武田通りから見た武田神社の正面(2014年5月撮影)。赤い神橋が館の堀を渡り、両側に石垣が見える。この境内が武田氏の館の跡。
江戸村のとくぞう (Edomura no Tokuzo)CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

山梨県 · 甲府市

武田氏館

つつじがさきやかた

Tsutsujigasaki Castle

山梨県甲府市

城平城日本100名城 29番

この城らしさ

武田信玄が暮らした館の跡が、いまは信玄をまつる神社の境内になっている。

なぜ?

武田氏館(躑躅ヶ崎館)は、信玄の父・信虎が1519年に築き、信虎・信玄・勝頼の3代が63年間暮らした館です。1919年、県民の寄付でその跡地に信玄をまつる武田神社が建てられました。参道の赤い橋が渡る堀や、境内を囲む土塁・石垣が、館の名残です。[1][3][4]

見逃したくない3つ

01
堀にかけられた神橋と、その先の石段・鳥居(2014年5月撮影)。神社をつくるときに館の南の石垣を崩して正門を設けたとされる。江戸村のとくぞう (Edomura no Tokuzo)CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

神社の境内を囲む館の堀と⁠土塁

見る場所
武田神社の境内のまわり。正面の神橋、東側・西側の堀ぞい
注目する部分
境内を四角く囲む水堀と⁠空堀、その内側の土塁や⁠石垣
ここが面白い
館は東西約284m・南北約193mで、東・中・西の曲輪に⁠分かれていました。神社が建つ東曲輪・中曲輪の間の土塁は神社をつくるときに⁠取⁠り⁠払われましたが、外側の堀や⁠土塁、石垣は残り、館の大きさを実感できます。[3][4]
見られるか
外から見られる神社の境内と⁠まわりの道から自由に見られる。
02

大手門東の史跡公園

見る場所
神社の東側、館の正面入口(大手)⁠があったあたり
注目する部分
発掘調査をもとに整えられた大手口のまわりの土塁や⁠石の並び、堀のあと
ここが面白い
いまの神社の正面(南側)⁠は神社をつくるときに設けた入口で、館の正面は東側にありました。甲府市は2007年から整備を続け、大手門の東一帯を史跡公園にしました。発掘では、大手口の前に三日月形の⁠堀(丸馬出)⁠があったことも分かっています。[1][9]
見られるか
外から見られる公園と⁠して自由に歩ける。
03

復元された西曲輪の虎口

見る場所
神社の西側にある西曲輪の南と⁠北の出入口
注目する部分
まっすぐ入れないように土塁や⁠石垣で囲んだ出入口(枡形虎口)⁠の⁠形
ここが面白い
甲府市は西曲輪の南北の虎口を往時の姿に修復しました。西曲輪の虎口は、武田氏の城の特徴がよく表れた場所と⁠されています。[1][9]
見られるか
外から見られる自由に見られる。

訪問の目安

最寄り駅
JR甲府駅北口(バス利用)から
登り
未確認
所要時間の目安編集部の目安
神社の境内と⁠堀のまわりで1時間ほど。信玄ミュージアム⁠や大手門東の史跡公園も回るなら2時間ほど
料金
常設展示室は無料。特別展示室は一般300円(20人以上の団体240円)⁠、高校生以下・障害者手帳を持つ人は無料
時間
9:00〜17:00
立入り
自由に見学できる

館の跡の中心は武田神社の境内で、参拝者と⁠して自由に入れる。神社の宝物殿と⁠信玄ミュージアム⁠の特別展示室は有料。旧堀田古城園の建物の中は受付で許可を受けて見学する。

確認日:

この城の物語

01
史実

信虎が府中を移した

1519年、甲斐の守護・武田信虎は、それまでの本拠から甲府盆地の北の端、相川がつくった扇状地の上へ館を移しました。翌年には北の山に、いざと⁠いうときに立てこもる要害城を築きました。館を中心に家臣の屋敷や⁠寺社が集められ、これが甲府の町のはじまりです。[1][3][9]

02
史実

武田3代が63年暮らした⁠館

館には信虎・信玄・勝頼の3代が63年間住みました。はじめは堀1重の四角い館でしたが、武田氏が力を伸ばすにつれて曲輪が増え、東日本でも最大級の戦国時代の館になりました。東曲輪で政治が行われ、中曲輪が当主の住まいだったと⁠考えられています。[1][3][9]

03
伝承

「人は城」の⁠館

武田信玄は高い石垣の城ではなく、この館を本拠に甲斐を治めました。「人は城、人は石垣、人は堀」は信玄の歌と⁠いわれ、甲府市は、信玄には大きな城はいらず小さな館で十分だったのだろうと紹介しています。ただし実際には、北の要害城や⁠まわりの山城と⁠組み合わせて府中を守っていました。[4][1]

04
史実

勝頼が去り、館は役目を終えた

1582年、信玄の子・勝頼は新しく築いた新府城(いまの韮崎市)⁠へ本拠を移しましたが、その直後に織田軍に攻められて武田氏は滅びました。その後も徳川氏などが館を使って手を加えましたが、甲府城が築かれると⁠政治の中心はそちらへ移りました。[9]

05
史実

館の跡に武田神社が建つ

1915年、信玄に位が贈られたのをきっかけに、県民の間で信玄をまつる神社をつくる動きが起こりました。官民で寄付を集め、1919年に館の跡に武田神社が完成しました。このとき東曲輪と⁠中曲輪の間の土塁が取り払われ、南の石垣を崩して正面の入口がつくられたとされます。それでも外側の堀・土塁・石垣や⁠井戸が残っています。[4][3][9]

06
史実

国の史跡と⁠して整備が続く

館の跡は1938年に国の史跡に指定されました。甲府市は1970年から土地を少しずつ買い取り、2007年からは大手門東の史跡公園や⁠西曲輪の虎口の整備を進めています。2019年には館の歴史や⁠出土品を紹介する信玄ミュージアム⁠が近くに開館しました。[1][2][3]

この城の人びと

年表

  1. 武田信虎が館を築く[1][3]

  2. 北の山に要害城を築く[4]

  3. 勝頼が新府城へ移り、まもなく武田氏が滅びる[9]

  4. 館の跡に武田神社が創建される[4][5]

  5. 国の史跡に指定される[1][3]

  6. 甲府市が史跡の整備事業を始める[1]

  7. 信玄ミュージアム(甲府市武田氏館跡歴史館)⁠が開館[2]

建物と⁠遺構

天守の状態

確認中

武田氏の時代は天守のない館だった。武田氏が滅びたあとの改修で天守が築かれたとする説がある(未確認)⁠。

城全体のいま

館の中心だった東曲輪・中曲輪は武田神社の境内。まわりの堀・土塁・石垣が残り、大手門の東側は史跡公園、西曲輪の虎口は修復されている。南に信玄ミュージアム⁠がある。館は戦国時代の大名の住まいで、天守や⁠高石垣のある江戸時代の城とは成り立ちが違う。

主な建物

現存しない

館の建物(主殿など⁠)

残っていない。跡地に1919年創建⁠の武田神社の社殿が建つ。[4][5]

基本データ

種類
城
地形による分類
平城平地に堀をめぐらせて築いた⁠城編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
確認中天守の有無・状態は確認中編集部記事
築城者
武田信虎日本城郭協会
築城
永正16年(1519)日本城郭協会
主な城主
武田氏日本城郭協会
廃城
1594年(文禄3年)Wikipedia
見られる遺構
石垣・土塁・堀・虎口・井戸・天守台・曲輪編集部記事
文化財指定
国史跡(武田氏館跡)(1938年)編集部記事
名城選定
日本100名城 29番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

館の跡の中心は武田神社の境内で、参拝者と⁠して自由に入れる。神社の宝物殿と⁠信玄ミュージアム⁠の特別展示室は有料。旧堀田古城園の建物の中は受付で許可を受けて見学する。

住所

〒400-0014 山梨県甲府市古府中町2611(武田神社)[5][3]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR甲府駅北口(バス利用)JR中央本線・身延線

未確認

北口から山梨交通バス「武田神社」行または「積翠寺」行で約8分。新宿から甲府駅までは特急あずさで約1時間半。[6]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

信玄ミュージアム(甲府市武田氏館跡歴史館)
時間
9:00〜17:00
休館・休み
火曜(祝日の場合は翌日)⁠、臨時の開館・休館あり
料金
常設展示室は無料。特別展示室は一般300円(20人以上の団体240円)⁠、高校生以下・障害者手帳を持つ人は無料[2]
確認日: 2026-10-03
武田神社宝物殿
時間
9:30〜16:00
休館・休み
水曜(祝日などは開館⁠し翌日休館⁠の場合あり)⁠、年末年始に1週間ほど
料金
大人500円・小中学生250円(2025年4月29日改定)⁠。30名以上の団体は400円・200円。未就学児無料[7][8]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

中央自動車道甲府昭和ICから約30分。武田神社の無料駐車場(乗用車154台・大型バス10台、9:00〜16:00、参拝者用)⁠。信玄ミュージアムにも4台分の駐車場がある(無料)⁠。[6][2]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認(神社境内)確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
神社の境内と⁠堀のまわりで1時間ほど。信玄ミュージアム⁠や大手門東の史跡公園も回るなら2時間ほど
階段・坂・足もと
甲府駅から北へゆるやかに上る扇状地の上にある。神橋の先に石段がある。[9]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
信玄ミュージアム⁠のボランティアガイド⁠は事前予約制で、手話にも対応。英語の案内は未確認。[2]
季節の楽しみ
境内には神社創建のときに県内から寄進された数百種類の木があり、四季の景色が楽しめる。[4]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
信玄ミュージアム⁠のボランティアガイド⁠は7月20日〜8月31日⁠の猛暑期は休止。武田神社の宝物殿は連休の振替で臨時休館することがある。[2][8]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

城下町

要害山(要害城跡)

館の北にある、館を守るための山城の⁠跡(国史跡)⁠。石積みの枡形虎口、土塁、竪堀、堀切などが残る。ふもとの積翠寺は信玄誕生の地と⁠伝わる。[1][4]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

武田信玄の物語が好きな人、戦国大名がどんな所に住んでいたかを知りたい人に向く。天守や⁠高い石垣はないので、堀や⁠土塁から昔の館の形を想像するのが好きな人ほど楽しめる。

ここを見ると⁠面白い

神社にお参りしたら、境内のまわりをひと回りして堀と⁠土塁を見たい。そのあと⁠東側の大手門あたりへ回ると、館の本当の正面がどこだったかが分かる。信玄ミュージアム⁠の模型や⁠展示を見てから歩くと、館の形がつかみやすい。

訪ねる前に

いまの正面の神橋と⁠石段は、神社をつくるときに設けた入口で、館の時代の正門ではない。境内は神社なので、参拝のマナーを守って見学したい。信玄ミュージアム⁠は火曜休み、宝物殿は水曜休み。

楽しみかた

神社の宝物殿では武田家ゆかりの品が見られ、信玄ミュージアムでは発掘の出土品から館の暮らしが分かる。時間があれば北の要害山や、信玄の墓・菩提寺をめぐる甲府市の散策コースを歩くと、館を中心にした武田氏の町の広がりが見えてくる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    史跡武田氏館跡⁠の整備と⁠活用甲府市教育委員会(歴史文化財課)municipal確認日:
  2. 2
    甲府市武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)甲府市municipal確認日:
  3. 3
    武田氏館跡(山梨の文化財ガイド)山梨県municipal確認日:
  4. 4
    武田史跡甲府市municipal確認日:
  5. 5
    武田神社について武田神社official確認日:
  6. 6
    交通アクセス武田神社official確認日:
  7. 7
    宝物殿武田神社official確認日:
  8. 8
    宝物殿拝観料金改定⁠のお知らせ武田神社official確認日:
  9. 9
    躑躅ヶ崎館(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  10. 10
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  11. 11
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  12. 12
    Wikipedia「躑躅ヶ崎館」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  13. 13
    Wikidata Q11637200Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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