二の曲輪の馬出の前に掘られた三日月堀(2006年11月撮影。2013年度からの本格的な整備より前の姿)。
MonadoCC BY-SA 2.5Wikimedia Commons

静岡県 · 島田市

諏訪原城

すわはらじょう

Suwahara Castle

静岡県島田市

城山城続日本100名城 149番

この城らしさ

武田流の見本と⁠されてきた巨大な丸馬出は、発掘してみると⁠多くが徳川家康の手によるものだった。

なぜ?

諏訪原城は武田勝頼が築き、2年後に徳川家康が奪い取った城です。台地続きの側に巨大な横堀と⁠丸馬出(三日月形の堀と⁠土塁で出入口を守るしかけ)⁠を並べたつくりは、武田氏の城の典型と⁠されてきました。ところが2009〜2015年⁠の発掘で、二の曲輪から西側のほとんどが家康による改修だと⁠ほぼ確実になりました。[1][2]

見逃したくない3つ

01
二の曲輪の馬出の前に掘られた三日月堀(2006年11月撮影。2013年度からの本格的な整備より前の姿)。MonadoCC BY-SA 2.5Wikimedia Commons

二の曲輪中馬出の三日月堀

見る場所
二の曲輪の西側、二の曲輪中馬出の⁠前
注目する部分
三日月の形にカーブした深い空堀と、その内側の馬出の土塁
ここが面白い
丸馬出は武田流築城の特徴と⁠いわれてきました。発掘で、この三日月堀は外側の地面から⁠深さ10.5mあると分かりました。天気がよければこのあたりから富士山も見えます。[1][2]
見られるか
外から見られる城跡は自由に見学できる。
02

復元された二の曲輪北馬出の薬医門

見る場所
二の曲輪北馬出
注目する部分
門の形と、門を額縁にして見える富士山
ここが面白い
発掘で見つかった門の礎石をもとに、2016年度に薬医門(やくいもん)⁠と⁠して復元されました。城内でただ一つ建物の姿が分かる場所です。[1]
見られるか
外から見られる外から見られ、くぐることもできる。
03
二の曲輪の堀。木々と落ち葉に覆われている(2006年11月撮影、整備前)。MonadoCC BY-SA 2.5Wikimedia Commons

二の曲輪を囲む外堀

見る場所
二の曲輪の外側。台地続きの⁠側
注目する部分
幅の広い空堀と、曲輪の内側に盛られた土塁の厚み
ここが面白い
発掘で、二の曲輪の外堀ぞいに幅約20mの土塁があったことが分かりました。曲輪の幅は東西50mほどなので、その4割を土塁が⁠占めていたことになります。外堀を掘った大量の土を盛ったためと⁠考えられています。[2]
見られるか
外から見られる堀ぞいの道から見られる。

訪問の目安

最寄り駅
JR金谷駅(コミュニティバス「諏訪原城跡」下車)から
登り
登りなし
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと回りしてビジターセンター⁠に寄るなら1時間〜1時間半⁠が目安
料金
無料
時間
10:00〜16:00
立入り
自由に見学できる

城跡は自由に見学できる。続日本100名城スタンプ⁠はビジターセンター事務室入口横と、大手南外堀のパンフレットスタンド⁠横⁠の鉄庫内(閉館日・閉館時間でも押せる)⁠。

確認日:

この城の物語

01
史実

東海道が台地へ上る場所

諏訪原城は大井川の右岸、牧之原台地の北の端、標高212〜220mの台地の上にあります。戦国時代には東海道が菊川から牧之原へ上る地点をおさえる要地でした。本曲輪の東側は断崖で、当時は大井川が台地に沿って流れていたため、背後を自然の地形に守られた「後ろ堅固の城」でした。[1][5]

02
伝承

武田勝頼が築いた国境の⁠城

島田市によると、天正元年(1573年)⁠、武田勝頼が家臣の馬場信春に命じて築きました。駿河と⁠遠江の国境にあり、武田と⁠徳川の双方が国を取るための拠点と⁠しました。城の中に諏訪大明神をまつったことから、諏訪原城の名がついたといわれます。[1]

03
史実

家康が奪い、牧野城に

1575年、長篠の戦いの後に徳川家康がこの城を攻め落とし、牧野城と⁠名を変えて使いました。家康の家臣・松平家忠の日記には、この城の普請(工事)⁠がたびたび⁠出てきます。城がいつ⁠使われなくなったかは⁠分かっていません。[1][2]

04
研究上の解釈

発掘が変えた城の評価

これまで諏訪原城は、台地続きに巨大な横堀をめぐらせ、その前に大きな丸馬出を置いた「武田系」の城の典型と⁠されてきました。しかし2009〜2015年⁠の調査で、主郭と⁠二の曲輪の南の小さな馬出を除き、ほぼすべてが徳川氏による新しいつくりだと⁠分かりました。武田流と⁠された技術を、徳川方も使っていたことを示す城になりました。[2][1]

05
史実

土の城がほぼそのまま残る

建物は⁠残っていませんが、三日月堀と⁠馬出を組み合わせた丸馬出や⁠横堀がよい状態で残り、戦国時代の山城の特徴をよく伝えています。発掘では、二の曲輪の入口で門の礎石や、門の左右に塀があった跡、橋をかけた跡なども見つかりました。[1][2]

06
史実

国史跡と⁠して整備が続く

1975年に国の史跡に指定され、2002年に範囲が追加されました。2013年度から本格的な整備が始まり、2016年度には二の曲輪北馬出の薬医門が復元されました。第一駐車場にはビジターセンター⁠があり、2017年に続日本100名城⁠に選ばれています。2023年からは、案内看板のQRコードで音声ガイドを聞けます。[1][2][3][5]

この城の人びと

年表

  1. 武田勝頼が馬場信春に命じて築城(島田市の説明)[1]

  2. 徳川家康が攻め落とし、牧野城と⁠改める[1][5]

  3. 国の史跡に指定される[1][5]

  4. 整備に向けた発掘調査が始まる(〜2015年)[2]

  5. 二の曲輪北馬出の薬医門を復元[1]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

天守の記録はない(城郭協会の表記は「−」)⁠。

城全体のいま

茶畑の広がる牧之原台地の北端に、堀・土塁・曲輪が残る史跡公園。復元された門と⁠ビジターセンター⁠がある。

主な建物

再建(復興)

二の曲輪北馬出の⁠門(薬医門)

発掘で見つかった礎石をもとに2016年度に復元。[1]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
武田勝頼、徳川家康日本城郭協会
築城
天正元年(1573)⁠、天正3年(1575)以降日本城郭協会
主な城主
室賀氏、牧野氏、松平氏、今川氏日本城郭協会
廃城
天正18年(1592年)Wikipedia
見られる遺構
土塁・曲輪・堀・虎口・井戸編集部記事
文化財指定
国史跡(諏訪原城跡)(1975年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 149番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は自由に見学できる。続日本100名城スタンプ⁠はビジターセンター事務室入口横と、大手南外堀のパンフレットスタンド⁠横⁠の鉄庫内(閉館日・閉館時間でも押せる)⁠。

住所

静岡県島田市菊川1174(諏訪原城ビジターセンター)[1]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR金谷駅(コミュニティバス「諏訪原城跡」下車)JR東海道本線・大井川鐵道

登りなし

金谷駅前から島田市コミュニティバス「菊川神谷城線」で「諏訪原城跡」まで約14分。平日5便、土日祝は3便(年末年始運休)⁠。[4]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

諏訪原城ビジターセンター
時間
10:00〜16:00
休館・休み
月曜(祝休日の場合は翌日)⁠、年末年始。島田市博物館の休館日に合わせて変わることがある
料金
無料[1]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

諏訪原城跡第一駐車場あり(ビジターセンター併設)⁠。[1]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
城跡をひと回りしてビジターセンター⁠に寄るなら1時間〜1時間半⁠が目安
階段・坂・足もと
台地の上の城で、城内は堀の上り下りがある。本曲輪の東側は断崖。[1]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
公式の英語案内は確認できなかった。日本語の音声ガイド(案内看板のQRコード)⁠がある。[3]
季節の楽しみ
天気のよい日は富士山が見える。毎年8月には「牧野城御城印」が限定販売される。[1]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
特になし(2026年10月3日時点⁠で確認できたもの⁠)確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

堀や⁠馬出など土の城のつくりを見るのが好きな人、武田と⁠徳川の戦いに興味がある人に向く。

ここを見ると⁠面白い

まず三日月堀の深さを見て、復元された薬医門をくぐりたい。そのうえで「これは武田か徳川か」と⁠考えながら歩くと、発掘でひっくり返った城の評価がおもしろく感じられる。

訪ねる前に

ビジターセンター⁠は10時から16時で月曜休み。バスは本数が少ないので時刻表を確かめておく。

楽しみかた

ビジターセンター⁠の推定復元図や⁠ジオラマを見てから歩くと、森や⁠茶畑に埋もれた堀の形がつかみやすい。案内看板のQRコードから音声ガイドも聞ける。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    諏訪原城跡島田市(島田市博物館)municipal確認日:
  2. 2
    諏訪原城跡発掘調査(平成21年〜平成27年)島田市(島田市博物館)report確認日:
  3. 3
    諏訪原城跡音声案内ガイドサービス運用開始島田市municipal確認日:
  4. 4
    コミュニティバス菊川神谷城線時刻表(PDF)島田市municipal確認日:
  5. 5
    諏訪原城跡(文化遺産オンライン)文化庁heritage確認日:
  6. 6
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  7. 7
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  8. 8
    Wikipedia「諏訪原城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  9. 9
    Wikidata Q11631843Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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