水田の向こうに見える本佐倉城跡の森(2006年9月撮影)。いま水田の低地は、千葉氏の時代には香取の海(印旛沼のもとになった入り海)だった。
MonadoCC BY-SA 2.5Wikimedia Commons

千葉県 · 酒々井町

本佐倉城

もとさくらじょう

Moto Sakura Castle

千葉県酒々井町

城平山城続日本100名城 120番

この城らしさ

関東の名門・千葉氏が最後に住んだ城は、いまは水田になった「香取の海」に面した土の城だった。

なぜ?

千葉氏は鎌倉時代から下総(いまの千葉県北部)⁠を治めた名門で、15世紀後半に本拠を千葉から佐倉へ移してこの城を築きました。城の北の低地はかつて香取の海で、まわりは湿地に囲まれ、天然の守りになっていました。千葉氏は1590年に北条氏とともに滅び、城は廃城になりました。[1][2]

見逃したくない3つ

01
城山へ入る虎口(2019年8月撮影)。城山は千葉氏当主の屋敷があった、城でいちばん大切な郭。柴錬アワーCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

千葉氏の屋敷があった城山

見る場所
城の中心の郭「城山(しろやま)⁠」。東山虎口から細い通路を上った⁠先
注目する部分
主殿や⁠会所などの建物跡が見つかった平らな郭と、そこからの見晴らし
ここが面白い
発掘で、当主が政務や⁠客との対面に使ったと⁠推定される主殿、客をもてなした会所、庭の跡、門、櫓などが見つかりました。茶碗や⁠茶臼などの茶道具や、多くのかわらけ(素焼きの皿)⁠も出ていて、ここで宴や⁠儀式が行われていたと⁠考えられています。[2][5][6]
見られるか
一部見られる建物はなく、跡地を見る。城跡は整備の途中で見学路が整っていない所があり、一部立入禁止の区域がある。
02
東山虎口(2019年8月撮影)。城山を守るため、両側を高い土の壁にはさまれた狭い通路になっている。柴錬アワーCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

土の壁にはさまれた東山虎口

見る場所
東光寺ビョウから徒歩約5分。城山へ向かう途中
注目する部分
両側を高い土の壁にはさまれた、人がすれ違うのがやっとの狭い通路
ここが面白い
虎口(こぐち)⁠は城の出入口のことです。背後の城山を守るため、わざと⁠狭くして敵が一度に入れないようにしています。町によれば、城山の屋敷にたどり着くには6つの城門を⁠通らなければならず、守りを固めた登城路だったことが分かっています。[5][4]
見られるか
外から見られる通り抜けて見られる。
03
水田の向こうに見える本佐倉城跡の森(2006年9月撮影)。いま水田の低地は、千葉氏の時代には香取の海(印旛沼のもとになった入り海)だった。MonadoCC BY-SA 2.5Wikimedia Commons

東光寺ビョウと、かつての香取の⁠海

見る場所
城の北側、京成大佐倉駅から歩いて最初に見える⁠郭
注目する部分
城の正面玄関にあたる郭と、その前に広がる水田
ここが面白い
東光寺ビョウは城の正面玄関と⁠もいえる場所で、通路の跡が⁠見つかっています。前の水田は当時は香取の⁠海(のちの印旛沼につながる水域)で、水運で古河まで通じていました。陸の街道も交わる交通の要所に城があったことが分かります。[5][3]
見られるか
外から見られる京成線の車窓からも見える。

訪問の目安

最寄り駅
京成大佐倉駅から徒歩約10分
登り
少し登る
所要時間の目安編集部の目安
千葉県教育委員会⁠の案内では、城跡だけなら約1時間、周辺の文化財もめぐるなら約2時間
料金
入館料の記載なし。パンフレットは無料、常設展示図録200円、御城印300円
時間
9:00〜16:30
立入り
一部のみ見学できる

城跡は見学できるが、整備の途中で見学路が整っていない所があり、一部に立入禁止の区域がある。佐倉市は、事故やけがの責任は負わないので十分注意して見学するよう呼びかけている。続日本100名城スタンプ⁠は国史跡本佐倉城跡案内所⁠のトイレ前(24時間押せる⁠)と、京成大佐倉駅の改札外にある。

確認日:

この城の物語

01
史実

水と⁠陸の道が交わる台地の⁠先

本佐倉城は、北総台地に深く入りこむ谷(谷津)⁠が複雑に入り組んだ地形を利用した城です。北には古河まで通じる水運の大動脈・香取の海があり、南には銚子・芝山・東金・千葉などへのびる街道が⁠交わっていました。城の北の低地はすべて湿地で、天然の守りになっていました。[2][3]

02
史実

享徳の乱のあと、千葉輔胤が築く

1454年に始まった享徳の乱のなかで、千葉氏では内紛が起き、本家が滅んで一族の岩橋輔胤が家を継ぎました。輔胤と⁠子の孝胤の時代(文明年間、1469〜1487年)に、千葉氏は本拠を鎌倉時代以来の千葉から佐倉へ移し、本佐倉城を築きました。[2][3]

03
史実

下総の政治・経済・文化の中心

城のまわりには町が開かれ、寺が次々に建てられました。千葉氏の一族や⁠家臣による歌の会が開かれ、和歌集もまとめられて、本佐倉城と⁠その城下は下総の政治・経済・文化の中心になりました。城下町は佐倉・酒々井・鹿島・浜宿の4つがありました。[2][3]

04
史実

北条氏とともに滅びる

16世紀半ばから関東で北条氏の力が強まり、上杉謙信がわずか7km先の臼井城まで攻めこむ危機もありました。千葉氏は北条氏と⁠手を結び、8代の邦胤は北条氏政の娘を妻に迎えました。邦胤が暗殺されたあとは氏政の子の直重が千葉氏を継ぎましたが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで北条方についた千葉氏は滅び、本佐倉城も廃城になりました。[2]

05
史実

巨大な「土の城」が残る

城は台地を削り、谷を埋め、堀や⁠土塁で郭を造った「土の城」です。最後には10の郭と⁠城下の宿を外側の⁠堀(惣構)⁠で囲む、南北約2km・東西約1kmの巨大な城になったと町は説明しています。建物は⁠残っていませんが、郭・馬場・虎口・空堀・土塁・櫓台などがよく残っています。[5][3]

06
史実

国史跡と⁠して整備が進む

1998年9月11日、本佐倉城跡は国の史跡に指定されました。城跡は酒々井町と⁠佐倉市の境にあり、両市町が協力して史跡公園と⁠しての整備を進めています。城跡の近くの国史跡本佐倉城跡案内所では、出土品や⁠地形模型、紹介映像を見られます。[1][4][6]

この城の人びと

年表

  1. 文明年間(1469〜1487年)⁠のこと

    千葉輔胤・孝胤が本拠を佐倉へ移し城を築く[2][3]

  2. 小田原攻めで千葉氏が滅び、廃城[2][3]

  3. ごろ

    佐倉城(佐倉市)⁠が完成し、佐倉支配の中心が移る[2]

  4. 国の史跡に指定される(9月11日)[1][3]

  5. 続日本100名城(121番)⁠に選ばれる[6][8]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

戦国時代の土の城で、天守はない(城郭協会の一覧でも天守は「−」)⁠。

城全体のいま

台地の上の林と⁠草地に郭や⁠堀が残る。史跡公園と⁠しての整備の途中で、見学路が整っていない所や⁠立入禁止の区域がある。近くに案内所がある。

主な建物

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
千葉輔胤日本城郭協会
築城
文明年間(1469~87)日本城郭協会
主な城主
千葉氏日本城郭協会
廃城
元和元年(1615年)Wikipedia
見られる遺構
堀・土塁・虎口・曲輪・櫓・櫓台編集部記事
文化財指定
国史跡(本佐倉城跡)(1998年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 120番日本城郭協会

旅の情報

立入り

一部のみ見学できる

城跡は見学できるが、整備の途中で見学路が整っていない所があり、一部に立入禁止の区域がある。佐倉市は、事故やけがの責任は負わないので十分注意して見学するよう呼びかけている。続日本100名城スタンプ⁠は国史跡本佐倉城跡案内所⁠のトイレ前(24時間押せる⁠)と、京成大佐倉駅の改札外にある。

住所

千葉県印旛郡酒々井町本佐倉825(国史跡本佐倉城跡案内所)[6]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

京成大佐倉駅京成本線

徒歩約10分 · 少⁠し登る

徒歩約10分で城の北側の東光寺ビョウへ。駅からは徒歩のみで、城跡北側の農道は狭いので車は入れない。東光寺ビョウから東山虎口へ約5分、そこから細い通路を上って城山へ約5分。[3][4]

確認日: 2026-10-03
京成酒々井駅京成本線

徒歩約20分 · 未確認

徒歩約20分(酒々井町の案内)⁠。[7]

確認日: 2026-10-03
JR酒々井駅JR成田線

徒歩約25分 · 未確認

徒歩約25分(酒々井町の案内)⁠。[7]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

国史跡本佐倉城跡案内所
時間
9:00〜16:30
休館・休み
月曜(祝日の場合は翌日)⁠、祝日の翌日、年末年始(12月28日〜1月4日)
料金
入館料の記載なし。パンフレットは無料、常設展示図録200円、御城印300円[6]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

東関東自動車道の酒々井ICから約10分。車は酒々井町側から入り、東山馬場の駐車場を使う(台数・料金は未確認)⁠。[4][7]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安
千葉県教育委員会⁠の案内では、城跡だけなら約1時間、周辺の文化財もめぐるなら約2時間[3]
階段・坂・足もと
台地と⁠谷が入り組んだ地形で、虎口から城山へは細い通路を上る。見学路は整備の途中で、草地や⁠土の道が多い。[3][4]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
国史跡本佐倉城跡案内所⁠にトイレがある(スタンプはトイレ前)⁠。[6]
英語案内・音声ガイド
酒々井町が英語版のパンフレット(PDF)⁠を公開している。現地の英語表示は未確認。[9]
季節の楽しみ
未確認
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
史跡は整備の途中で、一部立入禁止の区域がある。酒々⁠井ふるさと⁠ガイドの会の無料ガイドを申し込める(申込書は町のサイト)⁠。[3][4][6]確認日: 2026-10-03

歩きかたの⁠例

大佐倉駅から城山へ城跡だけを見る1時間 60分

  1. 京成大佐倉駅から歩いて東光寺ビョウへ(約10分)⁠。城の正面玄関にあたる郭と、香取の海だった水田を見る
  2. 東山虎口へ(約5分)⁠。土の壁にはさまれた狭い通路を通る
  3. 東山馬場・倉跡を横に見ながら細い通路を上り、城山へ(約5分)⁠。千葉氏の屋敷跡と⁠見晴らしを楽しむ
  4. 来た道を戻るか、酒々井町側の案内所へ立ち寄る

千葉県教育委員会⁠の見学案内(城跡だけなら約1時間)にもとづく。整備中のため一部立入禁止の区域がある。

周辺の楽しみ

博物館

国史跡本佐倉城跡案内所

本佐倉城跡と⁠千葉氏の歴史の展示パネル、地形模型、出土した土器、紹介映像「発掘された6つの門と⁠千葉氏の屋敷」がある。月曜休館。[6]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

石垣や⁠天守ではなく、土を削って造った戦国の城を歩いて体感したい人に向く。千葉氏の歴史に興味がある人にも。

ここを見ると⁠面白い

狭い東山虎口を抜けて城山に上る道すじ。6つの門を通らないと⁠当主の屋敷に着けない守りの固さを、自分の足で確かめたい。北側の水田を見て、かつての香取の海を⁠思⁠い⁠浮かべるのもおもしろい。

訪ねる前に

整備の途中の史跡で、草地や⁠土の道が多く、一部は立入禁止。歩きやすい靴で行き、案内所の休館日(月曜など⁠)⁠も確認しておくとよい。車で行く場合は酒々井町側から入る。

楽しみかた

先に案内所で映像と⁠地形模型を見ておくと、城の広さと⁠造りがよく分かる。無料のガイドを頼めば、見落としがちな堀や⁠土塁も教えてもらえる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    国指定文化財等データベース本佐倉城跡文化庁heritage確認日:
  2. 2
    本佐倉城と⁠千葉氏酒々井町municipal確認日:
  3. 3
    国指定史跡「本佐倉城跡」へ⁠行ってみよう!!千葉県教育委員会municipal確認日:
  4. 4
    【本佐倉城跡】〔国史跡〕・続日本100名城佐倉市municipal確認日:
  5. 5
    本佐倉城跡とは酒々井町municipal確認日:
  6. 6
    国史跡本佐倉城跡案内所からのお知らせ酒々井町municipal確認日:
  7. 7
    本佐倉城へのアクセス酒々井町municipal確認日:
  8. 8
    続日本100名城一覧(121 本佐倉城)公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    本佐倉城跡パンフレット(英語版をふくむ)酒々井町municipal確認日:
  10. 10
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  11. 11
    Wikipedia「本佐倉城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  12. 12
    Wikidata Q11519850Wikidatawikidata確認日:
  13. 13
    OpenStreetMap node/2483149535© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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