山に囲まれた一乗谷の谷あい(2024年9月)。この細長い谷に、戦国大名朝倉氏の館と城下町がまるごと埋もれていた。
掬茶CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

福井県 · 福井市

一乗谷城

いちじょうだにあさくらしいせき

Ichijodani Asakura Family Historic Ruins

福井県福井市

城山城日本100名城 34番

この城らしさ

城は山の上、殿様と⁠家臣と⁠町人の暮らしは谷底に。戦国大名の城下町が、まるごと⁠土の下から出てきた。

なぜ?

一乗谷は、越前を治めた朝倉氏5代が約100年間本拠とした谷です。谷底には当主の館と⁠武家屋敷・寺・町屋が並ぶ城下町があり、その東の標高約473mの山上に、いざと⁠いうときに立てこもる山城「一乗谷城」がありました。1573年に織田信長に焼かれたあと⁠町は土に埋もれ、50年以上の発掘で戦国時代の城下町の姿が具体的にわかった、全国でもまれな遺跡です。[1][2][3]

見逃したくない3つ

01
朝倉館跡の正面に立つ唐門(2024年9月)。朝倉氏の時代の門ではなく、のちに義景を弔う寺の門として建てられたと伝わる。掬茶CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

朝倉館跡と⁠唐門

見る場所
谷のほぼ中央、一乗谷川の東側。唐門は館跡の正面の堀に面して立つ
注目する部分
三方を囲む堀と⁠土塁、平らな敷地に並ぶ建物の礎石、奥の館跡庭園と⁠高台の湯殿跡庭園
ここが面白い
5代義景が政治を行った館の跡で、敷地は約6,400㎡。土塁の内側に10数棟の建物が並び、のちの将軍足利義昭もここでもてなされました。発掘して整備された戦国大名の館跡は全国でここだけと⁠博物館は紹介しています。唐門は朝倉氏の時代の⁠門ではなく、のちに建てられたものです。[4][2]
見られるか
外から見られる館跡と⁠庭園は自由に見学できる(無料)⁠。
02
復原町並の通り(2023年11月)。発掘調査をもとに、武家屋敷や町屋の並ぶ戦国時代の町を原寸で立体復原している。先従隗始CC0Wikimedia Commons

原寸で立体復原された町並

見る場所
朝倉館跡の対岸(一乗谷川の西側)⁠にある復原町並
注目する部分
土塀に囲まれた武家屋敷、道路に面して並ぶ町屋、井戸や⁠便所まで再現された暮らしの道具
ここが面白い
発掘で見つかった道路や⁠屋敷の跡の上に、建物を実物大で建て直しています。道は防御のために直角に折れたりT字になったりし、町は30m(100尺)⁠を基準に計画的に区画されていたこともわかりました。職人の家や⁠医師の屋敷の跡も見つかり、戦国の町の暮らしが目に見えるかたちで伝わります。[2][5][4][17]
見られるか
外から見られる有料(9:00〜17:00、入場16:30まで⁠)⁠。3〜11月は定時ガイドあり。
03
城下町の北の入口・下城戸跡の巨石(2010年11月)。巨石を積んで四角い空間をつくった桝形(ますがた)の入口だった。663highlandCC BY 2.5Wikimedia Commons

谷を守る城戸と、山上の一乗谷城

見る場所
谷の北端の下城戸跡、南端の上城戸跡、そして東の一乗城山(山上の一乗谷城跡)
注目する部分
下城戸の巨石と⁠高さ約4mの土塁、山上の千畳敷・観音屋敷などの御殿跡と⁠一ノ丸などの曲輪、斜面を縦に切る竪堀
ここが面白い
城下町は南北の城戸で仕切られ、三方を山に囲まれた⁠谷そのものが守りの形でした。その背後の山上に、ふだん住む館とは別に、有事に備えた山城が築かれ、まわりの峰にも支城が⁠置かれていました。「谷の館と⁠町」と⁠「山の城」がセットで一つの城だったことが、ここに来ると⁠よくわかります。[2][4][6][7]
見られるか
一部見られる城戸跡は自由に見学できる。山城へは登山道4ルート⁠で片道30〜75分。急な坂や⁠岩場があり、雨の日や⁠雨の後は登らないよう⁠呼びかけられている。クマ対策が必要。

訪問の目安

最寄り駅
JR一乗谷駅から徒歩約3分
登り
登りなし
所要時間の目安編集部の目安
谷の遺跡と⁠復原町並で約2時間、博物館も入れて半日。山城まで登るなら往復でさらに2〜3時間が目安
料金
一般330円(団体260円)⁠、70歳以上⁠・小中学生100円(団体80円)⁠。障害者手帳をお持ちの方は無料。博物館との共通券は大人820円・高校生580円・小中学生240円・70歳以上360円
時間
9:00〜17:00(入場16:30まで⁠)
立入り
自由に見学できる

谷の遺跡(朝倉館跡・庭園・城戸跡など)⁠と山城跡は自由に見学できる。復原町並と⁠博物館は有料。山城は登山になり、クマに注意が⁠呼びかけられている(遺跡事務所で熊鈴を貸し出し)⁠。

確認日:

この城の物語

01
史実

山に囲まれた細長い⁠谷

一乗谷は福井市の中心から東南へ約10kmの、足羽川の支流・一乗谷川に沿った谷です。三方を山に囲まれ、北に足羽川がある地形は守りに適し、越前の国のほぼ中央にあたる場所でもありました。北の下城戸の外には川の港があり、中国からの品物も売り買いされていたことがわかっています。[4]

02
史実

朝倉氏5代、100年の本拠

朝倉氏はもともと⁠但馬(いまの兵庫県北部)⁠の武士で、南北朝時代に越前へ移りました。初代孝景は応仁の乱をきっかけに越前一国を治める戦国大名と⁠なり、以後5代、100年あまりにわたって一乗谷を本拠にしました。孝景は家訓で、重臣を一乗谷に集めて住まわせることを説いています。[3]

03
研究上の解釈

谷の町と⁠山の城はひとつの⁠城

谷底の城下町は南の上城戸と⁠北の下城戸で仕切られ、その間に当主の館、重臣の屋敷、寺、商人や⁠職人の町屋が並んでいました。館の背後の山上には有事に立てこもる一乗谷城が築かれ、竪堀に守られた御殿群と⁠曲輪群がありました。さらに周りの峰に三峰城・槙山城・成願寺城などの支城を置いて、谷全体を守る仕組みでした。ふだんは谷で暮らして政治を行い、戦いのときは山の城に頼る、戦国時代の城の典型的な形と⁠いえます。[2][4]

04
史実

義昭をもてなし、信長に敗れる

5代義景は、のちの15代将軍足利義昭⁠を一乗谷に迎えて盛大にもてなしましたが、義昭を連れて京へ上ることはしませんでした。義昭を将軍にした織田信長と⁠対立した朝倉氏は、1573年に敗れて滅びます。信長の兵は3日3晩にわたって一乗谷を焼いたとされ、城下町は灰になりました。[3]

05
史実

田畑の下に眠った⁠町

焼けた城下町はそのまま土に埋もれ、一乗谷にそっくり⁠残されていました。庭石が地上に出ていた3つの庭園は早くから⁠知られていましたが、朝倉館跡の庭園は完全に埋まっていて、発掘で約450年ぶりに姿を現しました。道路、屋敷の区画、井戸、職人の道具まで見つかり、戦国時代の城下町の具体的な例が日本ではじめて明らかになりました。[2][4]

06
史実

国の三重指定と⁠博物館

発掘調査は1967年に始まり、1971年に一乗谷城を⁠含む278haが国の特別史跡に指定されました。1991年には4つの庭園が特別名勝、2007年には出土品2,343点⁠が重要文化財と⁠なり、国の三重指定を受けています。2022年10月には福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館⁠が開館し、朝倉館の原寸再現や⁠城下町のジオラマで遺跡の姿を伝えています。[2][8][9][10]

この城の人びと

年表

  1. 朝倉孝景が東軍方と⁠して挙兵し、越前支配へ進む[3]

  2. 義景が足利義昭を南陽寺の花見の歌会などでもてなす[2][3]

  3. 織田信長に敗れて朝倉氏が滅び、一乗谷が焼かれる[3]

  4. 発掘調査が始まる[8]

  5. 一乗谷城を⁠含む278haが国の特別史跡に[8][2]

  6. 4つの庭園が国の特別名勝に[8][2]

  7. 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館⁠が開館[9]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

天守はない(城郭協会の表記は「−」)⁠。山上の一乗谷城は御殿群と⁠曲輪群からなる中世の山城で、ふもとの当主館と⁠一体で使われた。

城全体のいま

谷全体が国の特別史跡。谷底に朝倉館跡・庭園群・寺院跡・平面復原地区と、建物を建て直した復原町並がある。東の山上の一乗谷城跡は登山道で行ける山林。北の入口近くに県立の博物館がある。

主な建物

木造で復元

復原町並(武家屋敷・町屋)

発掘で見つかった遺構の上に原寸で立体復原。[5][2]

確認中

唐門

朝倉氏の時代のものではない。のちに義景を弔う⁠寺(松雲院)⁠の門と⁠して建てられたと⁠伝わり、いまの門は江戸時代中期ごろの再建と⁠される(補助資料)⁠。[4][12]

跡地のみ

朝倉館跡

堀・土塁・礎石・庭園が残る。[4]

跡地のみ

一乗谷城(山城)

千畳敷・観音屋敷・宿直などの御殿跡、一ノ丸などの曲輪、竪堀が残る。[2]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
朝倉孝景日本城郭協会
築城
15世紀後半日本城郭協会
主な城主
朝倉氏日本城郭協会
廃城
1575年(天正3年)Wikipedia
見られる遺構
土塁・堀・虎口・石垣・曲輪編集部記事
文化財指定
国特別史跡(一乗谷朝倉氏遺跡)(1971年)⁠、国特別名勝(一乗谷朝倉氏庭園 4庭園)(1991年)⁠、国重要文化財(出土品2,343点)(2007年)編集部記事
名城選定
日本100名城 34番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

谷の遺跡(朝倉館跡・庭園・城戸跡など)⁠と山城跡は自由に見学できる。復原町並と⁠博物館は有料。山城は登山になり、クマに注意が⁠呼びかけられている(遺跡事務所で熊鈴を貸し出し)⁠。

住所

〒910-2153 福井県福井市城戸⁠ノ内町(遺跡)⁠。博物館は〒910-2151 福井市安波賀中島町8-10[7][9]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR一乗谷駅JR越美北線(九頭竜線)

徒歩約3分 · 登りなし

博物館まで徒歩3分、下城戸まで徒歩約10分。福井駅から電車で約15分。博物館で貸し自転車あり。[10][13]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

一乗谷朝倉氏遺跡復原町並
時間
9:00〜17:00(入場16:30まで⁠)
休館・休み
年末年始(12月28日〜1月4日)
料金
一般330円(団体260円)⁠、70歳以上⁠・小中学生100円(団体80円)⁠。障害者手帳をお持ちの方は無料。博物館との共通券は大人820円・高校生580円・小中学生240円・70歳以上360円[5][15]
確認日: 2026-10-03
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館
時間
9:00〜17:00(入館16:30まで⁠)
休館・休み
毎週月曜日、年末年始(変更あり。開館カレンダー⁠で確認)
料金
基本展示: 一般700円、高校生400円、小中学生200円、70歳以上350円(20名以上の団体は2割引)⁠。特別展は別料金[9]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

北陸自動車道福井ICから国道158号経由⁠で約10分(博物館)⁠。博物館(普通車140台・大型バス10台)⁠のほか遺跡内に複数の無料駐車場がある。[10][14]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
遺跡の屋外部分の見学時間の定めは確認できなかった確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
谷の遺跡と⁠復原町並で約2時間、博物館も入れて半日。山城まで登るなら往復でさらに2〜3時間が目安
階段・坂・足もと
谷底はほぼ平ら。山城への登山道は4ルート(下城戸ルート片道60〜75分、馬出ルート40〜60分、英林塚ルート50〜60分、三万谷ルート30〜45分)で、急な部分や⁠滑りやすい岩場がある。[6][7]
車椅子・ベビーカー
博物館にバリアフリー情報⁠と⁠ベビーカー⁠貸⁠し⁠出しあり。遺跡全体のバリアフリーは未確認。[9]確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
博物館の公式サイトに英語表記あり。現地の英語表示・英語ガイドは未確認。[10]
季節の楽しみ
諏訪館跡庭園は秋の紅葉が見事と⁠博物館が紹介している。南陽寺跡は義景が義昭と⁠桜を眺めた場所と⁠伝わる。[2]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
一乗谷周辺ではクマの目撃・痕跡が確認されており、山城に登る際はクマ対策が求められている。雨の日・雨の後の登山は控えるよう⁠呼びかけられている。[7]確認日: 2026-10-03

歩きかたの⁠例

定時ガイドで歩く復原町並から唐門へ 60分

  1. 復原町並の南入場口で申し込む(出発10分前まで⁠)
  2. 復原町並の武家屋敷・町屋を見る
  3. 一乗谷川を渡って朝倉館跡へ
  4. 唐門で終了

朝倉氏遺跡保存協会⁠の定時ガイド(3月1日〜11月30日⁠の毎日10時・12時・14時、1人500円、予約不要)⁠。2022年10月更新⁠の福井市の案内による。

周辺の楽しみ

体験

一乗滝

落差約17mの滝。佐々木小次郎が修業した場所と⁠伝わる。近くに朝倉氏に仕えた剣の達人・富田勢源の道場跡もある。[16]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

天守のある城とは違う「戦国時代の城と⁠町のしくみ」を知りたい人、庭園や⁠発掘の成果に興味がある人、山歩きもしたい人に向く。

ここを見ると⁠面白い

谷を歩いて、館・屋敷・町屋がどう並んでいたか、城戸がどこで谷を閉じていたかを確かめ、そのうえで東の山を見上げると、谷の町と⁠山の城がひとつの城だったことが実感できる。荒々しい石組みの湯殿跡庭園と、華やかな諏訪館跡庭園の違いも見比べたい。

訪ねる前に

遺跡は南北に長く、見どころが⁠散らばっているので時間に余裕を。博物館は月曜休館。山城へ登る場合は登山の服装で、クマ対策をし、雨の日は避けたい。

楽しみかた

先に駅前の博物館で朝倉館の原寸再現と⁠城下町のジオラマを見てから谷へ入ると、何もない平地に建物の姿が浮かんでくる。復原町並では定時ガイドに参加すると、町の暮らしの話をくわしく聞ける。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館(公式トップ)福井県official確認日:
  2. 2
    遺跡のご紹介福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館official確認日:
  3. 3
    朝倉氏の歴史福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館official確認日:
  4. 4
    遺跡散策福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館official確認日:
  5. 5
    復原町並一般社団法人朝倉氏遺跡保存協会official確認日:
  6. 6
    【一乗谷朝倉氏遺跡】山城跡⁠へ⁠登りたいのですが、どんなルートがありますか?福井市municipal確認日:
  7. 7
    一乗城山登山口福井県municipal確認日:
  8. 8
    国の三重指定一般社団法人朝倉氏遺跡保存協会official確認日:
  9. 9
    ご利用案内・観覧料福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館official確認日:
  10. 10
    アクセス福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館official確認日:
  11. 11
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  12. 12
    一乗谷朝倉氏遺跡(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  13. 13
    アクセス一般社団法人朝倉氏遺跡保存協会official確認日:
  14. 14
    【一乗谷朝倉氏遺跡】遺跡周辺⁠に駐車場はありますか?福井市municipal確認日:
  15. 15
    【一乗谷朝倉氏遺跡】入場料金⁠を教えてください。福井市municipal確認日:
  16. 16
    一乗谷周辺一般社団法人朝倉氏遺跡保存協会official確認日:
  17. 17
    【一乗谷朝倉氏遺跡】ガイド案内⁠はどこへ⁠申⁠し⁠込むのですか?福井市municipal確認日:
  18. 18
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  19. 19
    Wikipedia「一乗谷朝倉氏遺跡」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  20. 20
    Wikidata Q2968274Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

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