館跡を囲む空壕(からぼり)と、郭(くるわ)へ入る道(2014年6月撮影)。志苔館は四方を土塁で囲み、沢などの地形を利用して空壕を掘っている。
おちむしゃ20150505Public domainWikimedia Commons

北海道 · 函館市

志苔館

しのりたて

Shinoridate

北海道函館市

城平城続日本100名城 101番

この城らしさ

館のすぐそばの土の中から、38万枚をこえる銭を詰めた大甕が三つ見つかった。海を見下ろす土塁の館は、北の海の交易で栄えた和人の拠点だった。

なぜ?

1968年、館跡の近くの道路工事で、大甕3個にぎっしり詰まった古銭が見つかりました。数は93種38万枚⁠をこえ、古いものは紀元前、新しいものは14世紀の中国の銭です。甕の年代から14世紀後半〜末ごろに埋められたと⁠考えられ、日本海の海運でつながった中世の北の経済を物語る資料と⁠して、国の重要文化財になっています。[1]

見逃したくない3つ

01
館跡を囲む空壕(からぼり)と、郭(くるわ)へ入る道(2014年6月撮影)。志苔館は四方を土塁で囲み、沢などの地形を利用して空壕を掘っている。おちむしゃ20150505Public domainWikimedia Commons

四方を囲む土塁と⁠空壕

見る場所
館跡のまわり。特に北側の高い土塁と、西側の土橋をはさむ二重の空壕
注目する部分
北側で⁠高さ4〜4.5m、南側で1〜1.5mと⁠高さが違う土塁と、断面がV字に近い空壕
ここが面白い
石垣も天守もない、土を盛って掘っただけの中世の館です。土塁は北側ほど高く、西側には土橋をはさんで空壕が二重に掘られています。沢などの地形を利用して壕を掘り、陸側の守りを固めた様子がよく分かります。[1]
見られるか
外から見られる自由に見学できる。土塁に登ったり芝生を傷めたりしない。斜面はとても急。
02
土塁に囲まれた郭の内側から、正面入口(大手)の方向を見る(2014年6月撮影)。館は海岸段丘のふちにあり、南西に函館山や津軽海峡を一望できる。おちむしゃ20150505CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

郭の中の建物跡の表示

見る場所
土塁に囲まれた⁠郭(くるわ)⁠の内側。東西70〜80m、南北50〜65m
注目する部分
地面に示された建物跡・柵跡・井戸跡・柱穴跡の表示
ここが面白い
1983年度からの発掘調査で、建物跡や⁠塀・柵の跡、井戸跡が見つかり、郭の中が14世紀末ごろから16世紀以降まで3つの時期で移り変わったことが分かりました。井戸は四隅に柱を立てて板で囲む形で、鎌倉時代の終わりごろに流行した形を受け継ぐものです。市は創建期と⁠考えられる建物などを地面に表示しています。[1][2]
見られるか
外から見られる郭の中を歩いて見られる。
03

津軽海峡と⁠函館山の眺め

見る場所
標高17〜25mの海岸段丘のふちにある館跡から南西を見る
注目する部分
函館山と⁠市街地、津軽海峡、遠くの下北半島
ここが面白い
館の目の前の海岸は「宇賀の昆布」と⁠呼ばれた良い昆布の産地で、天然の良港も多い場所でした。海を見渡せる場所に館を置いたことは、海の産物と⁠海の道が和人の暮らしを支えていたことを感じさせます。[1][2]
見られるか
外から見られる天気が良い日に見渡せる。

訪問の目安

最寄り駅
函館バス「志海苔」停留所から徒歩約5分
登り
未確認
所要時間の目安編集部の目安
郭の中と⁠土塁・空壕をひと回りして30分ほど
立入り
自由に見学できる

史跡公園と⁠して自由に見学できる(料金は不要と⁠みられるが、公開時間の公式な記載はない)⁠。土塁に登る、芝を傷める、自転車や⁠バイクで乗り入れる、火を使うことなどは禁止。続日本100名城⁠のスタンプは史跡内のあずまやにある。

確認日:

この城の物語

01
史実

昆布の海を見下ろす段丘

志苔館は、函館市の中心部から約9km東、標高17〜25mの海岸段丘のふちにあります。この辺りの海岸は昔から「宇賀の昆布」と⁠呼ばれる良い昆布の産地で、天然の良港も多くありました。館跡からは函館山と⁠市街地、津軽海峡、遠く下北半島まで見渡せます。[1]

02
史実

和人の館「道南十二館」のいちばん⁠東

14〜15世紀ごろ、本州から蝦夷地(いまの北海道)⁠に渡ってきた和人が、道南の海沿いに館を築きました。松前藩の史書『新羅之記録』に記された館を「道南十二館」と呼び、志苔館はその中でいちばん東にあります。館主は小林太郎左衛門尉良景⁠と記録されています。発掘で見つかった陶磁器の多くは15世紀初めごろのものです。[1][2]

03
研究上の解釈

海の交易でつながる北の中世

郭の中からは、中国南部で作られた青磁・白磁や、越前・珠洲(いまの福井県・石川県)⁠で焼かれた甕や⁠皿が出ています。近くで見つかった大量の銭と⁠あわせて、志苔館が本州や⁠大陸と⁠海でつながる交易の世界の中にあったことがうかがえます。銭が埋められた理由は、たくわえ説や⁠祭りの説があり、定説はありません。[1]

04
史実

1457年、コシャマインの戦いで落ちる

『新羅之記録』には、1456年から続いた「コシャマインの戦い」で、1457年5月⁠にアイヌの人びとが蜂起して志苔館を攻め、館が落ちたことが記されています。同じ記録には、戦いの末にアイヌの首長コシャマイン⁠が討たれたとも書かれています。1512年にもアイヌとの戦いで再び館が落ちました。その後、館主の小林氏は松前氏に従ったと⁠いわれ、志苔館は記録から消えて、事実上⁠使われなくなったと⁠考えられています。これらは和人の側の松前藩が残した記録で、アイヌの側の見方は⁠伝わっていません。[1]

05
史実

建物は消え、土塁と⁠空壕が残った

館の建物は⁠残っていませんが、四方の土塁と⁠空壕はよく残っています。函館市教育委員会⁠は1983年度から発掘調査を行い、掘立柱の建物や⁠礎石の建物、柵や⁠板塀、井戸の跡を見つけました。郭の中は14世紀末ごろ〜15世紀初め、15世紀中ごろ、16世紀以降の3つの時期に移り変わったことが分かっています。[1]

06
史実

史跡公園と⁠して

志苔館跡は1934年に国の史跡に指定され、1977年に範囲が広げられました。発掘の結果をもとに、1987年度までに郭の中の建物跡や⁠井戸跡などを地面に表示し、外側の空壕や⁠小さな土塁も芝を張るなどして整え、史跡公園になりました。2017年には続日本100名城⁠に選ばれています。[1][4]

この城の人びと

年表

  1. 14世紀末ごろ〜15世紀初めごろ(発掘調査による⁠)

    郭の中に最初の建物が建てられる[1][3]

  2. コシャマインの戦いで館が落ちる[1]

  3. アイヌとの戦いで再び落ち、のちに使われなくなる[1]

  4. 国の史跡に指定[4]

  5. 近くの道路工事で約38万枚の古銭が入った大甕が見つかる[1]

  6. 市による発掘調査が始まる(1987年度までに史跡公園と⁠して整備)[1]

  7. 続日本100名城⁠に選ばれる[1][3]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

中世の土の館で、天守はもともとない。

城全体のいま

土塁と⁠空壕に囲まれた郭が史跡公園と⁠して整備され、芝生の中に建物跡などが表示されている。あずまや・トイレ・水飲み場がある。北側には函館空港の滑走路が近い。

主な建物

跡地のみ

郭内の建物跡・井戸跡・柵跡

発掘調査をもとに地面に平面表示されている。[1]

基本データ

種類
城
地形による分類
平城平地に堀をめぐらせて築いた⁠城編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
小林良景日本城郭協会
築城
14世紀末~15世紀初頭頃日本城郭協会
主な城主
安東氏一族か日本城郭協会
廃城
1457年(長禄元年)Wikipedia
見られる遺構
曲輪・土塁・堀・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(志苔館跡)(1934年)⁠、国重要文化財(北海道志海苔中世遺構出土銭。市立函館博物館⁠が所蔵)(2003年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 101番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

史跡公園と⁠して自由に見学できる(料金は不要と⁠みられるが、公開時間の公式な記載はない)⁠。土塁に登る、芝を傷める、自転車や⁠バイクで乗り入れる、火を使うことなどは禁止。続日本100名城⁠のスタンプは史跡内のあずまやにある。

住所

北海道函館市志海苔町・赤坂町[1]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

函館バス「志海苔」停留所函館バス(函館駅前から約35分)

徒歩約5分 · 未確認

停留所から約260m。函館空港からは、湯倉神社前で乗り換えて志海苔まで約8分(空港〜湯倉神社前⁠は約16分)⁠。空港から歩く場合は約1.6kmで、市が徒歩ルートの案内(PDF)⁠を出している。[1][2][5]

確認日: 2026-10-03

車・駐車場

史跡に駐車場はない。函館駅からタクシーなどで国道278号経由約8.5km、函館空港から約2.1km。[1][2]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
公式な記載なし(函館市の観光サイトは「深夜・早朝でも入れる施設」に分類)[2]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
郭の中と⁠土塁・空壕をひと回りして30分ほど
階段・坂・足もと
史跡の斜面はとても急。郭の中は北から南へゆるやかに下る平らな地面。[1]
車椅子・ベビーカー
斜面が大変急なため、小さな子ども連れや⁠体の不自由な人は特に注意するよう市が呼びかけている。バリアフリー設備⁠の記載はない。[1]確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
史跡内にトイレ・あずまや・水飲み場がある。[1]
英語案内・音声ガイド
英語の案内の有無は未確認。
季節の楽しみ
季節の見どころは公式に記載なし。
撮影のルール
撮影についての公式なルールは⁠見つからなかった。
工事・休館・立入制限
駐車場はない。史跡内の事故は当事者間で解決するよう市が案内している。[1]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

博物館

市立函館博物館

志苔館跡の近くで見つかった国の重要文化財「北海道志海苔中世遺構出土銭」を常設展示している。館跡からは離れているので、バスか車で移動する(函館市青柳町)⁠。[1][2]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

石垣や⁠天守のない「土の城」を見てみたい人、北海道の和人と⁠アイヌの歴史に関心がある人、函館空港の行き帰りに少し時間がある人に向く。

ここを見ると⁠面白い

まず土塁の高さが北と⁠南でまったく違うところ、西側の二重の空壕と⁠土橋。次に郭の中の建物跡の表示。最後に南西の海と⁠函館山を眺め、ここが海の交易の拠点だったことを思い描きたい。

訪ねる前に

駐車場がないので、バスか、空港からタクシー・徒歩で向かう。土塁に登るのは禁止で、斜面はとても急。館の歴史は和人側の松前藩の記録で伝わっているもので、アイヌの側の記録はないことも知っておくとよい。

楽しみかた

現地の説明板で発掘の成果を確かめてから郭を歩くと、どこにどんな建物があったか想像しやすい。市立函館博物館⁠で出土銭の実物を見ると、この小さな館が広い交易の世界と⁠つながっていたことが実感できる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    史跡志苔館跡函館市(教育委員会文化財課)municipal確認日:
  2. 2
    史跡志苔館跡はこぶら(函館市公式観光情報)tourism確認日:
  3. 3
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  4. 4
    志苔館(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  5. 5
    函館空港から史跡志苔館跡までの徒歩ルート(2023年12月作成)函館市教育委員会municipal確認日:
  6. 6
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  7. 7
    Wikipedia「志苔館」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  8. 8
    Wikidata Q11491132Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

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