少⁠し登る

駅から城下町を抜けて本丸跡へ約15分。最後は城下の駐車場から本丸へ上る坂道で、途中に大多喜水道のトンネル跡がある。JR外房線茂原駅から小湊バスで「久保」下車なら徒歩約20分。[5][2]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

県立中央博物館大多喜城分館(天守風の建物)
時間
休館中
休館・休み
2021年12月27日から施設改修のため休館(再開時期は未発表)
料金
休館中[3][12]
確認日: 2026-10-03
研修館の展示「大多喜城と⁠城下町」
時間
9:00〜16:00(2022年3月14日から当分の間)
休館・休み
未確認
料金
無料[4]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

圏央道市原鶴舞ICから国道297号で大多喜方面へ約20分。車は町営の城下駐車場へ(本丸跡まで徒歩約5分、大型バスも可)⁠。料金は未確認。[5][2]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
本丸跡と⁠研修館、高校の薬医門・大井戸を回って1時間ほど。駅からの往復と⁠城下町歩きを入れるなら2〜3時間が目安
階段・坂・足もと
本丸跡は丘の上にあり、城下の駐車場から坂道を上る。[2]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
分館の外国語ページには内容がなく、英語の案内は確認できなかった。[12]
季節の楽しみ
春は本丸の丘が桜に包まれる。秋には毎年「大多喜お城まつり」が開かれ、本多忠勝の一行にふんした武者行列が城下を歩く。[2][7]
撮影のルール
休館中も敷地内から城の写真は撮れる。テレビ番組などの外観撮影は事前に分館へ連絡し、休館中は館内の撮影はできない。[3][13]
工事・休館・立入制限
分館は2021年12月27日から施設改修のため休館中(2026年10月3日時点⁠で再開日の公式発表なし)⁠。[3][12][6]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

城下町

渡辺家住宅

1849年に建てられた城下町の商家。代表的な商家造りの住宅と⁠して国の重要文化財。大多喜町久保126。[14][8]

確認日: 2026-10-03

城下町

良玄寺

本多忠勝が大多喜に入ったときに菩提寺と⁠して建てた寺で、忠勝の墓所がある。大多喜町新丁180。[14]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

本多忠勝が好きな人、城と⁠城下町をセットで歩きたい人、いすみ鉄道ののんびりした旅と⁠組み合わせたい人に向く。博物館は休館中なので、建物の中の展示が目当ての人は再開を待つほうがよい。

ここを見ると⁠面白い

丘の上の天守風の建物は昭和の建物で、姿は推定。本物の城の名残は、ふもとの高校にある薬医門と⁠大井戸、坂道のトンネル跡に残る。新しい建物と⁠古い遺構を見分けながら歩くと、この城がどこまで分かっていて、どこからが⁠分からないのかが見えてくる。

訪ねる前に

分館は2021年12月から休館中で、再開の時期は公式に示されていない。行く前に分館のサイトで最新の案内を確認したい。薬医門と⁠大井戸は高校の敷地にあるので、授業の妨げにならないよう静かに見学したい。

楽しみかた

大多喜駅の前の観光本陣で続100名城のスタンプを押してから、城下町を抜けて本丸へ上ると、城と⁠町のつながりが分かりやすい。研修館のパネル展示で本多3代と⁠大河内松平家の歴史をおさえてから、高校の薬医門へ下りると⁠よい。

訪問者レビュー

レビュー募集中

この城を訪ねた方の声を募集しています。

レビューを書く
評価

体験に基づかない投稿・宣伝・個人情報を含む投稿は公開しません。

異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    当館について(大多喜城の歴史・歴代の城主)千葉県立中央博物館大多喜城分館official確認日:
  2. 2
    Q&A千葉県立中央博物館大多喜城分館official確認日:
  3. 3
    大多喜城分館の休館について千葉県立中央博物館大多喜城分館official確認日:
  4. 4
    研修館で「大多喜城と⁠城下町」を紹介しています千葉県立中央博物館大多喜城分館official確認日:
  5. 5
    交通アクセス千葉県立中央博物館大多喜城分館official確認日:
  6. 6
    【現在休館中】大多喜城(県立中央博物館大多喜城分館)大多喜町municipal確認日:
  7. 7
    大多喜お城まつりのご紹介大多喜町municipal確認日:
  8. 8
    大多喜町の国・県指定および国登録文化財千葉県教育委員会heritage確認日:
  9. 9
    大多喜城など大多喜町観光協会tourism確認日:
  10. 10
    大多喜城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  11. 11
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  12. 12
    中央博物館大多喜城分館(トップページ)千葉県立中央博物館official確認日:
  13. 13
    ご利用案内・資料の利用千葉県立中央博物館大多喜城分館official確認日:
  14. 14
    名所・旧跡千葉県夷隅地域振興事務所municipal確認日:
  15. 15
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  16. 16
    Wikipedia「大多喜城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  17. 17
    Wikidata Q2968402Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

現地の変化や⁠誤り、使ってよい写真をご存じでしたらお知らせください。

情報の訂正・写真の提供