三ノ丸の正面にあたる箕輪門と櫓(2010年6月撮影)。戊辰戦争で焼けたのち、1982年に再建された。
baku13CC BY-SA 2.1 jpWikimedia Commons

福島県 · 二本松市

二本松城

にほんまつじょう

Nihonmatsu Castle

福島県二本松市

城平山城日本100名城 11番

この城らしさ

室町時代の山の城と⁠江戸時代の石垣の城が、同じ山の上に重なって残っている。

なぜ?

二本松城は1414年ごろに畠山氏が城を構えてから明治維新まで、ずっと⁠同じ場所で⁠使われ⁠続けました。発掘調査で、本丸の下から畠山氏時代の火事の跡や⁠会津の支城だったころの石垣が見つかり、1627〜1643年⁠の加藤氏の時代に中世の城から近世の城へ大きく造りかえられたことも分かりました。市はこうした城は東北では珍しいと⁠説明しています。[2][3]

見逃したくない3つ

01
正面から見た箕輪門(2018年7月撮影)。丹羽光重が領内の神木の樫を主な材料にして建てたと伝わる門を再建したもの。Σ64CC BY 4.0Wikimedia Commons

城の顔・箕輪門

見る場所
霞ヶ城公園の入口、三ノ丸の正面
注目する部分
高い石垣の上に立つ白壁の門と⁠櫓、門の前の二本松少年隊の群像
ここが面白い
初代藩主の丹羽光重が、材料の樫を領内じゅうで探させ、箕輪村の神木を主な材料にして建てたと⁠伝わる門です。戊辰戦争で焼けましたが、再建を望む声が高まり、1982年に再建されました。十万石の大名の城らしい堂々とした姿を伝えています。[1]
見られるか
外から見られる外から自由に見られる。
02
山の上の本丸へ続く道と本丸の石垣(2018年7月撮影)。本丸の石垣は1993〜1995年に発掘調査をしながら積み直された。Σ64CC BY 4.0Wikimedia Commons

山頂の本丸石垣と⁠天守台

見る場所
公園のいちばん高いところ、白旗ケ峯の本丸跡
注目する部分
山の頂を囲む石垣と⁠天守台、そこから見る二本松の町と⁠安達太良山の方角の山々。天守台の下に残る古い石垣
ここが面白い
本丸の石垣は、崩れるのを防ぐため1993〜1995年⁠に発掘調査をしながら⁠積⁠み⁠直されました。観光連盟によると、安土城の石垣を積んだ穴太衆(あのうしゅう⁠)⁠という石工の流れをくむ人たちが手がけています。2011年と⁠2022年の地震でも傷みましたが、伝統工法で直されています。[1][4][6]
見られるか
外から見られる本丸までは山道を上る。
03
城の入口近くにある戒石銘碑(2018年11月撮影)。藩士への戒めの言葉を自然の岩に刻んだもので、国の史跡。SuikoteiCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

藩士への戒めを刻んだ戒石銘碑

見る場所
城跡の入口近く。かつての藩庁の⁠前
注目する部分
自然の大きな岩の面に刻まれた文字
ここが面白い
「おまえたちの給料は領民の汗と⁠脂の結晶だ。領民をいたわらず苦しめれば天罰が下る」と⁠いう意味の言葉が刻まれています。藩主の丹羽高寛が、儒学者・岩井田希夷の進言で、藩政を引きしめるために一夜で刻ませたと⁠伝わります。1935年に国の史跡になりました。[1][3]
見られるか
外から見られる外から自由に見られる。

訪問の目安

最寄り駅
JR二本松駅から徒歩約20分
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
箕輪門から本丸まで上り下りして約1時間半、城報館も見るなら2時間〜2時間半⁠が目安
料金
常設展示室一般200円・高校生以下100円(20人以上の団体は150円・50円)⁠、未就学児無料。企画展は別料金
時間
9:00〜17:00(歴史館の入館は16:30まで⁠)
立入り
自由に見学できる

霞ヶ城公園は自由に散策できる(開園時間は未確認)⁠。日本100名城スタンプ⁠はJR二本松駅舎内⁠の観光案内所と、にほんまつ城報館にある。

確認日:

この城の物語

01
史実

丘に三方を囲まれた白旗ケ峯

二本松城は、阿武隈山地のすそにある標高345mの白旗ケ峯を中心に築かれました。南・西・北を丘に囲まれ、東だけが少し開いた、自然の守りに恵まれた地形を生かしています。[2]

02
伝承

畠山満泰に始まり、伊達・蒲生・上杉へ

1414年、畠山満泰がこの山に移って二本松城と⁠名付けたとされます。1586年に伊達政宗が畠山氏を滅ぼして伊達の城になり、豊臣秀吉の奥州仕置のあとは会津の蒲生氏・上杉氏の支城と⁠して城代が置かれました。[2][3]

03
史実

中世の城から石垣の城へ

発掘調査で、中世の城から近世の城への大きな造りかえは、1627〜1643年⁠の加藤氏の時代に行われたことが分かりました。1643年には丹羽光重が10万700石⁠で入り、城の石垣などを直して城下町を整えました。いまの二本松の町並みは、このときの町割りと⁠ほとんど⁠変わっていません。[2][3]

04
史実

戊辰戦争と⁠二本松少年隊

1868年7月29日、戊辰戦争で城は新政府軍に攻められ、昼ごろに落城しました。戦死者は337人で、その中には⁠数⁠え年13〜17歳⁠の少年隊士14人⁠が含まれます。城内では、主戦論を唱えた家老ら3人が責任をとって自害しました。[3][1]

05
史実

焼けた城跡に製糸工場が建つ

戦いで城の建物は焼け、1873年には三ノ丸に機械で糸をとる「二本松製糸会社」ができて、この地域の近代化に大きな役割を果たしました。いまは本丸や⁠三ノ丸の石垣や⁠井戸、戒石銘碑などが残っています。[3][1]

06
史実

箕輪門と⁠本丸石垣の復元

1982年に箕輪門が再建され、1993〜1995年には本丸の石垣が⁠積⁠み⁠直されました。2007年に国の史跡になり、2024年には藩校「敬学館」跡などが範囲に加わっています。2011年と⁠2022年の地震で傷んだ石垣も、伝統の工法で直されています。[1][2][4][6]

この城の人びと

年表

  1. 畠山満泰が白旗ケ峯に移り二本松城と⁠名付けたとされる[2][3]

  2. 伊達政宗が畠山氏を滅ぼし、城に入る[3]

  3. 丹羽光重が10万700石⁠で入る[2][3]

  4. 戊辰戦争で落城。少年隊士14人⁠を含む337人が戦死[3]

  5. 箕輪門を再建[1]

  6. 1993〜1995年度⁠の工事

    本丸の石垣を積み直して復元[4][6]

  7. 国史跡「二本松城跡」に指定[2]

建物と⁠遺構

天守の状態

確認中

本丸に天守台の石垣だけが残る(城郭協会「天守台のみ残る」)⁠。天守が建っていたかどうかは確認できなかった。

城全体のいま

城跡は霞ヶ城公園と⁠して整備され、山頂の本丸跡、再建された箕輪門、石垣、井戸、庭園などが残る。城跡の近くには歴史観光施設「にほんまつ城報館」がある。

主な建物

再建(復興)

箕輪門・附櫓

戊辰戦争で焼失、1982年に再建。[1]

移築して現存二本松市指定有形文化財

洗心亭

藩主時代の城内の茶室「墨絵の茶屋」を、移築を経て現在地に置いたもの。1976年に市指定。[1]

現存しない

大手門(坂下門)

1832年に幕府の許可を得て建てた櫓門。戊辰戦争後まもなく取り壊されたと⁠みられ、石垣が残る。[5]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
中世・近世編集部記事
天守の状態
確認中天守の有無・状態は確認中編集部記事
築城者
畠山満泰、蒲生氏郷、加藤明利、丹羽光重日本城郭協会
築城
応永21年(1414)⁠、天正18年(1590)⁠、寛永4年(1627)⁠、寛永20年(1643)日本城郭協会
主な城主
畠山氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏日本城郭協会
廃城
明治5年(1872年)Wikipedia
見られる遺構
天守台・石垣・堀切・門・櫓・櫓台・曲輪・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(二本松城跡)(2007年)⁠、国史跡(旧二本松藩戒石銘碑)(1935年)編集部記事
名城選定
日本100名城 11番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

霞ヶ城公園は自由に散策できる(開園時間は未確認)⁠。日本100名城スタンプ⁠はJR二本松駅舎内⁠の観光案内所と、にほんまつ城報館にある。

住所

福島県二本松市郭内(にほんまつ城報館: 郭内三丁目303番地5)[10]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR二本松駅JR東北本線

徒歩約20分 · 急⁠な登り

駅から城跡の入口まで徒歩約20分、入口から山頂の本丸までさらに約15分(補助資料による)⁠。本丸へは坂と⁠階段を上る。[12]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

にほんまつ城報館(二本松歴史館)
時間
9:00〜17:00(歴史館の入館は16:30まで⁠)
休館・休み
月曜(祝日の場合はその後の平日)⁠、12月29日〜1月3日
料金
常設展示室一般200円・高校生以下100円(20人以上の団体は150円・50円)⁠、未就学児無料。企画展は別料金[7][8]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

東北自動車道二本松ICが最寄り。駐車場の位置は観光連盟の地図で案内されている(台数・料金は未確認)⁠。[13][1]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
箕輪門から本丸まで上り下りして約1時間半、城報館も見るなら2時間〜2時間半⁠が目安
階段・坂・足もと
本丸は標高345mの山頂にあり、箕輪門からは坂と⁠階段が続く。[2][1]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
公園内にトイレあり。位置は観光連盟の地図で案内されている。[1]
英語案内・音声ガイド
にほんまつ城報館のサイトに英語などの外国語ページがある。現地の英語表示は未確認。[9]
季節の楽しみ
観光連盟の花ごよみでは、フジ5月中旬、アヤメ6月中旬、アジサイ7月中旬、紅葉11月上旬。[1]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
にほんまつ城報館は、二本松の提灯祭り(10月3〜5日)⁠と菊人形(10月10日〜11月23日)⁠の期間は休館日も開館。2026年10・11月の休館日は10月6日・11月24日・11月30日。[9]確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

山の上まで歩いて城の大きさを体で感じたい人、中世の山城が石垣の城に変わっていく歴史に興味がある人、戊辰戦争の歴史をたどりたい人に向く。

ここを見ると⁠面白い

箕輪門の前で少年隊の群像を見て、門をくぐり、坂を上って山頂の本丸へ。本丸の石垣と⁠天守台の上から町を見下ろすと、なぜここに城が置かれたのかが分かる。帰りに日影の井戸や⁠天守台下の古い石垣、入口の戒石銘碑も見ておきたい。

訪ねる前に

江戸時代の建物は残っておらず、箕輪門は1982年の再建。本丸までは坂道と⁠階段が続くので歩きやすい靴で。城報館は月曜休館(祭りの期間は臨時開館あり)⁠。

楽しみかた

先ににほんまつ城報館で城の歴史を知ってから上ると、本丸の石垣の見方が変わる。秋は菊人形や⁠紅葉の時期と⁠合わせて訪ねるのもよい。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    霞ヶ城公園二本松市観光連盟tourism確認日:
  2. 2
    二本松城跡│二本松城跡⁠の概要二本松市教育委員会municipal確認日:
  3. 3
    二本松城跡│城跡⁠の歴史二本松市教育委員会municipal確認日:
  4. 4
    二本松城跡│被災石垣⁠の修理二本松市教育委員会municipal確認日:
  5. 5
    二本松城跡│二本松城大手門⁠跡二本松市教育委員会municipal確認日:
  6. 6
    二本松城(お知らせ)二本松市教育委員会municipal確認日:
  7. 7
    開館時間・休館日にほんまつ城報館(二本松市)municipal確認日:
  8. 8
    二本松歴史館の入館料にほんまつ城報館(二本松市)municipal確認日:
  9. 9
    10月・11月の臨時開館日についてにほんまつ城報館(二本松市)municipal確認日:
  10. 10
    にほんまつ城報館のご紹介にほんまつ城報館(二本松市)municipal確認日:
  11. 11
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  12. 12
    二本松城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  13. 13
    二本松城跡│アクセス二本松市教育委員会municipal確認日:
  14. 14
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  15. 15
    Wikipedia「二本松城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  16. 16
    Wikidata Q593054Wikidatawikidata確認日:
  17. 17
    OpenStreetMap way/1189149053© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

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  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
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