吉野ヶ里歴史公園の環壕集落ゾーンの全景(2013年8月撮影)。弥生時代後期後半(3世紀ごろ)の姿を、遺構の真上に復元している。
Saigen JiroCC0Wikimedia Commons

佐賀県 · 吉野⁠ヶ里町

吉野ヶ里

よしのがりいせき

Yoshinogari Historical Site

佐賀県吉野⁠ヶ里町

城平城日本100名城 88番

この城らしさ

石垣も天守もない弥生時代のムラが、日本100名城⁠に入っている。

なぜ?

吉野ヶ里は、武士の城ではなく、弥生時代の人々が深い⁠壕(ほり)⁠と⁠柵、物見櫓(ものみやぐら)⁠で守った大きな集落の跡です。日本城郭協会はここを「城郭の始まり」と⁠される環壕集落と⁠して100名城に選んでいます。人が集まって住む場所を囲んで守ると⁠いう、城の考え方の出発点を見られる場所です。[18][7][5]

見逃したくない3つ

01
南内郭の物見櫓から見た北内郭(2017年3月撮影)。中央の大きな建物が、まつりごとの中心と考えられている主祭殿の復元。PekachuCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

北内郭の主祭殿

見る場所
環壕集落ゾーン⁠の北側、北内郭の中央
注目する部分
高床の大きな主祭殿と、鍵の形に折れ曲がった入口、まわりの物見櫓
ここが面白い
北内郭は、クニ全体の大事なことを話し合い、祖先をまつった場所と⁠考えられています。主祭殿は柱の太さと⁠間隔から高床の重層の建物と⁠して復元され、2階で会議、3階で祖先のお告げを聞く祈りをしたと⁠いう想定で展示されています。入口がまっすぐ入れない鍵形なのは、古代中国の城郭都市の影響と⁠公園は説明しています。[3][7]
見られるか
外から見られる復元建物に入って見学できる(入園料が必要)⁠。
02
復元されたV字形の壕と柵、奥に物見櫓(2017年10月撮影)。吉野ヶ里の壕は水を張らない「空堀」だったと考えられている。そらみみCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

V字の外壕と⁠逆茂木

見る場所
東口から入ってすぐの環壕入口(当時の東の正門と⁠考えられる所)と、集落をめぐる外壕
注目する部分
断面がV字形の深い壕、外側の土塁と⁠柵、斜めに⁠立てた⁠先のとがった⁠木(逆茂木)
ここが面白い
外壕は南北1km以上、⁠広さ40ヘクタール以上⁠を囲み、ふつうは幅2.5〜3m・深さ2mほど、いちばん大きい所で幅6.5m・⁠深さ3mありました。壕には水を張った跡がなく、中世の城の空堀のような守りの施設と⁠考えられています。のちの時代の城と⁠同じく、まず掘って囲むことが守りの基本だったことが分かります。[5][2]
見られるか
外から見られる園内の通路から見られる。壕や柵は発掘の成果をもとに復元したもの。
03
北墳丘墓の内部(2015年8月撮影)。発掘された本物の甕棺(かめかん)が、見つかった場所のまま見学できる。AbasaaPublic domainWikimedia Commons

北墳丘墓の中の本物の甕棺

見る場所
北内郭のさらに北にある北墳丘墓の内部
注目する部分
見つかった場所のまま公開されている甕棺(かめかん。大きな土器の棺)
ここが面白い
北墳丘墓は、土を何層にも突き固めて造った人工の丘で、歴代の王の墓と⁠考えられています。中から14基の甕棺が見つかり、ガラスの管玉や、持ち手まで青銅でできた珍しい銅剣が一緒に納められていたものもありました。内部は温度と⁠湿度を一定に保ち、遺構を直接見られるようにしています。[4][2][7]
見られるか
外から見られる内部に入って見学できる。出土品の剣や⁠管玉はレプリカの展示。

訪問の目安

最寄り駅
JR吉野⁠ヶ里公園駅から徒歩約15分
登り
未確認
所要時間の目安編集部の目安
遺跡エリア(環壕集落ゾーン⁠と⁠北墳丘墓)⁠をひと通り見るなら2〜3時間が目安
料金
大人(15歳以上⁠)460円、シルバー(65歳以上⁠)200円、中学生以下無料。団体(20名以上⁠)⁠は大人280円。障害者手帳の交付を受けている人と⁠付添1名は無料
時間
9:00〜17:00(6月1日〜8月31日⁠は9:00〜18:00)
立入り
自由に見学できる

吉野⁠ヶ里歴史公園⁠と⁠して公開(有料)⁠。遺跡エリアへは東口が便利。園内の南内郭・北内郭では、弥生人の姿をしたスタッフが随時ガイドをしている(無料)⁠。

確認日:

この城の物語

01
史実

山のふもとから平野へのびる段丘の⁠上

吉野ヶ里遺跡は、脊振(せふり⁠)山地の南のふもとから佐賀平野へのびる細長い段丘の上にあります。佐賀平野の東部には段丘が多く、そのどれにも遺跡があることが昔から⁠知られていました。弥生時代は、日本で稲作が広まり、人が一か所に⁠住⁠み⁠続けるようになった時代です。[1]

02
研究上の解釈

ムラからクニの中心へ

近世の城のように一人の武将が築いたものではありません。弥生時代の前期に、丘のあちこちに小さなムラができ、南の方に壕で囲んだ集落が現れました。集落は前期に約2ヘクタール、中期に20ヘクタール超、後期には40ヘクタール⁠を超える国内最大級の環壕集落へと⁠育ち、まわりのムラをまとめる「クニ」の中心になったと⁠考えられています。[2][13]

03
研究上の解釈

壕と⁠柵と⁠物見櫓で守ったまつりごとの⁠場

最盛期の集落は、V字の外壕と⁠柵、物見櫓で⁠守られていました。中には、まつりごとの場と⁠考えられる北内郭、⁠王⁠やリーダーたちが住んだと⁠考えられる南内郭、物を集めて市を開いたと⁠考えられる「倉と⁠市」がありました。中期から防御が⁠厳しくなっていることから、争いが⁠激しくなっていたことがうかがえます。[2][6][7]

04
研究上の解釈

3世紀中ごろ、ムラは墓地に変わる

3世紀中ごろの弥生時代の終わりになると、集落を囲む環壕はほぼ埋まり、北内郭・南内郭とともに役目を失ったと⁠考えられています。そのころ南内郭のあたりには前方後方墳が築かれ、丘の南部は人が暮らす場所から、人を葬る場所へと⁠変わりました。[2]

05
史実

工業団地の計画から、特別史跡へ

1980年代、佐賀県はこの丘に工業団地をつくる計画を立て、その前の調査と⁠して1986年から本格的な発掘を始めました。その結果、弥生時代の大規模な遺跡の全体像が明らかになり、工業団地の計画は見直されました。遺跡は1990年に国の史跡、1991年に特別史跡になり、北墳丘墓の出土品も1991年に国の重要文化財に指定されています。[1][13][15][16]

06
史実

遺構を土で守り、その上に復元

いまは国と⁠佐賀県が整備する吉野⁠ヶ里歴史公園(計画面積約117ヘクタール)⁠になっています。公園では、最も栄えた3世紀ごろの姿を目標に、大切な遺構を⁠壊さないよう⁠土⁠で覆って守り、その真上に建物を復元しています。2022年からは、それまで⁠調べられていなかった「謎のエリア」の発掘も始まり、2023年には線刻のある石蓋をもつ石棺墓が見つかりました。[2][13][17][19]

年表

  1. 推定(弥生時代中期)

    北墳丘墓が築かれ、銅剣や⁠ガラス管玉が副葬される[1][4]

  2. 推定(弥生時代後期後半)

    北内郭・南内郭をもつ環壕集落が最盛期を迎える[1][2]

  3. 推定

    環壕が埋まり、丘の南部は墓地に変わる[2]

  4. 佐賀県が本格的な発掘調査を始める[1][13]

  5. 国の史跡に指定される[15]

  6. 特別史跡に指定。北墳丘墓の出土品が国の重要文化財に[14][15][16]

  7. 「謎のエリア」で線刻のある石蓋の石棺墓が見つかる[13][17]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

弥生時代の環壕集落なので天守はない。近世の城とは成り立ちがまったく違う。高い建物は物見櫓や⁠祭殿の復元。

城全体のいま

国営吉野⁠ヶ里歴史公園⁠と⁠して整備され、環壕集落ゾーン⁠に弥生時代後期後半⁠の建物や⁠壕・柵が遺構の真上に復元されている。武士の時代の城ではなく、弥生時代の環壕集落の遺跡。

主な建物

再建(復興)

北内郭(主祭殿・物見櫓など9棟)

発掘で見つかった建物跡の上に復元。[7][3]

再建(復興)

南内郭(物見櫓4棟・竪穴住居11棟など20棟)

王⁠や⁠リーダー⁠層⁠の住まいと⁠考えられる区画を復元。[7][6]

再建(復興)

南のムラ(27棟)

一般の人々が住んだと⁠考えられる区画。[7]

外観を復元

北墳丘墓

外観を復元。内部で本物の甕棺14基を見学できる。[7][4]

再建(復興)

外壕・逆茂木・⁠柵

発掘の成果をもとに復元。外壕の一部は遺構保存のため形を変えて復元している。[5]

基本データ

種類
城
地形による分類
平城平地に堀をめぐらせて築いた⁠城編集部記事
時代
古代編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
−日本城郭協会
築城
弥生時代日本城郭協会
見られる遺構
堀編集部記事
文化財指定
国史跡(吉野ヶ里遺跡)(1990年)⁠、国特別史跡(吉野ヶ里遺跡)(1991年)⁠、国重要文化財(佐賀県吉野⁠ヶ里遺跡墳丘墓出土品)(1991年)編集部記事
名城選定
日本100名城 88番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

吉野⁠ヶ里歴史公園⁠と⁠して公開(有料)⁠。遺跡エリアへは東口が便利。園内の南内郭・北内郭では、弥生人の姿をしたスタッフが随時ガイドをしている(無料)⁠。

住所

〒842-0035 佐賀県神埼郡吉野⁠ヶ里町田手1843(吉野⁠ヶ里歴史公園)[8]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR吉野⁠ヶ里公園駅JR長崎本線

徒歩約15分 · 未確認

公園の東口(メインゲート)まで徒歩約15分。駅北口のコミュニティホール⁠でレンタサイクル(1台300円)あり。JR神埼駅からは西口まで徒歩約15分。[9]

確認日: 2026-10-03
西鉄バス「田手・吉野⁠ヶ里歴史公園南」バス停路線バス40番(佐賀駅バスセンターから約40分・600円、西鉄久留米から約40分・670円)

徒歩約5分 · 未確認

田手交差点から北へ約300m、JRの高架をくぐって公園入口へ。運賃と⁠時間は2025年2月1日時点⁠の目安。[9]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

吉野⁠ヶ里歴史公園
時間
9:00〜17:00(6月1日〜8月31日⁠は9:00〜18:00)
休館・休み
12月31日、1月の第3月曜日と⁠その翌日
料金
大人(15歳以上⁠)460円、シルバー(65歳以上⁠)200円、中学生以下無料。団体(20名以上⁠)⁠は大人280円。障害者手帳の交付を受けている人と⁠付添1名は無料[8][10]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

長崎自動車道東脊振ICから県道385号を南へ約5分。駐車場は東口540台など(普通車310円)⁠。2027年3月31日までは新西口開業キャンペーン⁠で普通車・二輪車の駐車料金が無料。[8][9]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
9:00〜17:00(6月1日〜8月31日⁠は9:00〜18:00)[8]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
遺跡エリア(環壕集落ゾーン⁠と⁠北墳丘墓)⁠をひと通り見るなら2〜3時間が目安
階段・坂・足もと
園内は広く、ほぼ平らな道が続く。階段があるのは東口の歴史公園センター⁠前だけで、スロープが併設されている。[10]
車椅子・ベビーカー
東口の階段にはスロープを併設。車いすは各入口で無料貸出(東口6台・電動車いす6台など)⁠。体の不自由な人や⁠高齢者を優先する園内バスがあり、⁠車いす対応車両⁠が1台ある。各トイレにバリアフリートイレあり。[10][8]確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
園内の各所にトイレあり(手すり・ベビーベッドなどを設置)[8][10]
英語案内・音声ガイド
公式サイトに英語ページあり。音声ガイドペン(英語・韓国語・中国語・日本語)⁠を東口インフォメーション⁠で貸出(レンタル料500円+保証金500円、イヤホンなし)⁠。[11]
季節の楽しみ
季節の花の開花情報を公式サイトで案内している(秋はヒガンバナなど)⁠。[20]
撮影のルール
個人の撮影は許可申請不要。場所を独占する撮影や⁠営利目的の撮影(ロケーション撮影)⁠は事前の許可が必要。[12]
工事・休館・立入制限
2027年3月31日まで普通車・二輪車の駐車場が無料(新西口開業キャンペーン)⁠。「謎のエリア」の発掘調査の最新情報は佐賀県の特設サイト「ナゾホルよしのがり」で公開されている。[8][13]確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

城の「はじまり」に興味がある人、弥生時代の暮らしを建物の中に入って感じたい人、子ども連れで広い公園を歩きたい人に向く。

ここを見ると⁠面白い

東口から入ったら、まず外壕と⁠逆茂木で「守るしかけ」を見て、南内郭の物見櫓に上って集落全体を見渡したい。北内郭の主祭殿と⁠鍵形の入口、北墳丘墓の中の本物の甕棺までまわると、守り・まつりごと⁠・墓と⁠いう集落の全体がつかめる。

訪ねる前に

ここは武士の城ではなく、約2000年前⁠の弥生時代の集落跡。建物はすべて発掘の成果や⁠研究をもとにした復元で、細かい形は想定を含む。園内はとても広いので、歩きやすい靴で時間に余裕をもって。

楽しみかた

内郭にいる弥生人の姿のスタッフに話を聞くと、建物の使い道が分かりやすい。毎月第1土曜日⁠と第3日曜日の10時・13時には、東口から遺跡エリアをまわる無料の特別ガイド(予約不要)⁠もある。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    吉野⁠ヶ里遺跡とは吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  2. 2
    吉野ヶ里の歴史吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  3. 3
    北内郭吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  4. 4
    北墳丘墓吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  5. 5
    環壕入口吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  6. 6
    南内郭吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  7. 7
    環壕集落ゾーン吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  8. 8
    利用案内(営業時間・料金等)吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  9. 9
    アクセス吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  10. 10
    障がいのある方へ吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  11. 11
    ガイド吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  12. 12
    写真使用・行為許可について吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  13. 13
    特別史跡吉野⁠ヶ⁠里(よしのがり)遺跡佐賀県municipal確認日:
  14. 14
    国指定(史跡の部)01佐賀県municipal確認日:
  15. 15
    吉野ヶ里遺跡(国指定文化財等データベース)文化庁heritage確認日:
  16. 16
    佐賀県吉野⁠ヶ里遺跡墳丘墓出土品(国指定文化財等データベース)文化庁heritage確認日:
  17. 17
    吉野ケ里遺跡における石棺墓の発掘調査に関しての知事インタビュー(2023年)佐賀県municipal確認日:
  18. 18
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  19. 19
    各ゾーンのご案内吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  20. 20
    吉野⁠ヶ里歴史公園トップページ(お知らせ)吉野⁠ヶ里歴史公園official確認日:
  21. 21
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  22. 22
    Wikipedia「吉野ヶ里遺跡」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  23. 23
    Wikidata Q1049645Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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