城の北西のすみにある乾門の桝形虎口(2021年9月撮影)。土塁で四角く囲んだ出入口で、整備されて形が分かりやすい。
HikaruKinkakujiCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

山梨県 · 韮崎市

新府城

しんぷじょう

Shinpu Castle

山梨県韮崎市

城平山城続日本100名城 129番

この城らしさ

武田勝頼が新しい都と⁠して築き、入ってわずか70日ほどで自ら火を放った城。

なぜ?

武田勝頼は1581年、甲府の躑躅ケ崎館から本拠をここへ移しました。「新府」とは新しい府中(都)⁠と⁠いう意味です。ところが翌1582年3月、織田軍が迫ると⁠勝頼は未完成の城に火を放って逃れ、まもなく自害して武田氏は滅びました。[1][2][4]

見逃したくない3つ

01
城の南の大手にある丸馬出(2006年10月撮影)。半円形に土塁を築いた出入口の守り。monadoCC BY-SA 2.5Wikimedia Commons

大手の丸馬出と⁠三日月堀

見る場所
城の南の端、大手⁠(正面の出入口)
注目する部分
出入口の前に半円形に土を盛った丸馬出と、その外側を三日月形にめぐる⁠堀
ここが面白い
門の前に小さな土の砦を置き、兵が出入りしやすく敵は⁠近づきにくくするしかけです。丸馬出と⁠三日月堀は武田家の築城の特徴と⁠され、新府城ではそれがよく残っています。[1][4]
見られるか
外から見られる城跡は自由に見学できる。
02
城の北側の堀に突き出た東出構(でがまえ)(2006年10月撮影)。monadoCC BY-SA 2.5Wikimedia Commons

北の堀に突き出た出構

見る場所
城の北側のふもと、帯郭の外の⁠堀
注目する部分
堀の中へ細長く突き出した土の張り出し(東出構・西出構)
ここが面白い
観光協会は、出構を丸馬出や⁠三日月堀とならぶ武田家⁠の築城技術の一つとして紹介しています。突き出した先から堀ぞいの敵を横から攻撃するための場所と⁠考えられていますが、使い方には異説もあります。[4]
見られるか
外から見られる外から見られる。
03
城の北西のすみにある乾門の桝形虎口(2021年9月撮影)。土塁で四角く囲んだ出入口で、整備されて形が分かりやすい。HikaruKinkakujiCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

崖ぎわの搦手と⁠乾門

見る場所
城の北西のすみ
注目する部分
土塁で四角く囲んだ桝形の出入口と、すぐ西に落ちこむ七里岩の⁠崖
ここが面白い
乾門は、西が崖、東が水堀で、その間を土の橋で渡る造りです。発掘では門の礎石と、1582年3月3日⁠に焼けたあとと⁠考えられる炭になった木材や⁠鉄釘が見つかり、勝頼が火を放った日の跡が⁠確かめられました。[1]
見られるか
外から見られる整備されていて見学できる。崖に近づきすぎない。

訪問の目安

最寄り駅
JR新府駅から徒歩約15分
登り
少し登る
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひととおり⁠歩いて1時間〜1時間半
料金
無料
時間
9:00〜16:30(16:00頃までに入館)⁠。木曜日は13:00から
立入り
自由に見学できる

城跡は自由に歩ける。続日本100名城⁠のスタンプと⁠御城印は城跡ではなく、韮崎市民俗資料館(韮崎市藤井町南下條786-3)⁠にある。資料館では新府城の模型も見られる。

確認日:

この城の物語

01
史実

崖の上の小山を選んだ

城が立つ七里岩は、八ヶ岳の山崩れで流れてきた土砂が、両側を流れる釜無川と⁠塩川に削られてできた細長い台地です。西側の崖は約30kmも続きます。新府城は、その南の端にある標高約524mの小山「西ノ森」に築かれ、西は釜無川をのぞむ⁠急⁠な崖でした。[1]

02
史実

武田勝頼の「新しい府中」

新府城は1581年に武田勝頼が築きました。城は未完成でしたが、同じ年の9月ごろには友好国に築城を知らせ、12月24日に甲府の躑躅ケ崎館から移りました。「新府」と⁠いう名前には、新しい府中(国の中心)⁠をつくろうとした勝頼のねらいがうかがえます。[1][4]

03
史実

土だけで造った武田流の⁠城

城は石垣を使わず、土を削り盛って造られました。山頂の本丸を中心に、西に二の丸、南に西三の丸と⁠東三の丸を置き、山すそには堀と⁠土塁で守った帯郭がめぐります。南には大手の桝形・丸馬出・三日月堀、北西には搦手があり、山全体が城でした。[1]

04
史実

自ら火を放ち、武田氏が滅ぶ

1582年3月3日、織田軍が攻めてくる直前に、勝頼は自分で城に火を放って退きました。3月11日、勝頼は田野(いまの甲州市)⁠で夫人や⁠息子の信勝とともに自害し、武田氏は滅びました。同じ年、甲斐をめぐって徳川氏と⁠北条氏が争った天正壬午の戦いでは、徳川家康がこの城を本陣と⁠して使いました。[1]

05
史実

発掘と⁠整備で見える城に

城跡は1973年に国の史跡になりました。韮崎市は土地を買い取って公有化を進め、1998年から発掘調査を行い、その成果をもとに整備してきました。城の北側を中心とした第1期整備は2016年3月⁠に終わり、第2期へ続いています。本丸跡には勝頼をまつる藤武神社があります。[1][2][4]

この城の人びと

年表

  1. 武田勝頼が築城し、12月24日に躑躅ケ崎館から移る[1]

  2. 3月3日、勝頼が城に火を放って退く。3月11日に武田氏滅亡[1]

  3. 天正壬午の戦いで徳川家康が本陣と⁠する[1]

  4. 国の史跡に指定[1]

  5. 韮崎市が発掘調査を始める[1][2]

  6. 第1期の整備工事が完了[2]

建物と⁠遺構

天守の状態

天守は失われた

城郭協会の一覧では天守は「−」。建物は1582年に焼け、何も残っていない。

城全体のいま

山全体が史跡で、林の中に土塁・堀・郭が残る。北側を中心に発掘成果をもとにした整備が進み、本丸跡には藤武神社がある。建物は残っていない。

主な建物

現存しない

城門・御殿などの建物

1582年3月3日⁠に焼けた。搦手の門跡では礎石と⁠焼けた木材・鉄釘が見つかっている。[1]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
天守は失われた天守はあったが、今は残っていない(天守台などが残る場合がある⁠)編集部記事
築城者
武田勝頼日本城郭協会
築城
天正9年(1581)日本城郭協会
主な城主
武田勝頼日本城郭協会
廃城
1590年(天正18年)Wikipedia
見られる遺構
土塁・堀・曲輪・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(新府城跡)(1973年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 129番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は自由に歩ける。続日本100名城⁠のスタンプと⁠御城印は城跡ではなく、韮崎市民俗資料館(韮崎市藤井町南下條786-3)⁠にある。資料館では新府城の模型も見られる。

住所

〒407-0262 山梨県韮崎市中田町中條4787[4]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR新府駅JR中央本線

徒歩約15分 · 少⁠し登る

駅から徒歩約15分。城跡の中は山の上り下りがある。[4]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

韮崎市民俗資料館(スタンプ・御城印・新府城模型)
時間
9:00〜16:30(16:00頃までに入館)⁠。木曜日は13:00から
休館・休み
月曜日、木曜日の午前(祝日の場合は翌日休館)⁠、12月29日〜1月3日。最新の休館日は資料館のブログで案内
料金
無料[3][4]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

中央自動車道韮崎ICから約20分。新府城跡駐車場(約30台、韮崎市中田町中條4645)⁠、大型バス可。[4]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひととおり⁠歩いて1時間〜1時間半
階段・坂・足もと
山全体が城で、土の道と⁠坂、堀や⁠土塁の上り下りがある。西側は高い崖。[1]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
本丸にトイレがあるが、凍結を防ぐため冬ごろから4月上旬ごろまで閉鎖される。[4]
英語案内・音声ガイド
英語の案内は確認できなかった。
季節の楽しみ
城跡から富士山や⁠八ヶ岳が見え、春には周りの「新府桃源郷」の桃の花が一面に咲く。[4]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
史跡の整備は第2期へ続いており、場所によっては工事や⁠調査が行われていることがある(時期は未確認)⁠。[2]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

博物館

韮崎市民俗資料館

市内の民俗・考古資料を展示する無料の資料館。新府城の模型があり、続日本100名城⁠のスタンプもここにある。隣に水車と⁠蔵座敷が移されている。[3]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

武田氏の歴史が好きな人、石垣のない「土の城」の造りをじっくり見たい人に向く。丸馬出や⁠出構など、教科書的な武田流のしかけがまとまって見られる。

ここを見ると⁠面白い

南の大手の丸馬出と⁠三日月堀、北の堀の出構、北西の乾門の桝形の3か所を回ると、この城の守り方が分かる。本丸からは八ヶ岳や⁠富士山を眺めたい。

訪ねる前に

建物は一つも残っていない。林の中の土の道を⁠上⁠り⁠下りするので歩きやすい靴で行く。スタンプは城跡ではなく市民俗資料館にあり、月曜と⁠木曜午前は休館なので注意。冬から4月上旬は本丸のトイレが使えない。

楽しみかた

先に民俗資料館で模型を見て城全体の形をつかんでから歩くと、林の中の土塁や⁠堀がどこにあたるのか分かりやすい。春は桃の花が咲く時期に合わせると、城跡と⁠桃源郷を一度に楽しめる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    史跡新府城跡韮崎市教育委員会文化財担当municipal確認日:
  2. 2
    新府城⁠お散歩マップ「親子⁠で歩く新府城」を改訂しました韮崎市municipal確認日:
  3. 3
    韮崎市民俗資料館韮崎市municipal確認日:
  4. 4
    新府城跡韮崎市観光協会tourism確認日:
  5. 5
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  6. 6
    新府城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  7. 7
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  8. 8
    Wikipedia「新府城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  9. 9
    Wikidata Q11502234Wikidatawikidata確認日:
  10. 10
    OpenStreetMap node/2484962810© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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