長篠城址あたりの川と断崖(2019年12月)。城は豊川と宇連川が合流する断崖の上にあり、川が天然の堀になっていた。
BaristonCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

愛知県 · 新城市

長篠城

ながしのじょう

Nagashino Castle

愛知県新城市

城平城日本100名城 41番

この城らしさ

500人の城兵が1万5千の武田軍を食い止めた城。二つの川が合流する断崖と、本丸の大きな土塁がいまも残る。

なぜ?

1575年、武田勝頼の大軍に囲まれた長篠城を、城主奥平貞昌(のちの信昌)⁠はわずか500人で守りぬきました。城の後ろは豊川と⁠宇連川が合流する断崖で、川がそのまま堀の役目をしました。この籠城が、織田・徳川軍が武田軍を破った設楽原の決戦につながります。[1][2][3]

見逃したくない3つ

01
帯郭から見た本丸の土塁(2021年3月)。城の東側を守った大きな土塁が残っている。先従隗始CC0Wikimedia Commons

本丸を守る大土塁と⁠内堀

見る場所
本丸跡の東側(長篠城址史跡保存館⁠のすぐそば⁠)
注目する部分
本丸を囲む高い土塁と、その外側の内堀の⁠跡
ここが面白い
長篠城には建物は⁠残っていませんが、戦国時代の終わりの城の大きな土塁や⁠堀の跡がよく残っています。川に守られていない東側を、この内堀と⁠土塁で固めていました。[2][3]
見られるか
外から見られる城跡は自由に歩ける(無料)⁠。
02
牛淵橋から見た長篠城跡の断崖(2009年5月)。この橋は鳥居強右衛門の磔死の碑の近くにある。First version: Aboshi at Japanese Wikipedia Second version: Mocchy at Japanese WikipediaCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

二つの川が合流する断崖

見る場所
城跡の川に面した側。対岸の牛淵橋からは城跡の断崖が見える
注目する部分
切り立った崖と、その下で合流する豊川(寒狭川)⁠と⁠宇連川
ここが面白い
城は二つの川の合流点の断崖の上に築かれ、後ろは川がそのまま堀になる「後ろ堅固」の要害でした。愛知から長野・静岡・山梨へ通じる道の上にあり、武田と⁠徳川が奪い合いました。[2][3][5]
見られるか
外から見られる城跡の中からと、対岸の牛淵橋から見られる。保存館から牛淵橋の近くの磔死の碑までは徒歩約35分。
03
鳥居強右衛門の磔死の碑(2011年10月)。長篠城の対岸、強右衛門が磔にされた場所に立つ。立花左近CC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

鳥居強右衛門の足あと

見る場所
長篠城址史跡保存館⁠の展示と、川の対岸にある磔死の碑、鳥居駅近くの新昌寺の⁠墓
注目する部分
強右衛門が磔にされた場所に立つ碑と、墓に刻まれた辞世の⁠句
ここが面白い
落城寸前の城から、足軽の鳥居強右衛門は川を下って包囲を抜け、岡崎城の信長・家康に援軍を頼みに行きました。戻る途中で武田軍に捕まり、「援軍は来ないと⁠言え」と⁠迫られましたが、城に向かって援軍が来ることを叫び、磔にされました。城兵はこれに励まされたと⁠伝わります。[7][4][5]
見られるか
外から見られる碑と⁠墓は屋外で見られる。保存館の展示は有料。

訪問の目安

最寄り駅
JR長篠城駅から徒歩約8分
登り
未確認
所要時間の目安編集部の目安
保存館と⁠城跡で1時間ほど。強右衛門の碑や⁠医王寺など周辺の史跡もまわるなら半日が目安
料金
一般300円、小中学生100円(20名以上の団体は一般200円)⁠。設楽原歴史資料館・鳳来寺山自然科学博物館との3館共通券は一般600円。障害者手帳を持つ人と⁠引率者1人は無料
時間
9:00〜17:00(入館は16:30まで⁠)
立入り
自由に見学できる

城跡は自由に歩ける。長篠城址史跡保存館⁠は有料。日本100名城スタンプ⁠は保存館1階の自動販売機の⁠横(館外)⁠にあり、開館時間外や⁠休館日も押せる(台風などで移すことがある)⁠。御城印は保存館の受付で販売(300円)⁠。

確認日:

この城の物語

01
史実

なぜこの場所に城を建てたのか

長篠城は豊川と⁠宇連川が合流する断崖の上にあります。後ろは川が堀になる天然の要害で、川のない東側だけを内堀と⁠土塁で固めれば守れる地形でした。また、愛知から長野、静岡北部、山梨へ通じる道の途中にあり、交通をおさえる場所でもありました。[2][3]

02
史実

菅沼氏が築き、武田と⁠徳川が奪い合う

城は1508年、田峯菅沼氏の一族の菅沼元成が築きました。はじめは今川氏に属し、のちに松平元康(家康)⁠に従い、1571年には武田氏の側につきました。1573年に家康が城を⁠取⁠り⁠返しています。[2][4]

03
史実

1575年、500人の籠城

1575年5月、武田勝頼は1万5千の軍で長篠城を囲みました。城主の奥平貞昌は500人の兵で守り、武田軍は城を落と⁠せず、まわりに柵を作り川に網を張って兵糧攻めに切り替えました。足軽の鳥居強右衛門が包囲を抜けて岡崎へ援軍を頼みに行き、帰りに捕まって磔にされたのはこのときです。[1][4][7]

04
史実

設楽原の決戦へ

5月18日、織田信長と⁠徳川家康の援軍が城の西約4kmの設楽原に着き、陣を築きました。武田軍は包囲を解いて設楽原へ進み、21日に戦いましたが、大量の火縄銃に攻められ、多くの武将を失って敗れました。長篠城の籠城と⁠設楽原の決戦をあわせて「長篠・設楽原の戦い」と⁠呼びます。[1][4]

05
史実

翌年に廃城、土塁と⁠堀が残る

戦いの翌年、奥平信昌は郷ヶ原に新しい城を移し、長篠城は廃城になったとされます。建物は⁠残っていませんが、本丸の大きな土塁や⁠堀の跡がよく残っています。城跡の中をJR飯田線が通っています。[2][3][6]

06
史実

国史跡と⁠して守られる

長篠城跡は1929年に国史跡に指定されました。本丸跡を中心に約3万5千5百㎡が指定地です。城跡には長篠城址史跡保存館⁠があり、長篠の攻防の資料を集めて展示・研究しています。新城市は保存活用計画をつくり、城跡を守りながら地域の活性化にも生かそうと⁠しています。[2][1]

この城の人びと

年表

  1. 菅沼元成が長篠城を築く[2][3]

  2. 城主菅沼正貞が武田信玄に降り、武田方の城に[2][4]

  3. 徳川家康が城を取り返す[2]

  4. 武田勝頼が包囲。5月21日、設楽原で織田・徳川軍が武田軍を破る[1][2]

  5. 奥平信昌が城を郷ヶ原へ移し、廃城になったとされる[2]

  6. 国史跡に指定[2]

建物と⁠遺構

天守の状態

確認中

戦国時代の城で、建物は残っていない。天守についての公式の記述は見つからない(日本城郭協会の一覧は「−」)⁠。

城全体のいま

本丸跡を中心と⁠する国史跡で、城跡に長篠城址史跡保存館⁠がある。城跡の中をJR飯田線と⁠国道151号が通る。本丸・帯郭・野牛郭・巴城郭・瓢郭・弾正郭などの郭の跡が残る。

主な建物

跡地のみ

本丸の土塁と⁠内堀

城の東側を守った大土塁と⁠内堀の跡。[2][3]

基本データ

種類
城
地形による分類
平城平地に堀をめぐらせて築いた⁠城編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
確認中天守の有無・状態は確認中編集部記事
築城者
菅沼元成日本城郭協会
築城
永正5年(1508)日本城郭協会
主な城主
菅沼氏、奥平氏日本城郭協会
廃城
天正4年(1576年)Wikipedia
見られる遺構
門・曲輪・土塁・堀・石垣・井戸・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(長篠城跡)(1929年)編集部記事
名城選定
日本100名城 41番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は自由に歩ける。長篠城址史跡保存館⁠は有料。日本100名城スタンプ⁠は保存館1階の自動販売機の⁠横(館外)⁠にあり、開館時間外や⁠休館日も押せる(台風などで移すことがある)⁠。御城印は保存館の受付で販売(300円)⁠。

住所

〒441-1634 愛知県新城市長篠字市場22番地1(長篠城址史跡保存館)[1]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR長篠城駅JR飯田線

徒歩約8分 · 未確認

徒歩約8分。止まる電車は上り・下りとも1時間に1本ほど。豊橋駅前から長篠城前までの直通バスはない。[1][3]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

長篠城址史跡保存館
時間
9:00〜17:00(入館は16:30まで⁠)
休館・休み
火曜(休日の場合は次の平日)⁠、12月29日〜1月3日
料金
一般300円、小中学生100円(20名以上の団体は一般200円)⁠。設楽原歴史資料館・鳳来寺山自然科学博物館との3館共通券は一般600円。障害者手帳を持つ人と⁠引率者1人は無料[1]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

新東名高速新城ICから国道151号を飯田方面へ約3km。保存館の隣に無料駐車場(普通車約50台、大型バス2台)⁠。[1]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
保存館と⁠城跡で1時間ほど。強右衛門の碑や⁠医王寺など周辺の史跡もまわるなら半日が目安
階段・坂・足もと
坂や⁠段差の詳しい情報は未確認。周辺史跡へは歩いて5〜70分(保存館からの公式の目安)⁠。[5]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
海外から来た人向けのパンフレットが公式の周辺案内ページ⁠で配布されている。[5]
季節の楽しみ
春は桜、毎年5月5日の長篠合戦のぼりまつりでは合戦行列⁠や⁠火縄銃の実演がある。秋は紅葉。[3]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
保存館は火曜休館(夏休みのうち8月5日〜17日⁠は休館日なし)⁠。電動アシスト自転車⁠のレンタサイクルあり。[1]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

博物館

新城市設楽原歴史資料館

織田・徳川軍と⁠武田軍が戦った設楽原にある市の資料館。長篠城址史跡保存館との共通券がある。火曜休館。[9][1]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

戦国時代の合戦の舞台を歩きたい人、建物よりも地形や⁠土塁から城の守りを読み取りたい人に向く。

ここを見ると⁠面白い

保存館で籠城と⁠強右衛門の話をつかんでから、本丸の土塁と⁠内堀、川に面した断崖を見る。時間があれば対岸の磔死の碑まで歩き、牛淵橋から城跡を振り返りたい。

訪ねる前に

建物は残っていない。電車は1時間に1本ほどなので、時刻を先に確かめておく。保存館は火曜休館。

楽しみかた

設楽原歴史資料館⁠とあわせて訪ねると、籠城から決戦までを順にたどれる。5月5日の⁠のぼりまつりの日は火縄銃の実演も見られる。

訪問者レビュー

レビュー募集中

この城を訪ねた方の声を募集しています。

レビューを書く
評価

体験に基づかない投稿・宣伝・個人情報を含む投稿は公開しません。

異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    長篠城址史跡保存館新城市(長篠城址史跡保存館)official確認日:
  2. 2
    史跡長篠城跡新城市教育部歴史文化課municipal確認日:
  3. 3
    国指定史跡長篠城跡⁠の案内新城市(長篠城址史跡保存館)official確認日:
  4. 4
    展示解説新城市(長篠城址史跡保存館)official確認日:
  5. 5
    長篠城址周辺案内図新城市(長篠城址史跡保存館)official確認日:
  6. 6
    奥平信昌新城市municipal確認日:
  7. 7
    鳥居強右衛門新城市municipal確認日:
  8. 8
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    設楽原歴史資料館新城市official確認日:
  10. 10
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  11. 11
    Wikipedia「長篠城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  12. 12
    Wikidata Q961882Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

現地の変化や⁠誤り、使ってよい写真をご存じでしたらお知らせください。

情報の訂正・写真の提供