南の堀越しに見た石垣と郷土博物館(1954年の模擬天守)(2012年9月撮影)。
t-mizoCC BY 2.0Wikimedia Commons

富山県 · 富山市

富山城

とやまじょう

Toyama Castle

富山県富山市

城平城続日本100名城 139番

この城らしさ

江戸時代に一度も建たなかった天守が、戦災から9年後の博覧会で建った。

なぜ?

富山藩は1661年に幕府から天守を建てる許しを得ましたが、お金が足りず、幕末まで⁠建てられなかったと⁠考えられています。いまの天守は、1945年の空襲から立ち直った記念に1954年の博覧会で建てられた、鉄筋コンクリート⁠の模擬天守です。この建物そのものが「戦災復興を代表する建築」と⁠して国の登録有形文化財⁠になっています。[9][10][5][13]

見逃したくない3つ

01
南の堀越しに見た石垣と郷土博物館(1954年の模擬天守)(2012年9月撮影)。t-mizoCC BY 2.0Wikimedia Commons

1954年の模擬天守(富山市郷土博物館)

見る場所
城址公園の南西、本丸の正面入口の石垣の⁠上
注目する部分
3重4階の天守と⁠2重の小天守風の櫓がつながった姿と、4階の展望台
ここが面白い
江戸時代の富山城に天守はなかったと⁠考えられており、この天守は昔の姿を写したものではありません。彦根城や⁠犬山城など各地に残る天守を参考に、新しく設計されました。戦災で焼け野原になった町の復興のしるしと⁠して建てられ、いまは富山城の歴史を紹介する博物館です。[1][9][10][13]
見られるか
外から見られる外観はいつでも見られる。⁠中(博物館)⁠は有料。4階の展望台へは階段のみ。
02
郷土博物館の下、本丸の正面入口だった鉄門跡の折れ曲がった通路(2009年12月撮影)。奥の石垣に大きな鏡石が並ぶ。ぺ有家音CC0Wikimedia Commons

鉄門跡の鏡石

見る場所
郷土博物館の下、本丸の正面入口(鉄門跡)⁠の折れ曲がった通路
注目する部分
石垣に組み込まれた、ふつうの石よりずっと⁠大きな6個の⁠石(鏡石)と、石に刻まれた⁠印
ここが面白い
鏡石は城を立派に見せるために置かれた大石です。いちばん大きいものは縦2.8m・横2.7mあります。前田利長が1605年ごろに築き、富山藩初代の前田利次が1661年ごろにいまの形に積み直したと⁠考えられています。公園全体では約90種類・150個以上の刻印も⁠見つかっています。[10][15][14]
見られるか
外から見られる公園の中から自由に見られる。
03
千歳御門(2025年11月撮影)。1849年に建てられた千歳御殿の正門で、2008年に城内へ戻された。旭日桜花CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

江戸時代から残る千歳御門

見る場所
城址公園の本丸東側
注目する部分
門の形と⁠屋根瓦。もとは赤い釉薬をかけた瓦が葺かれていた
ここが面白い
10代藩主前田利保⁠の隠居所「千歳御殿」の正門で、1849年に建てられたことが棟木の墨書で⁠確かめられました。明治時代に民間へ払い下げられて城の外へ移っていたため戦火を逃れ、城の建物と⁠して江戸時代から残るただ一つのものと⁠公園は紹介しています。2008年に城内へ戻されました。[16][17]
見られるか
外から見られる外から自由に見られる。創建時の赤瓦は郷土博物館2階ロビー⁠に展示されている。

訪問の目安

最寄り駅
富山駅南口から徒歩約10分
登り
登りなし
所要時間の目安編集部の目安
公園を歩くだけなら30〜40分、博物館に入るなら1時間〜1時間半⁠が目安
料金
大人210円(20名以上の団体170円)⁠、高校生以下無料。特別展の期間は料金が変わる
時間
9:00〜17:00(入館は16:30まで⁠)
立入り
自由に見学できる

富山城址公園は年中無休で自由に歩ける。郷土博物館(模擬天守)⁠の中は有料。

確認日:

この城の物語

01
史実

大河のほとりの「浮城」

富山城は、かつての神通川のすぐ南の岸に建っていました。当時の神通川は城の北側で大きく曲がって流れ、川幅は約200mもありました。城は川の水を堀に引いて四方を囲み、川の向こうから見ると⁠水に⁠浮かんでいるように見えたため「浮城」とも呼ばれました。いま城の北を流れる松川は、その旧神通川の名残です。[18][19]

02
史実

神保長職が築き、佐々成政が拠点にした

富山城は1543年ごろ、越中の西部を治めていた神保長職が、東の椎名氏との境に築いたとする説が有力です。1560年には上杉謙信に攻められて長職は増山城へ逃れ、その後は上杉方・一向一揆・神保方の間で城の持ち主が何度も変わりました。1581年ごろからは織田信長の家臣・佐々成政がここを拠点に越中を平定しました。[19][20][9]

03
史実

秀吉に囲まれ、戦わずに開城

1585年、豊臣秀吉と⁠対立した成政は、秀吉みずから率いる大軍に城を囲まれ、戦わずに降伏しました。富山城は前田利長の手で壊され、城と⁠しての力を失いました。その後、利長は1605年ごろから城と⁠城下町を本格的に整え、隠居の城と⁠して住みましたが、1609年の大火で城はほとんど⁠焼けてしまいました。[20][19][21]

04
研究上の解釈

富山藩前田家13代⁠の⁠城

1639年、加賀藩から10万石を分けて富山藩ができ、初代藩主の前田利次が富山城に入りました。1661年には幕府の許しを得て城を直し、以後明治まで富山前田家13代⁠の城と⁠なりました。門のある場所だけを石垣にし、ほかは土塁で⁠囲むつくりでした。許可書には天守を建てることも⁠書かれていましたが、度重なる火事や⁠洪水、地震で藩の財政は苦しく、天守は⁠建てられなかったと⁠考えられています。[9][19][21][12]

05
史実

町に飲み込まれ、本丸と⁠西の丸が残った

明治に入ると⁠建物は払い下げられて取り壊され、外側の曲輪(くるわ)⁠は市街地に変わりました。1920年代には城跡を突っ切る道路の計画も出ましたが、保存を求める声で中止になりました。1945年8月⁠の空襲で城跡の木や⁠建物はすべて焼け、その⁠後のがれき処理⁠や⁠道路づくりで堀も次々に埋められて、いまは南側の堀だけが水をたたえています。残ったのは本丸と⁠西の丸の一部で、いまの富山城址公園です。[11][10][6]

06
史実

復興のしるしから、登録文化財へ

1954年、戦災復興事業の完成を祝う富山産業大博覧会⁠が城跡で開かれ、記念に模擬天守が建てられました。会期中は展覧会場「美の殿堂」と⁠して使われ、閉幕後に富山市で最初の博物館と⁠して開館しました。建て替えの話もありましたが、2003年から耐震工事を行って残すことになり、2004年には国の登録有形文化財に、2005年には富山城の歴史を紹介する博物館と⁠して生まれ変わりました。[1][10][13][6]

この城の人びと

年表

  1. ごろ(有力説)

    神保長職が富山城を築く[19][20]

  2. 佐々成政が豊臣秀吉に降伏し、城は壊される[20]

  3. 前田利長が整えた城が大火でほぼ焼失[21]

  4. 富山藩ができ、前田利次が入る[9]

  5. 8月の空襲で城跡の木や⁠建物がすべて焼ける[11]

  6. 富山産業大博覧会⁠の記念に模擬天守が建ち、郷土博物館になる[1][13]

  7. 郷土博物館(富山城)⁠が国の登録有形文化財⁠になる[5][1]

建物と⁠遺構

天守の状態

模擬天守

1954年に富山産業大博覧会⁠の記念と⁠して建てた鉄筋コンクリート⁠造⁠の模擬天守(3重4階)⁠。江戸時代の富山城に天守は⁠建てられなかったと考えられており、昔の姿の復元ではない。国登録有形文化財。

城全体のいま

本丸と⁠西の丸の一部が富山城址公園と⁠して残り、郷土博物館(模擬天守)⁠と佐藤記念美術館、和風庭園がある。二の丸・三の丸は市街地になり、堀は南側だけが残る。

主な建物

再建(復興)国登録有形文化財

郷土博物館(模擬天守)

1954年築の模擬天守。各地の現存天守を参考にした新しい設計。2003〜2005年⁠に耐震改修。[1][5][13]

移築して現存

千歳御門

1849年築の千歳御殿の正門。明治に払い下げられて城外へ移り、2008年に城内へ戻された。[17][16]

現存

本丸鉄門跡の石垣(鏡石)

1605年ごろ⁠築かれ、1661年ごろ⁠積⁠み⁠直されたと⁠考えられる。1858年の地震で一部が崩れている。[15][22]

再建(復興)

本丸東側の石垣

もとは土塁だった場所に、2008年以降⁠に新しく積まれた石垣。史実どおりの復元ではない。[6]

基本データ

種類
城
地形による分類
平城平地に堀をめぐらせて築いた⁠城編集部記事
時代
中世・近世編集部記事
天守の状態
模擬天守天守がなかった城や、姿の分からない城に建てた観光用の天守編集部記事
築城者
神保長職日本城郭協会
築城
天文12年(1543)⁠頃日本城郭協会
主な城主
神保氏、佐々氏、前田氏日本城郭協会
廃城
1871年(明治4年)Wikipedia
見られる遺構
石垣・堀・土塁・曲輪・虎口編集部記事
文化財指定
国登録有形文化財(富山市郷土博物館〈富山城〉)(2004年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 139番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

富山城址公園は年中無休で自由に歩ける。郷土博物館(模擬天守)⁠の中は有料。

住所

〒930-0081 富山県富山市本丸1-62(富山市郷土博物館)[2][3]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

富山駅南口JR北陸新幹線・JR高山本線・あいの風と⁠やま鉄道

徒歩約10分 · 登りなし

南口から南へ歩いて約10分。博物館は歩道に段差がないと⁠案内している。[3][23]

確認日: 2026-10-03
富山地方鉄道市内電車国際会議場前市内電車環状線

徒歩約2分 · 登りなし

電停から徒歩2分。[3][23]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

富山市郷土博物館(模擬天守)
時間
9:00〜17:00(入館は16:30まで⁠)
休館・休み
年末年始(12月28日〜1月4日)⁠、展示替えなどの臨時休館あり
料金
大人210円(20名以上の団体170円)⁠、高校生以下無料。特別展の期間は料金が変わる[2][4]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

専用駐車場はない。城址公園地下駐車場(有料・1時間330円、以後30分ごとに110円)⁠か周辺のコインパーキング⁠を使う。大型バスは城址公園バス専用駐車場(要予約)⁠。[3]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
城址公園は年中無休(開園時間の記載はなし)[23]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
公園を歩くだけなら30〜40分、博物館に入るなら1時間〜1時間半⁠が目安
階段・坂・足もと
平らな町なかの公園で、大きな坂はない。博物館の展望台(4階)へは階段のみ。[2][3]
車椅子・ベビーカー
博物館はスロープと⁠エレベーターがあり、2階の展示室までは段差なく行ける。4階の展望台へは階段のみ。多目的トイレ(車いす対応・おむつ替え台・オストメイト)あり。城址公園地下駐車場⁠に障害者用スペース⁠と⁠エレベーターがある。[2][3]確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
郷土博物館の中にトイレと⁠多目的トイレがある[1][2]
英語案内・音声ガイド
英語の案内・音声ガイドは未確認。
季節の楽しみ
春は城の北を流れる松川沿いの桜が見事。2015年に整えた和風庭園は新緑・紅葉・雪景色も楽しめる。郷土博物館は夜にライトアップされる。[16]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
郷土博物館は2026年10月5日〜9日⁠と10月27日〜30日⁠が休館。10月10日〜12月6日⁠は企画展を開き、この期間の観覧料は大人500円(20名以上の団体400円)⁠、高校生以下無料(常設展も見られる)⁠。[4][8]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

博物館

富山市佐藤記念美術館

城址公園の中にある市立の美術館。東洋の古美術を中心に展示し、茶室で呈茶もしている。9:00〜17:00、大人210円(特別展は別料金)⁠。[2]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

富山駅から歩いて寄れる城を探している人、戦後の町の復興の歴史に興味がある人、石垣の大きな石や⁠刻印を探すのが好きな人に向く。

ここを見ると⁠面白い

天守を「昔の天守の再現」と⁠して見るのではなく、1954年の町の人たちが思い描いた城と⁠して見ると⁠面白い。そのうえで、博物館の下の鉄門跡で鏡石の大きさを体で感じ、千歳御門で江戸時代から残る本物の建物を見ておきたい。

訪ねる前に

いまの天守は1954年の模擬天守で、江戸時代の富山城に天守はなかったと⁠考えられている。城跡は町なかの公園で、残っているのは本丸と⁠西の丸の一部と⁠南側の堀だけ。博物館は展示替えで休むことがあるので、休館カレンダー⁠を確認しておくと⁠安心。

楽しみかた

博物館の4階展望台からは富山の町が見渡せ、1954年の博覧会のときは立山連峰まで見えたと⁠紹介されている。南の堀越しに、石垣と⁠天守が水に映る姿を眺めるのもよい。鉄門跡の鏡石の前では、石の横に並んで大きさを比べてみたい。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    富山市郷土博物館⁠の概要富山市郷土博物館official確認日:
  2. 2
    ご利用案内富山市郷土博物館・富山市佐藤記念美術館official確認日:
  3. 3
    交通アクセス富山市郷土博物館・富山市佐藤記念美術館official確認日:
  4. 4
    令和8年度郷土博物館休館案内富山市郷土博物館official確認日:
  5. 5
    富山市郷土博物館(富山城)とやまの文化遺産(富山県)heritage確認日:
  6. 6
    富山城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  7. 7
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  8. 8
    郷土博物館企画展案内(2026年10月10日〜12月6日)富山市郷土博物館official確認日:
  9. 9
    富山城址の変遷 2/12富山市郷土博物館official確認日:
  10. 10
    富山城址の変遷 10/12富山市郷土博物館official確認日:
  11. 11
    富山城址の変遷 9/12富山市郷土博物館official確認日:
  12. 12
    富山城に天守閣はあったのか(2)富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  13. 13
    富山城址の変遷 11/12富山市郷土博物館official確認日:
  14. 14
    富山城に天守閣はあったのか(1)富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  15. 15
    鏡石の解体から富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  16. 16
    富山城址公園概要・見どころ富山城址公園パークマネジメント共同企業体official確認日:
  17. 17
    幕末期の富山城瓦 (2)千歳御門の赤瓦富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  18. 18
    地理編富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  19. 19
    江戸時代編1富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  20. 20
    戦国時代編2富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  21. 21
    富山城の焼失富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  22. 22
    江戸時代編2富山市埋蔵文化財センターmunicipal確認日:
  23. 23
    アクセス富山城址公園パークマネジメント共同企業体official確認日:
  24. 24
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  25. 25
    Wikipedia「富山城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  26. 26
    Wikidata Q911975Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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