離れた場所から見た赤木城跡。丘の上に主郭などの石垣が段になって並ぶ(2016年1月撮影)。
HiyotchiCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

三重県 · 熊野市

赤木城

あかぎじょう

Akagi Castle

三重県熊野市

城平山城続日本100名城 147番

この城らしさ

北山の一揆をおさえるため藤堂高虎が築いた石垣の城。瓦は一枚も⁠見つかっていない。

なぜ?

赤木城は、豊臣秀長の家臣だった藤堂高虎が、検地や⁠新しい支配に抵抗した北山の人びとをおさえるために築いたと⁠伝わる城です。発掘では陶器や⁠礎石建物の跡が⁠見つかりましたが、同じころの城によくある瓦はまったく出ていません。のちに築城の名手と⁠呼ばれる高虎の初期の城が、天正期の姿をよく残しています。[3][4][5]

見逃したくない3つ

01
赤木城跡の石垣。自然の石を積んだ野面積み(2008年7月撮影)。helohelonCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

主郭の石垣と⁠横矢掛り

見る場所
城のいちばん高いところにある主郭のまわり
注目する部分
高さ約4mの石垣の、ところどころで外へ張り出した部分(横矢掛り)と、四隅の石の積み方(算木積み)
ここが面白い
石垣は自然の石をそのまま積んだ野面積みで、反りがありません。張り出しは、攻めてくる敵を横から攻撃するための工夫です。主郭の石垣は他の郭より高く丁寧に積まれ、城の中心にふさわしいつくりになっています。[1][2][3]
見られるか
外から見られる城跡は自由に見学できる。
02

何度も折れ曲がる虎口

見る場所
主郭の南東側、東郭から主郭へ上る通路
注目する部分
通路が何度も曲がる二重の虎口(こぐち。郭の出入口)と、門の礎石
ここが面白い
敵がまっすぐ入れないように通路を何度も折り曲げ、その間に囲んで攻撃するしかけです。下の虎口では石垣が大きく崩れていて、廃城のあとに敵に使われないよう、わざと⁠崩した可能性も⁠考えられています。[1][2]
見られるか
外から見られる整備された石段で通れる。
03

田平子峠刑場跡

見る場所
赤木城の西方の田平子峠。城跡と⁠あわせて国史跡
注目する部分
北山一揆で命を落とした人びとの供養塔
ここが面白い
天正・慶長のころ、検地や⁠大名の支配に抵抗した北山川流域の有力な農民らが、ここで処刑されたとされます。城と⁠刑場がいっしょに国史跡になっているのは、城がこの地をおさえるために築かれた歴史を伝えるためです。[2][3][4]
見られるか
外から見られる城跡から近い峠にある。

訪問の目安

最寄り駅
JR阿田和駅(バス「赤木」下車)から徒歩約10分
登り
少し登る
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと回りして1時間ほどが目安。田平子峠もあわせるならもう少し
立入り
自由に見学できる

城跡は自由に見学できる。続日本100名城スタンプ⁠の設置場所は公式資料で確認できなかったため、熊野市に問い合わせを。

確認日:

この城の物語

01
史実

鉱山と⁠木材の山あい、北山

赤木城のふもとには、田平子峠を越えて入鹿や⁠本宮方面へ抜ける道と、風伝峠から吉野方面へ通じる北山街道が通っています。このあたりは古くから銅などの鉱山資源にめぐまれ、森林も豊かで、熊野の木材がたびたび⁠切⁠り⁠出された記録があります。[2]

02
研究上の解釈

秀長の家臣・藤堂高虎

1585年、豊臣秀吉の紀州攻めで、この地は秀吉の弟・秀長の支配下に入りました。秀長の家臣の藤堂高虎は、この年から1595年に伊予へ移るまで北山のあたりにいて、1587年の北山一揆で一揆方を打ち破ったり、北山の木材の切り出しをしたりしました。赤木城はこのころに整えられたと⁠考えられています。[2][4]

03
史実

築城の年は1588年か1589年か

紀州藩がまとめた『紀伊続風土記』は、天正年間に藤堂高虎が北山代官のときに築き、罪を犯した者を田平子峠で処刑したと⁠伝えます。飛鳥町神山の『倉谷家文書』には、1588年の秀長の北山攻めのあとに築いたと⁠あります。熊野市は1589年ごろの築城と⁠しています。[1][2]

04
研究上の解釈

中世の山城と⁠近世の城のあいだ

城は主郭を中心に、三方の尾根と⁠山すそに⁠郭(くるわ)⁠を置いています。尾根を使った配置は中世の山城を引き継ぐ一方、高く積んだ石垣や⁠横矢掛り、よく発達した虎口は近世の城の特徴です。石垣は麓から見える所ほど高く丁寧に積まれ、見た目も意識していたことが分かります。1614年の慶長の北山一揆のときにも、この城が使われたと⁠考えられています。[1][2][4]

05
史実

建物はなく、石垣と⁠礎石が残る

建物は⁠残っていませんが、石垣と⁠郭の形がよく残っています。発掘では戦国時代から江戸時代初めの陶器や⁠土器、天目茶碗、砥石、釘、礎石建物の跡が見つかりました。生活の場だったと⁠みられる南郭からは、かまどの跡やすり鉢、貝殻も出ています。一方、瓦はまったく出ていません。[1][2][3]

06
史実

崩れた石を拾い直した整備

1989年に田平子峠刑場跡⁠とあわせて国の史跡になりました。整備の前は石垣があちこちで崩れていたため、2004年度まで発掘と⁠整備を続け、痛みのひどい所だけを崩れた石で積み直しました。足りない石は近くの赤木川から集め、新しく足した石の裏には年度を書き、もとからの石垣の上面には鉛の板を差して区別しています。2017年に続日本100名城⁠に選ばれました。[1][2][7]

この城の人びと

年表

  1. 秀吉の紀州攻め。藤堂高虎が北山に入る[2]

  2. 北山一揆を高虎が鎮める[2]

  3. 1588年説もある

    このころ赤木城が築かれる[1][2][4]

  4. 慶長の北山一揆。赤木城も使われたと⁠考えられる[4]

  5. 田平子峠刑場跡⁠とあわせて国史跡に[3][6]

  6. 13年にわたる石垣の積み直しなどの整備が終わる[1]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

天守の記録はない(城郭協会の表記は「−」)⁠。

城全体のいま

棚田の広がる赤木地区の丘の上に、整備された石垣と⁠郭が残る史跡公園。建物はない。主郭には桜が植えられている。

主な建物

跡地のみ

郭内の礎石建物

主郭・西郭などで礎石が見つかり、そのまま展示されている(虎口の門礎石は遺構の上に新しい石を置いて表示)⁠。[2]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
近世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
藤堂高虎、羽田正親日本城郭協会
築城
天正17年(1589)⁠?日本城郭協会
主な城主
藤堂氏日本城郭協会
廃城
元和元年(1615年)Wikipedia
見られる遺構
曲輪・石垣・堀切・土塁・虎口・⁠堀編集部記事
文化財指定
国史跡(赤木城跡及⁠び田平子峠刑場跡)(1989年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 147番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は自由に見学できる。続日本100名城スタンプ⁠の設置場所は公式資料で確認できなかったため、熊野市に問い合わせを。

住所

三重県熊野市紀和町赤木[3][5]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR阿田和駅(バス「赤木」下車)JR紀勢本線

徒歩約10分 · 少⁠し登る

阿田和駅から「平谷行き」バスに乗り「赤木」で降り、徒歩10分。[1]

確認日: 2026-10-03
JR熊野市駅(バスを乗り継ぎ「赤木」下車)JR紀勢本線

徒歩約10分 · 少⁠し登る

熊野市駅から「瀞流荘行き」バスで「道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里」へ行き、「平谷行き」に乗り換えて「赤木」で降り、徒歩10分。[1]

確認日: 2026-10-03

車・駐車場

JR熊野市駅から国道42号・311号経由で約30分(熊野市観光公社⁠の案内では約40分)⁠。熊野尾鷲道路の熊野大泊ICから約40分。駐車場30台(無料)⁠。[1][2][5]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと回りして1時間ほどが目安。田平子峠もあわせるならもう少し
階段・坂・足もと
入口から石段を上って東郭・虎口・主郭へ進む。主郭は麓からの高さ約30m。[1][2]
車椅子・ベビーカー
未確認(石段が多い⁠)[1]確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
トイレあり[5]
英語案内・音声ガイド
公式の英語案内は確認できなかった
季節の楽しみ
春は主郭の桜。朝もやに石垣が浮かぶ姿は「天空の城」と⁠呼ばれる。[1][5]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
特になし(2026年10月3日時点⁠で確認できたもの⁠)確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

城下町

丸山千枚田

「日本の棚田100選」に選ばれた棚田。赤木城跡の周辺案内図に、城跡の近くとして載っている。[2]

確認日: 2026-10-03

博物館

紀和鉱山資料館

赤木城跡からの出土品を展示している。月曜休館。[2]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

石垣の積み方を見比べるのが好きな人、藤堂高虎の城をめぐっている人、山あいの静かな城跡を歩きたい人に向く。

ここを見ると⁠面白い

東郭から虎口を通って主郭へ上る順路そのものが、敵を迎え撃つしかけの体験になる。主郭では横矢掛りの張り出しと⁠隅の算木積みを見たい。石垣の上の鉛板や、石の裏の年度表示を探すと、どこが積み直した所か分かる。

訪ねる前に

公共交通はバスの乗り継ぎになり本数も少ないので、車かタクシーの方が回りやすい。城跡に建物や⁠売店はない。

楽しみかた

主郭からは赤木の集落と⁠棚田が見渡せる。春の桜の時期や、朝もやの出る季節の早朝がおすすめ。出土品は紀和鉱山資料館⁠で見られる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    赤木城跡熊野市municipal確認日:
  2. 2
    国史跡赤木城跡(パンフレット、再版2024年10月)(PDF)熊野市municipal確認日:
  3. 3
    赤木城跡及⁠び田平子峠刑場跡三重県教育委員会heritage確認日:
  4. 4
    赤木城跡及⁠び田平子峠刑場跡(文化遺産オンライン)文化庁heritage確認日:
  5. 5
    赤木城跡熊野市観光公社tourism確認日:
  6. 6
    国指定文化財熊野市municipal確認日:
  7. 7
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  8. 8
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    Wikipedia「赤木城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  10. 10
    Wikidata Q38278530Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

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