二の丸(馬屋曲輪)の広場と、その先に広がる相模湾(2010年1月撮影)。本丸と並ぶいちばん広い曲輪。
Tak1701dPublic domainWikimedia Commons

神奈川県 · 小田原市

石垣山城

いしがきやまじょう

Ishigakiyama Castle

神奈川県小田原市

城山城続日本100名城 123番

この城らしさ

「一夜で建った」と⁠伝わる城は、実は約80日かけて石垣で固めた本格的な城で、本丸からは攻められた側の小田原城が見下ろせる。

なぜ?

1590年、豊臣秀吉は北条氏の小田原城を囲むため、約3km離れた山の上にこの城を築きました。木の陰で工事を進め、完成してから周りの木を一夜で切り払ったので、小田原城の兵が驚いて士気を失ったと⁠伝わります。しかし実際には、のべ4万人が働き、4月から6月まで約80日かかったと⁠小田原市は説明しています。[1][2][3]

見逃したくない3つ

01
谷を石垣で囲んで底に井戸を設けた井戸曲輪(2010年1月撮影)。城の中でいちばんよく石垣が残る場所。その後、2018年ごろまでに周りの木が切られ、見通しが良くなっている。Tak1701dPublic domainWikimedia Commons

谷を石垣で囲んだ井戸曲輪

見る場所
本丸・二の丸の北側の谷にある井戸曲輪(いどくるわ)⁠。階段の降り口から下りる
注目する部分
谷をせき⁠止めるようにぐるりと⁠積まれた石垣と、その底の井戸
ここが面白い
谷の底にわき出る水を守るために、まわりに石垣をめぐらせた珍しい造りで、国の史跡の説明でも「類稀」と⁠されています。城の中でもっともよく石垣が残っていて、当時の石垣づくりの技を⁠知ることができます。底の井戸は「淀殿の化粧井戸」と⁠呼ばれています。[4][3]
見られるか
外から見られる公園内を自由に歩ける。段差や⁠階段があり、車いすでは利用できない。
02
石垣山から見下ろした小田原城の天守と市街(2010年6月撮影)。秀吉はここから北条氏の城を見下ろした。MocchyPublic domainWikimedia Commons

本丸から小田原城を見下ろす

見る場所
本丸(本城曲輪)⁠の物見台。標高約240mの山頂
注目する部分
約3km先の小田原城天守と⁠城下、相模湾
ここが面白い
秀吉はここから北条氏の城を見下ろしながら包囲を続けました。小田原城までの直線距離は約3kmです。天気の良い日は東京スカイツリーまで見えると⁠観光協会は案内しています。[3][5][4]
見られるか
外から見られる物見台は2023年度に整備された。
03
南曲輪の石垣(2006年8月撮影)。あまり加工しない自然の石を積んだ「野面積み」。monadoCC BY-SA 2.5Wikimedia Commons

関東で最初の総石垣・野面積み

見る場所
南曲輪・馬屋曲輪(二の丸)⁠・本丸のまわりの石垣
注目する部分
ほとんど加工していない自然の石を組み合わせた石の⁠面
ここが面白い
城全体を石垣で固めた城と⁠しては関東で最初のものとされ、石積みは近江(いまの滋賀県)⁠の石工集団・穴太衆(あのうしゅう⁠)⁠による「野面積み」と⁠いわれます。秀吉が築いた城のうち、築いた当時の野面積みの石垣が城全体で見られるのは、佐賀県の肥前名護屋城と⁠石垣山だけと⁠小田原市は説明しています。[1][3][6]
見られるか
外から見られる崩れかけた石垣もあるので、柵の内側に入らないこと。

訪問の目安

最寄り駅
JR早川駅から徒歩約50分
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
公園をひと回りして1時間ほどが目安
立入り
自由に見学できる

石垣山一夜城歴史公園と⁠して自由に見学できる(入園無料、現地に管理事務所はない)⁠。続日本100名城⁠のスタンプは一夜城駐車場のトイレ前にある。

確認日:

この城の物語

01
史実

小田原城を見下ろす山

この山はもともと⁠「笠懸山(かさがけやま)⁠」⁠と⁠呼ばれていました。小田原城の南西約3kmにあり、早川をはさんで小田原の町を一望できる、包囲の拠点にうってつけの場所でした。総石垣の城が築かれたことから、「石垣山」と⁠呼ばれるようになりました。[1][2]

02
史実

秀吉が小田原攻めの本陣と⁠して築く

1590年、豊臣秀吉は大軍で小田原の北条氏を囲み、その本陣と⁠してこの城を築きました。国の史跡の説明では、4月5日に工事を始め、6月26日に完成したとされます。北条氏は7月5日に降伏し、戦国大名と⁠しての北条氏は滅びました。[2][3]

03
伝承

「一夜城」の伝承と、ほんとうの工事

「一夜城」と⁠呼ばれるのは、秀吉が山頂の林の中で塀や⁠櫓(やぐら)⁠の骨組みを造って白い紙を張って白壁に見せ、一夜のうちに周りの木を切り倒したので、それを見た小田原城の兵が驚いて士気をなくしたと⁠伝わるためです。しかし実際には、のべ4万人が働き、約80日かけて築かれました。[1][3]

04
研究上の解釈

戦の最中に茶会も開いた本格的な⁠城

秀吉はこの城に側室の淀殿や⁠千利休、能役者を呼んで茶会を開き、天皇の使いも迎えたと市は説明しています。天守台のまわりからは多くの瓦が見つかっていて、天守や⁠櫓があったようです。「天正十九年」と書かれた瓦もあり、合戦のあとも短いあいだ工事が続いたと⁠考えられています。[1][4]

05
史実

使われなかったから、当時の姿が残った

戦いのあと⁠城は使われなくなり、手直しされた跡もありません。関東大震災などで石垣が崩れた所もありますが、本丸・二の丸・南曲輪・井戸曲輪などの形はよく残っています。使われた期間がはっきり限られていることから、城づくりの歴史を考えるうえで基準になる遺跡と⁠されています。[2][4]

06
史実

国の史跡、そして歴史公園に

1959年に国の史跡「石垣山」に指定され、いまは石垣山一夜城歴史公園と⁠して自由に歩けます。小田原市は、ゆるんだり崩れたりした石垣の保全工事や、木の伐採・説明板の設置を進めてきました。2023年度には展望台や⁠物見台を整え、スマートフォン⁠で小田原合戦を再現するAR(拡張現実)⁠も始めました。[2][6][7][5]

この城の人びと

年表

  1. 4月に豊臣秀吉が築城を始め、6月に完成(約80日)[2][1]

  2. 7月、北条氏が降伏。その後、城は使われなくなる[3][2]

  3. 「天正十九年」銘の瓦から、合戦後も工事が続いたと⁠考えられる[4]

  4. 関東大震災で石垣の一部が崩れる[2]

  5. 国の史跡「石垣山」に指定[2][1]

  6. 続日本100名城⁠に選ばれる[1]

  7. 展望台・物見台の整備と⁠ARコンテンツ⁠の公開[5]

建物と⁠遺構

天守の状態

天守は失われた

天守台が残る。天守台跡などで多くの瓦が出土し、天守や⁠櫓が存在したようだと⁠市は説明している。建物は残っておらず、再建もされていない。

城全体のいま

石垣山一夜城歴史公園(約5.8ha)⁠として整備され、自由に見学できる。現地に管理事務所はない。公園の前に民間のレストラン・菓子店がある。

主な建物

現存しない

天守・⁠櫓

出土した瓦から存在したと⁠考えられている。[4]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
近世編集部記事
天守の状態
天守は失われた天守はあったが、今は残っていない(天守台などが残る場合がある⁠)編集部記事
築城者
豊臣秀吉日本城郭協会
築城
天正18年(1590)日本城郭協会
主な城主
豊臣氏日本城郭協会
廃城
天正18年(1590年)Wikipedia
見られる遺構
石垣・曲輪・堀切・井戸・天守台・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(石垣山)(1959年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 123番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

石垣山一夜城歴史公園と⁠して自由に見学できる(入園無料、現地に管理事務所はない)⁠。続日本100名城⁠のスタンプは一夜城駐車場のトイレ前にある。

住所

神奈川県小田原市早川1383-12[1]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR早川駅JR東海道本線

徒歩約50分 · 急⁠な登り

石垣山農道を経て山頂まで歩いて約50分。標高約240mまで上る。タクシーなら約10分(駅にタクシーの常駐なし)⁠。[1][3]

確認日: 2026-10-03
箱根登山鉄道入生田駅箱根登山鉄道

徒歩約60分 · 急⁠な登り

生命の星・地球博物館の前を通り、山道を上って約60分。[1][3]

確認日: 2026-10-03

車・駐車場

一夜城駐車場(58台・無料)⁠。国道135号の「早川」交差点は小田原方面から右折できないので注意。大型車は国道1号「地球博物館前」交差点から入る。路線バスはなく、観光シーズンの土日だけ観光回遊バス⁠が通る。[1][3]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
公式に時間の定めは示されていない(観光協会の案内では営業時間・定休日とも「―」⁠)[3]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
公園をひと回りして1時間ほどが目安
階段・坂・足もと
山の上の公園で、園内に段差や⁠階段がある。井戸曲輪へは下りの階段。[3][5]
車椅子・ベビーカー
公園内に段差があり、車いすでは利用できないと⁠観光協会は案内している。[3]確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
一夜城駐車場にトイレがある。[3]
英語案内・音声ガイド
英語の公式案内は確認できなかった。
季節の楽しみ
小田原市観光協会は、入生田駅から長興山紹太寺(しだれ桜で知られる⁠)⁠を経て石垣山を通るウォーキングコース⁠を紹介している。[3]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
石垣の保全工事が進められている。崩れた石垣に近づかないこと。[6]確認日: 2026-10-03

歩きかたの⁠例

太閤一夜城と⁠長興山・史跡のみち 130分

  1. 箱根登山鉄道入生田駅⁠をスタート
  2. 長興山紹太寺(しだれ桜)
  3. 神奈川県立生命⁠の星・地球博物館の前を通る
  4. 石垣山に陣を張った武将8人の説明板を見ながら上る
  5. 石垣山一夜⁠城
  6. JR早川駅へ下る

小田原市観光協会⁠の紹介コース。歩く距離7.5km・約2時間10分・高低差238.3m。大部分は舗装路。

周辺の楽しみ

城下町

長興山紹太寺

しだれ桜で知られる寺。入生田駅から石垣山へ向かうウォーキングコース⁠の途中にある。[3]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

小田原城と⁠あわせて小田原合戦を両側から見たい人、天守のない石垣の城を味わいたい人、山歩きを楽しめる人に向く。

ここを見ると⁠面白い

まず本丸から小田原城を見下ろして、攻める側の目線を体験したい。そのあと⁠井戸曲輪へ下りて、谷を囲んだ石垣の大きさを見ると、この城が「一夜」どころか本格的な城だったことがよく分かる。

訪ねる前に

「一夜城」は伝承で、実際は約80日かけて築かれた。駅からは急な上り坂を50〜60分歩く。路線バスはないので、車かタクシー、または観光シーズンの土日の観光回遊バスを使う。建物は残っていない。

楽しみかた

まち歩きアプリ「小田原さんぽ」を入れておくと、井戸曲輪の降り口や⁠本丸の看板で、小田原合戦のARアニメーション⁠や城全体の3DCGを見られる。先に小田原城を訪ねてから来ると、両方の城の距離感がつかみやすい。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    石垣山一夜⁠城小田原市municipal確認日:
  2. 2
    石垣山(国指定史跡)文化遺産オンライン(文化庁)heritage確認日:
  3. 3
    石垣山一夜⁠城(観光スポット情報・名称の由来・アクセス)小田原市観光協会tourism確認日:
  4. 4
    石垣山(いしがきやま)おだわらデジタルミュージアム(小田原市郷土文化館)municipal確認日:
  5. 5
    石垣山城でARを楽しもう⁠!!小田原市municipal確認日:
  6. 6
    多彩な歴史文化資産を未来へ史跡の整備を進めています小田原市municipal確認日:
  7. 7
    史跡の景観を⁠楽しんでいただくため、環境整備を進めています。小田原市municipal確認日:
  8. 8
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    Wikipedia「石垣山城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  11. 11
    Wikidata Q8012031Wikidatawikidata確認日:
  12. 12
    OpenStreetMap node/13004002411© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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