西ノ丸付近から見た障子堀(2009年6月撮影)。堀の底を土の仕切りで区切り、上から見ると障子の桟のように見える。
Mocchy at Japanese WikipediaPublic domainWikimedia Commons

静岡県 · 三島市

山中城

やまなかじょう

Yamanaka Castle

静岡県三島市

城山城日本100名城 44番

この城らしさ

石を一つも使わず土だけで固めた堀が、晴れた日には富士山を背に格子もようを描く。

なぜ?

山中城は小田原の北条氏が箱根の西の山に築いた城で、石垣を使わず、土を掘って盛っただけで守りを固めました。堀の底を土の仕切りで区切った「障子堀」は北条氏の城の特徴です。発掘のあと⁠堀や⁠曲輪(くるわ)⁠が整えられ、天気がよい日は障子堀ごしに富士山が見えると⁠市は案内しています。[1][2]

見逃したくない3つ

01
西ノ丸付近から見た障子堀(2009年6月撮影)。堀の底を土の仕切りで区切り、上から見ると障子の桟のように見える。Mocchy at Japanese WikipediaPublic domainWikimedia Commons

西ノ丸・西櫓の障子堀

見る場所
城の西側、西ノ丸と⁠西櫓のまわり
注目する部分
堀の底に格子状に残された土の仕切りと、何列にも並ぶ堀
ここが面白い
堀の中に土手のような仕切りを掘り残して区切ると、上から見て障子の桟のように見えるので「障子堀」と⁠呼ばれます。市は西櫓・西ノ丸の「複列の障子堀」を見どころの1番目に挙げています。いまは芝で⁠守られていますが、もとは赤土がむき出しで、滑って⁠登りにくい⁠作りでした。[1][2]
見られるか
外から見られる遊歩道から見られる。堀や⁠斜面には入らない。
02
岱崎出丸の畝堀(2007年10月撮影)。堀の底に何本もの畝(うね)が並び、堀の中を横に動けないようにしている。小池隆CC BY 4.0Wikimedia Commons

岱崎出丸の障子堀と⁠畝堀

見る場所
城の南側に長くのびる岱崎出丸
注目する部分
細長い堀の底に、はしごの段のように続く土の⁠畝
ここが面白い
豊臣秀吉との戦いが近づくと、山中城は最前線の拠点と⁠して、出丸などの大改修が行われました。岱崎出丸からは伊豆北部と⁠駿東を一望でき、市は見どころの一つにこの堀を挙げています。2017〜2018年度には崩れた堀の斜面や⁠畝が直されました。[1][2][5]
見られるか
外から見られる遊歩道から見られる。
03

二ノ丸の虎口へ折れ曲がる通路

見る場所
二ノ丸の入口(虎口)⁠へ向かう⁠道
注目する部分
まっすぐ進めないよう何度も曲がる、坂になった通路
ここが面白い
市が見どころに挙げる場所の一つです。城の入口へまっすぐ⁠近づけないようにして、敵の勢いをそぐしかけです。発掘では堀にかかっていた木の橋の跡や⁠門の柱の跡も⁠見つかっています。[1][2]
見られるか
外から見られる遊歩道と⁠して歩ける。

訪問の目安

最寄り駅
JR三島駅(バス)から
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
主な曲輪と⁠岱崎出丸を回って1時間半〜2時間⁠が目安
料金
御城印・武将印は1枚300円(売店が閉まっているときは入口のポストで注文できる⁠)
時間
3〜11月 10:00〜16:00、12〜2月 10:30〜15:30
立入り
自由に見学できる

史跡公園は入園無料で、入場時間の制限はない。ただし照明がなく野生動物が出ることもあるため、夜の入場は控えるよう市が求めている。堀や⁠斜面には入らない。許可のないドローン飛行は禁止。日本100名城スタンプ⁠は売店入口にあり、売店が閉まっていても押せる。

確認日:

この城の物語

01
史実

小田原を西から守る山の上の⁠城

山中城は標高580mの箱根の西の山にあり、二つの川の源流にはさまれた急な斜面に囲まれています。伊豆北部は武田氏・今川氏の領地と⁠接していて、北条氏の本城・小田原城を西から守るかなめの場所でした。城の広さは東西500m、南北1,000mにおよびます。[1]

02
史実

城主を置かない北条氏の⁠城

山中城は、戦国時代の後半に小田原の北条氏(後北条氏)⁠が築いた城です。城主を置かず、守りの兵を交代で置く「番城」でした。築かれた時期を市は1530〜1560年ごろ、城郭協会は1558〜1570年ごろと⁠しています。[1][7]

03
伝承

わずか半日で落ちた⁠城

豊臣秀吉が小田原攻めを始めると、山中城は韮山城・足柄城とともに最前線の拠点と⁠なり、堀や⁠出丸を大きく作り直しました。1590年3月29日、6万7千の豊臣軍が攻めかかり、4千の北条勢は必死に戦いましたが、鉄砲と⁠兵の数に押され、わずか半日で落ちたと⁠伝えられています。城はそのまま⁠使われなくなりました。[1][3]

04
伝承

敵と⁠味方の墓が並ぶ寺

三ノ丸の跡にある宗閑寺には、城主の松田康長をはじめ、敵味方の武将の墓が並んでいます。この寺は、戦死した北条方の武将・間宮康俊の娘が父をとむらうために建てたと⁠伝わります。城は400年近く土に⁠埋もれていました。[1][8]

05
史実

発掘で姿を取り戻した土の⁠城

1934年に国の史跡になり、三島市は1973年から発掘調査を始めました。堀や⁠土塁、木の橋や⁠門の柱の跡が見つかり、20年以上かけて堀や⁠曲輪が整えられ、1981年に史跡公園と⁠して公開されました。2019年の台風と⁠2021年の長雨で堀の斜面が崩れ、市は2026年度の完了を目指して復旧を続けています。[1][3][4]

この城の人びと

年表

  1. 城郭協会は1558〜1570年ごろ、市は1530〜1560年ごろと⁠する

    北条氏が山中城を築く[1][7]

  2. 3月29日、豊臣軍の攻撃で半日で落城、廃城に[1][3]

  3. 国の史跡になる[1]

  4. 三島市が発掘調査を始める[1][5]

  5. 史跡公園と⁠して公開[1]

  6. 台風19号で堀の斜面などが崩れ、復旧工事が始まる[4]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

戦国時代の土づくりの山城で、天守はない(城郭協会の表記は「−」)⁠。

城全体のいま

発掘のあと⁠堀・土塁・曲輪が整えられた史跡公園。建物はなく、堀や⁠土塁は崩れを防ぐため土をかぶせて芝を張って守られている。国道1号沿いにある。

主な建物

跡地のみ

城の建物(櫓・門・橋など⁠)

建物は残っていない。発掘で木の橋や⁠門の柱の跡が見つかった。[1]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
小田原北条氏日本城郭協会
築城
永禄年間(1558~70)⁠頃日本城郭協会
主な城主
小田原北条氏日本城郭協会
廃城
1590年(天正18年)Wikipedia
見られる遺構
曲輪・堀・土塁・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(山中城跡)(1934年)編集部記事
名城選定
日本100名城 44番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

史跡公園は入園無料で、入場時間の制限はない。ただし照明がなく野生動物が出ることもあるため、夜の入場は控えるよう市が求めている。堀や⁠斜面には入らない。許可のないドローン飛行は禁止。日本100名城スタンプ⁠は売店入口にあり、売店が閉まっていても押せる。

住所

静岡県三島市山中新田[8]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR三島駅(バス)JR東海道新幹線・東海道本線、伊豆箱根鉄道駿豆線

急な登り

東海バス(元箱根港行きなど)⁠で約30分、「山中城跡」下車。城跡は山の斜面にあり、遊歩道に上り下りが多い。[2]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

売店(山中城跡)
時間
3〜11月 10:00〜16:00、12〜2月 10:30〜15:30
休館・休み
月曜、年末年始、悪天候などで臨時休業あり
料金
御城印・武将印は1枚300円(売店が閉まっているときは入口のポストで注文できる⁠)[2]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

三島市街から国道1号を箱根峠方面へ約30分、伊豆縦貫道三島塚原ICから約15分。駐車場は売店向かいの広場(乗用車のみ⁠)と、売店から坂を下った大駐車場(バスも可)⁠の2か所で、どちらも無料、9:00〜17:00(時間外は施錠)⁠。[2]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
時間制限なし・入園無料(夜間の入場は控える⁠)[2]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
主な曲輪と⁠岱崎出丸を回って1時間半〜2時間⁠が目安
階段・坂・足もと
山の斜面の城跡で起伏が大きく、土の遊歩道が多い。照明はない。[1][2]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
売店向かいの広場と⁠売店横にトイレあり(西木戸口のトイレは漏水のため使用中止)[2]
英語案内・音声ガイド
現地の英語案内は未確認。
季節の楽しみ
春から晩秋にかけていろいろな花や⁠木が咲く。天気のよい日は障子堀ごしに富士山が見える。[1]
撮影のルール
許可なくドローンを飛ばすことは禁止。[2]
工事・休館・立入制限
災害復旧工事が2026年度まで続く予定で、工事の周りが一時的に通行止めになることがある(2026年10月時点ではすべての遊歩道を見学できると⁠市が案内)⁠。2026年10月25日(日)13時から甲冑武者が城内を回る「山中城ミニ武者行列」がある(雨天中止)⁠。[4][6]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

体験

宗閑寺

三ノ丸跡にある寺。城主・松田康長をはじめ、敵味方の武将の墓が並ぶ。[1]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

石垣や⁠天守ではなく「土の城」のしくみを見たい人、戦国時代の山城をはじめて歩く人、富士山の見える景色が好きな人に向く。

ここを見ると⁠面白い

まず西ノ丸・西櫓の障子堀。整えられた芝の格子は、上から見下ろすと⁠しくみがよく分かる。次に岱崎出丸の長い堀。最後に宗閑寺で、1590年の戦いで亡くなった両軍の墓を見ると、この城が半日で落ちた戦いの重さが伝わる。

訪ねる前に

建物はひとつもなく、見どころは堀と⁠土塁。山の斜面で起伏が大きく照明もないので、歩きやすい靴で明るいうちに行く。売店は月曜休み。

楽しみかた

堀の中の格子が「どうやって敵の動きを止めたか」を考えながら歩くと⁠面白い。晴れた日は西櫓や⁠障子堀のあたりで富士山を探したい。発掘で出た鉄砲玉や⁠日用品は三島市郷土資料館⁠に展示されている。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    山中城跡(国指定文化財「史跡」⁠)三島市教育委員会文化財課municipal確認日:
  2. 2
    史跡山中城跡史跡公園⁠の利用について三島市教育委員会文化財課municipal確認日:
  3. 3
    史跡山中城跡のご案内三島市教育委員会文化財課municipal確認日:
  4. 4
    史跡山中城跡の災害復旧について三島市教育委員会文化財課municipal確認日:
  5. 5
    史跡山中城跡再整備事業三島市教育委員会文化財課municipal確認日:
  6. 6
    山中城ミニ武者行列開催!三島市municipal確認日:
  7. 7
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  8. 8
    山中城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  9. 9
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    Wikipedia「山中城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  11. 11
    Wikidata Q8047874Wikidatawikidata確認日:
  12. 12
    OpenStreetMap node/1948889842© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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