鑁阿寺の正面の入口。堀にかかる太鼓橋と楼門(山門)(2019年5月撮影)。寺の境内は、もとは足利氏の館で、いまも四方を堀と土塁が囲む。
shiro524CC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

栃木県 · 足利市

足利氏館

あしかがしやかた

Ashikaga Clan Residence (Banna-ji)

栃木県足利市

城平城日本100名城 17番

この城らしさ

足利将軍家のふるさとの館は、そのままお寺になり、堀と⁠土塁に囲まれた境内と⁠して800年残った。

なぜ?

鑁阿寺は、足利義兼が自分の館の中に建てた持仏堂(家の仏堂)から始まった寺です。館がそのまま寺の境内になったため、四方に門を開き、堀と⁠土塁をめぐらせた武士の館の形がいまも残っています。この寺の境内全体が「足利氏宅跡」として国の史跡になり、日本100名城では「足利氏館」と⁠呼ばれています。[1][3]

見逃したくない3つ

01
鑁阿寺の正面の入口。堀にかかる太鼓橋と楼門(山門)(2019年5月撮影)。寺の境内は、もとは足利氏の館で、いまも四方を堀と土塁が囲む。shiro524CC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

境内を囲む堀と⁠土塁

見る場所
鑁阿寺の境内のまわり。四方の門の⁠前
注目する部分
境内をぐるりと⁠囲む水堀と、その内側の土塁、四方に開いた⁠門
ここが面白い
石垣も天守もない、鎌倉時代前後の武士の館の形を伝えるものです。約4万平方メートル⁠の敷地を堀と⁠土塁で囲み、四方に門を設けた姿が、寺の境内と⁠していまも残っています。城と⁠いうより「堀で囲んだ屋敷」だったことが分かります。[1][3]
見られるか
外から見られる境内の外まわりから見られる。入場無料。
02
国宝の本堂。1299年に足利貞氏が建て直したもので、禅宗様という当時の中国の新しい建て方をいち早く取り入れている。Toshihiro MatsuiCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

国宝の本堂

見る場所
境内の中央。楼門から参道をまっすぐ進んだ⁠先
注目する部分
柱の上の細かい組物や⁠板の扉など、禅宗様と⁠呼ばれる中国風の造り
ここが面白い
足利尊氏の父・貞氏が1299年に建て直した本堂です。禅宗様と⁠いう、当時の中国の新しい建て方をいち早く取り入れた、密教のお寺の仏堂の早い例で、関東地方の禅宗様の古い例と⁠しても貴重と⁠され、2013年に国宝になりました。[1][2][4]
見られるか
外から見られる外から参拝できる。
03
一切経堂(国の重要文化財)。中に八角形の回転式の経棚がある。内部はふだん非公開(2010年11月撮影)。京浜にけCC BY 3.0Wikimedia Commons

鐘楼と⁠一切経堂

見る場所
本堂のまわりの境内
注目する部分
鎌倉時代後期の鐘楼と、大きな一切経堂の建物
ここが面白い
どちらも国の重要文化財です。鐘楼は鎌倉時代後期の建物で、1908年に指定されました。一切経堂は中に八角形の回転式の経棚があり、2000巻あまりのお経を納めています。足利一族の寺と⁠して、室町将軍家や⁠鎌倉公方に守られてきたことが建物から分かります。[2][5][6]
見られるか
一部見られる外観は見られる。一切経堂の内部はふだん非公開で、大きな行事のときや⁠市の文化財公開日に見られる。団体は随時公開。

訪問の目安

最寄り駅
東武足利市駅北口から徒歩約10分
登り
登りなし
所要時間の目安編集部の目安
堀を一周して本堂などを見て45分〜1時間⁠が目安。足利学校もあわせて半日
料金
入場無料
時間
未確認
立入り
自由に見学できる

鑁阿寺の境内(足利氏館の跡)⁠に入場無料で入れる。いまも使われているお寺なので、参拝の場と⁠してのマナーを守る。一切経堂の内部はふだん非公開。境内には地域猫がいて、かむ猫もいるので⁠触らないよう⁠寺⁠が呼びかけている。日本100名城スタンプ⁠の場所は未確認。

確認日:

この城の物語

01
史実

足利氏のふるさとの⁠館

足利は、のちに室町幕府を開く足利氏のふるさとです。足利氏はこの地に館をかまえました。城郭協会は、館がつくられたのは平安時代の終わりから鎌倉時代の初めごろで、築いたのは足利義兼と⁠しています。[3][1]

02
史実

館の中のお堂から寺へ

1196年、源氏の流れをくむ足利氏の2代目・足利義兼は出家し、館の中に大日如来をまつる持仏堂を建てました。これが鑁阿寺の始まりと⁠され、寺の名前は義兼の出家後の名「鑁阿」から来ています。義兼の子・義氏が大きな本堂を建てました。[1][2][7]

03
史実

堀で囲んだ武士の屋敷

足利氏館は、山の上の城や⁠石垣の城とはちがう、平地の武士の館です。屋敷のまわりに堀を掘り、土を盛った土塁で囲んで、四方に門を開きました。江戸時代の城のような天守や⁠石垣はなく、もともとこうした屋敷の形でした。[1][3]

04
史実

落雷と⁠1299年の再建

義氏が建てた本堂は落雷で⁠焼けてしまいました。足利尊氏の父・貞氏が1299年に建て直し、このとき禅宗様をいち早く取り入れました。この本堂がいまの国宝の本堂です。15世紀の初めには大きな改修も行われています。[2][4]

05
史実

足利一族の寺と⁠して守られる

鎌倉時代から室町時代にかけて、鑁阿寺は足利一族の氏寺と⁠して、室町将軍家や⁠鎌倉公方に手厚く守られました。館の建物は⁠残っていませんが、堀と⁠土塁、四方の門と⁠いう館の形は、寺の境内と⁠してそのまま⁠受⁠け⁠継がれました。楼門は13代将軍足利義輝⁠が建て直したものです。[1][2][3]

06
史実

国の史跡と⁠国宝

境内は1922年に「足利氏宅跡」として国の史跡になりました。鐘楼と⁠一切経堂は国の重要文化財、本堂は2013年に国宝に指定されています。楼門・東門・西門・多宝塔・御霊屋・太鼓橋も栃木県の指定文化財です。[1][3][4][5][6]

この城の人びと

年表

  1. 足利義兼が館の中に持仏堂を建てる(鑁阿寺の始まり⁠)[1][2]

  2. 足利貞氏が本堂を再建[2][4]

  3. 鐘楼が国の文化財に指定される(現在の国重要文化財)[5]

  4. 「足利氏宅跡」として国の史跡に[3]

  5. 日本100名城⁠に選ばれる[7]

  6. 本堂が国宝に[2][4]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

中世の武士の館で、天守や⁠石垣はもともとない。

城全体のいま

館の跡全体が真言宗大日派の本山・鑁阿寺の境内になっている。四方の門と、境内を囲む堀・土塁が残る。足利市の中心部にあり、足利学校にも近い。

主な建物

現存国宝

本堂

1299年に足利貞氏が再建。15世紀初めに大改修。2013年国宝。[2][4]

現存国重要文化財

鐘楼

鎌倉時代後期の建物。[5]

現存国重要文化財

一切経堂

寺は1407年に関東管領足利満兼⁠が再建したと⁠説明。内部に八角輪蔵。ふだんは非公開。[2][6]

現存栃木県指定文化財

楼門(山門)

13代将軍足利義輝⁠の再建。仁王像は桃山時代の作。[2]

現存栃木県指定文化財

多宝塔

1692年、5代将軍綱吉の母・桂昌院が再建。[2]

基本データ

種類
城
地形による分類
平城平地に堀をめぐらせて築いた⁠城編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
足利義兼日本城郭協会
築城
平安時代末期~鎌倉時代初期日本城郭協会
主な城主
源氏、足利氏日本城郭協会
見られる遺構
堀・土塁・⁠門編集部記事
文化財指定
国史跡(足利氏宅跡〈鑁阿寺〉)(1922年)⁠、国宝(鑁阿寺本堂)(2013年)⁠、国重要文化財(鐘楼・一切経堂)編集部記事
名城選定
日本100名城 17番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

鑁阿寺の境内(足利氏館の跡)⁠に入場無料で入れる。いまも使われているお寺なので、参拝の場と⁠してのマナーを守る。一切経堂の内部はふだん非公開。境内には地域猫がいて、かむ猫もいるので⁠触らないよう⁠寺⁠が呼びかけている。日本100名城スタンプ⁠の場所は未確認。

住所

〒326-0803 栃木県足利市家富町2220(鑁阿寺)[9]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

東武足利市駅北口東武伊勢崎線

徒歩約10分 · 登りなし

北口を出て中橋を渡り、北へ約5〜10分。堀が目印。[9]

確認日: 2026-10-03
JR足利駅北口JR両毛線

登りなし

北口から県道67号線を西へ進み、2丁目の信号を北へ。堀が目印。徒歩の分数は公式に記載がない。[9]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

鑁阿寺境内
時間
未確認
休館・休み
未確認
料金
入場無料[9]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

北関東自動車道足利ICから約10分。境内の駐車場50台(無料)⁠、太平記館の観光駐車場(無料)⁠。[9]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
堀を一周して本堂などを見て45分〜1時間⁠が目安。足利学校もあわせて半日
階段・坂・足もと
平地で坂はほとんどない。入口の太鼓橋はそり上がった橋。[1]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
未確認
季節の楽しみ
境内の大銀杏(樹齢約650年)⁠は11月下旬に黄葉の見ごろ。節分には「鎧年越」の武者行列が行われる。[2][7]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
境内の地域猫には⁠触らないよう⁠寺⁠が注意を呼びかけている。[1]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

博物館

史跡足利学校

日本でもっとも古い学校と⁠いわれる足利学校の跡。1921年に国の史跡になった。16世紀には宣教師ザビエル⁠が「坂東の大学」と⁠して世界に紹介したと⁠伝わる。鑁阿寺のすぐ近く。[9]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

天守や⁠石垣ができる前の、中世の武士の屋敷の姿を見たい人に向く。足利将軍家のルーツや、国宝の古い仏堂に興味がある人にもよい。駅から平らな道を歩いて行ける。

ここを見ると⁠面白い

まず境内の外を歩き、堀と⁠土塁が屋敷をぐるりと⁠囲む形を確かめたい。楼門前の太鼓橋から境内に入り、国宝の本堂で禅宗様の組物を見上げる。鐘楼や⁠一切経堂、多宝塔もあわせて見ると、足利一族が寺を大切にしてきたことが分かる。

訪ねる前に

100名城のひとつだが、見た目は「お寺」。天守や⁠石垣はもともとなく、堀と⁠土塁が館の名残。いまも信仰の場なので、静かに見学する。

楽しみかた

秋は11月下旬の大銀杏の黄葉に合わせると⁠境内が華やぐ。近くの足利学校と⁠あわせて歩くと、中世の足利の町の歴史をまとめて味わえる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    国宝鑁阿寺(トップページ)鑁阿寺official確認日:
  2. 2
    建築物案内鑁阿寺official確認日:
  3. 3
    足利氏宅跡(鑁阿寺)文化遺産オンライン(文化庁)heritage確認日:
  4. 4
    鑁阿寺本堂文化遺産オンライン(文化庁)heritage確認日:
  5. 5
    鑁阿寺鐘楼文化遺産オンライン(文化庁)heritage確認日:
  6. 6
    鑁阿寺経堂文化遺産オンライン(文化庁)heritage確認日:
  7. 7
    鑁阿寺(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  8. 8
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    アクセス鑁阿寺official確認日:
  10. 10
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  11. 11
    Wikipedia「鑁阿寺」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  12. 12
    Wikidata Q2882839Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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