さかこの
完成目前の城を城主が自ら焼き、100年後に建て直した。
なぜ?
1613年、
見逃したくない3つ
さか江戸時代から残る狸櫓と北虎口門
- 見る
場所 - 二の
丸の 北側。 北虎口門は 藩主の 庭園に 近い北の門 - 注目する
部分 - 石垣と石垣の
間に 櫓をのせた 北虎口門と、 そばの 狸櫓 - ここが
面白い - 城内の
建物の [3]多くは 昭和の 再建ですが、 狸櫓は 藩政時代から 残る 唯一の 櫓、 北虎口門は 唯一残る 木造の 門です。 狸櫓の 正式名は 多聞櫓で、 修理の ときに 狸が 小姓に 化けて 藩主のもとに 現れ、 ここに住 まわせてほしいと 頼んだという 話から、 この 名で呼 ばれるようになったと 伝わります。 - 見られるか
- 一部
見られる 外観は見られる。 内部の 公開は 未確認。
訪問の目安
- 最寄り駅
- 西肥バス
「平戸市役所前」 バス停から 徒歩約10分 - 登り
- 少し
登る - 所要時間の
目安 編集部の目安 - 天守と城内の
櫓・ 石垣を ひと回りして 1時間〜1時間半が 目安 - 料金
- 大人520円、
高校生310円、 小・ 中学生200円。 30名以上の 団体は 大人410円、 高校生250円、 小・ 中学生160円 - 時間
- 8:30〜18:00
(4月1日〜9月30日)、 8:30〜17:00 (10月1日〜3月31日) - 立入り
- 自由に
見学できる 城跡
(亀岡公園)は 歩いて 見学できる。 天守と見奏櫓の 展示施設は 有料。 懐柔櫓は 宿泊施設 (有料・ 予約制)。 学校やツアーなどの 団体は 事前予約が 必要。
確認日:
この城の物語
最初の城と、自らの放火
1599年、
この城の人びと
年表
建物と遺構
天守の
模擬天守
1962年に
城全体の
城跡は
主な建物
狸櫓(多聞櫓)
藩政時代から
北虎口門
現存する
天守
見奏櫓・懐柔櫓・地蔵坂櫓・乾櫓
幸橋御門
1984年の
基本データ
- 種類
- 城
- 地形に
よる 分類 - 平山城平地の
中の 編集部記事丘に 築いた城 - 時代
- 近世編集部記事
- 天守の
状態 - 模擬天守天守が
なかった 編集部記事城や、 姿の 分からない 城に 建てた 観光用の 天守 - 築城者
- 松浦党日本城郭協会
- 築城
- 宝永元年
(1704) 日本城郭協会 - 主な
城主 - 松浦氏日本城郭協会
- 廃城
- 1871年Wikipedia
- 見られる
遺構 - 櫓・
櫓台・ 編集部記事門・ 石垣・ 虎口 - 文化財指定
- 国指定文化財1件編集部記事
- 名城選定
- 日本100名城 90番日本城郭協会
旅の情報
立入り
自由に城跡
住所
〒859-5121 長崎県平戸市岩の
最寄り駅と行き方
開館時間・料金
車・駐車場
駐車場は
編集部ガイド(見どころレビュー)
資料と確認した
こんな人におすすめ
海と城の
ここを見ると面白い
天守の
訪ねる前に
天守は
楽しみかた
天守3階の
写真
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異説・未確認の点
- 天守に
ついて、 公式は 「1962年復元」と しているが、 Wikipediaは 再築後の 平戸城には 天守が なく 乾櫓が代 わりだったとし、 「模擬天守」としている。 本記事では 模擬天守として 扱った。 - 1613年の
放火の 理由は、 幕府の 疑いを 避ける ためとする 説が あるが、 確かではない。 - 完成年は
公式で 1718年。 Wikipediaは 1707年に ほぼ完成としている。 - 日本城郭協会の
一覧では 「国指定文化財1件」と あるが、 どれを 指すかは 確認 できなかった (天守内で 国の 重要文化財 「鐶頭太刀」の 絵図が 紹介されている)。 築城者を 「松浦党」としている 点も、 公式の 説明 (松浦鎮信・ 松浦棟)と表現が 違う。 - 狸櫓・
北虎口門の 文化財指定、 内部公開、 駐車料金、 トイレの 場所、 城跡の 開放時間は 確認 できなかった。 狸櫓の 名前の 由来は 伝承。
出典
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掲載の状況
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