この
標高583mの山の上に、天守と27の櫓が白く並んでいた。城下からは雪に見えたと歌われた城。
見逃したくない3つ
訪問の目安
- 最寄り駅
- 近鉄壺阪山駅
から 徒歩約120分 - 登り
- 急な
登り - 所要時間の
目安 編集部の目安 - 壺阪山駅から
歩いて 往復するなら、 城内を 見る 時間も 入れて 4〜5時間が 目安 - 料金
- 未確認
- 時間
- 9:30〜16:30
- 立入り
- 自由に
見学できる 城跡は
山の 中に あり、 登山道を 歩いて 入る。 車は 城内に 入れない。 城内に 売店・ 自動販売機・ 水道・ 電気は ない。 登城道の 石垣には 崩れる おそれの ある 所が 多いので 近づかない こと。 日本100名城 スタンプは 城内ではなく、 城下町の 観光案内所 「夢創舘」に ある (閉館時は 館外に 設置)。
確認日:
この城の物語
南朝方の武士が山の上に築いた
高取城は、
この城の人びと
城を
本多利久
Honda Toshihisa
?–1603
豊臣秀長に
植村家として
植村家政
Uemura Iemasa
1589–1650
徳川家に
改修
筒井順慶
Tsutsui Junkei
1549–1584
大和
城主
本多氏
Honda clan
城主
筒井氏
Tsutsui clan
築城
本多利朝
Honda Toshimasa
?–1610
城主
越智氏
Ochi clan
城主
小出氏
Koide clan
年表
建物と遺構
天守の
天守は失われた
3重の
城全体の
高取山
主な建物
基本データ
- 種類
- 城
- 地形に
よる 分類 - 山城山の
上に 編集部記事築いた城。 登りが ある - 時代
- 中世・
近世 編集部記事 - 天守の
状態 - 天守は
失われた 天守はあったが、 編集部記事今は 残っていない (天守台などが 残る 場合が ある) - 築城者
- 越智邦澄、
本多利朝 日本城郭協会 - 築城
- 元弘2年
(正慶元、 日本城郭協会1332) 頃、 天正13年 (1585) - 主な
城主 - 越智氏、
本多氏、 日本城郭協会植村氏 - 廃城
- 明治6年
(1873年) Wikipedia - 見られる
遺構 - 石垣・
堀・ 編集部記事井戸・ 曲輪・ 虎口・ 天守台 - 文化財指定
- 国史跡
(高取城跡) 編集部記事(1953年) - 名城選定
- 日本100名城 61番日本城郭協会
旅の情報
立入り
自由に城跡は
住所
確認日: 2026-10-03最寄り駅と行き方
開館時間・料金
車・駐車場
城まで
歩きかたの例
バスで上って歩いて下りる高取城と城下町コース 240分
- 近鉄壺阪山駅
から バスで 壺阪寺前へ (約11分。 平日は 運休) - 壺阪寺から
歩いて 高取城へ (約1時間。 八幡口から 入城) - 本丸の
石垣と天守台を 見る - 二ノ門跡へ
下り、 寄り道して 国見櫓跡からの 眺めを 見る - 猿石を
見て 大手道を 下り、 上子島砂防公園へ (約70分) - 土佐街道の
城下町を 歩いて 壺阪山駅へ (約50分)
順路と区間の
周辺の楽しみ
城下町
子嶋寺
高取城の
城下町
土佐街道(高取の城下町)
壺阪山駅から
編集部ガイド(見どころレビュー)
資料と確認した
こんな人におすすめ
山歩きが
ここを見ると面白い
いちばんの
訪ねる前に
城内に
楽しみかた
城下町の
写真
訪問者レビュー
この
レビューを書く
異説・未確認の点
- 1332年に
越智氏が 築いたという 始まりは 「とされている」伝承の 段階。 - 日本城郭協会は
築城者を 「本 多利朝」と記しているが、 町の 観光協会は 「本多利久」としている。 この 記事は 観光協会の 表記に 合わせた。 - 櫓の
数は 資料に よって 異なる (観光協会は 27の 櫓、 ほかに 22基の 櫓と5基の 多門櫓とする 資料も ある)。 - 百名城
スタンプの 屋外の 設置場所 (入口の 右か 左か)は 観光協会の ページで 記載が 分かれている。 夢創舘の 料金、 英語案内、 写真の ルールは 確認 できなかった。 - 明治に
建物が なくなった 経緯は、 売却されたという 記録と、 放置されて 自然に 崩れたという 説明の 両方が ある。
出典
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
掲載の状況
- 候補を
発見 確認済み - 城郭・
城跡として 確認済み確認 - 基本情報を
掲載 確認済み - 詳細記事を
掲載 確認済み - 写真の
利用条件を 確認済み確認 - 訪問情報を
確認 確認済み
近くの城
現地の
