空から見た脇本城跡(2021年9月撮影)。日本海に突き出した丘の上に、草地になった曲輪(くるわ)が段々に広がる。
らんでCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

秋田県 · 男鹿市

脇本城

わきもとじょう

Wakimoto Castle

秋田県男鹿市

城山城続日本100名城 106番

この城らしさ

日本海に⁠突⁠き⁠出⁠す男鹿半島⁠の丘を、まるごと⁠土で造りかえた戦国の城。広さは約150ヘクタール⁠におよぶ。

なぜ?

脇本城は石垣も天守もない「土づくりの城」です。標高約100mの丘を削ったり盛ったりして、曲輪・土塁・空堀・井戸をつくりました。江戸時代のはじめに⁠使われなくなったあと、多くは近くの集落の共有地と⁠して大切に守られてきたため、遺構がとてもよく残っています。[3][1]

見逃したくない3つ

01
内館(うちだて)地区の曲輪と土塁(2009年8月撮影)。山を削ったり盛ったりして、平らな場所をいくつも造っている。小池隆CC BY 4.0Wikimedia Commons

内館地区の大土塁

見る場所
城の中心部、内館(うちだて⁠)地区。案内所の向かいの古道階段を上る
注目する部分
最大で高低差約6mある城内いちばんの土塁と、小さな平らな曲輪が並ぶ様子
ここが面白い
内館地区は、小さめの曲輪がいくつも並んで群をつくる場所で、山を切り盛りして平らな場所を造っているのが特徴です。城の入口(虎口)⁠もここがいちばんよく残っています。発掘では、土塁の上から柵の跡も見つかりました。[3]
見られるか
外から見られる屋外の遺構。見学路を歩いて見られる。
02

くぼ地と⁠して残る井戸跡

見る場所
内館地区の⁠中
注目する部分
地面のくぼみと⁠して残る6か所の井戸の⁠跡
ここが面白い
山の上の城では水の確保が大事でした。この井戸跡には、城が攻められたとき城主が「金の茶釜」だけを井戸の底にうめたと⁠いう伝説があり、明治には信じた人が夜ごと⁠掘ったとも伝わります。いまは法律で掘ることが⁠禁じられています。[3]
見られるか
外から見られる屋外の遺構。
03

古道「天下道」と⁠古道階段

見る場所
脇本城跡案内所⁠の向かい。古道階段「中世へのかけ橋」から内館地区へ
注目する部分
曲輪にはさまれて城の中を通る古い道の雰囲気
ここが面白い
城の中央には、昔から男鹿半島へ向かう道「天下道」が通っていました。昭和に広げられて一部は分断されましたが、残った部分はよく保存されています。市は、案内所向かいの古道階段から登ると⁠天下道の雰囲気がよく残っていると⁠案内しています。[2][3]
見られるか
外から見られる雨の日は足もとに注意。

訪問の目安

最寄り駅
JR脇本駅から徒歩約30分
登り
少し登る
所要時間の目安編集部の目安
内館地区を中心に回って1時間ほど。馬乗り場地区まで足をのばすなら2時間ほどが目安。
料金
無料
時間
24時間開放(夜間は照明なし)
立入り
自由に見学できる

城跡は屋外で自由に見学できる。脇本城跡案内所(入場無料)⁠は24時間開いているが、夜は照明がないので日中の見学をすすめている。続日本100名城スタンプ⁠は案内所にある。城跡の範囲内は文化財保護法で掘削などが制限されている。周辺ではクマの目撃が続いており、案内所でクマ鈴を貸し出している。

確認日:

この城の物語

01
史実

日本海に突き出す丘の⁠城

脇本城跡は、男鹿半島の南側、日本海に突き出すようにそびえる標高約100mの丘にあります。城のある丘の広さは約150ヘクタールで、市は東北最大級と⁠説明しています。丘の中央を男鹿半島へ向かう古い道が通り、城はこの道をはさむように⁠造られていました。[1][3]

02
研究上の解釈

いつ誰が築いたかは分かっていない

築城の時期ははっきりしませんが、出土品の特徴から、15世紀にはすでに城と⁠して使われていたと⁠考えられています。中世の男鹿半島は安東氏が治めており、発掘でも安東氏とのつながりを示す品が出ています。1456年には安東政季が小鹿嶋(男鹿)⁠に入ったと⁠記録されています。[3]

03
伝承

安東愛季の大改修

1577年、檜山と⁠湊に分かれていた安東氏を一つにまとめた安東愛季が、跡継ぎに檜山城と⁠湊城をゆずり、脇本城を大きく改修して自分の居城にしたと⁠伝わります。愛季は織田信長に鷹を贈るなど、中央と⁠もつながりを持った人物でした。[1][3]

04
研究上の解釈

城の中心は時代とともに移った

城は、小さな曲輪が並ぶ内館地区、広い曲輪を中心にした馬乗り⁠場(古館)地区、兜ヶ崎・打ヶ崎地区、乍木地区、お念堂地区の5つに大きく分けられ、ふもとには城下町と⁠寺院の地区もありました。出土品の年代から、城の中心は時代とともに移り変わったと⁠考えられています。[3]

05
史実

江戸のはじめに古城と⁠なり、遺構が残った

安東氏(秋田氏)⁠は1602年に常陸の宍戸へ移され、佐竹氏が秋田に入りました。1647年の絵図では脇本城はすでに「古城」と⁠書かれていて、江戸時代のはじめには⁠使われなくなったと⁠考えられています。そのあとは近くの集落の入会地(共有地)⁠と⁠して守られた場所が多く、曲輪・土塁・井戸跡などがいまもよく残っています。[3]

06
史実

地元が守り、国の史跡に

1987年に地元の人たちが懇話会をつくって整備を始め、その後、市と⁠県の文化財をへて、2004年に国の史跡に指定されました(2022年に追加指定)⁠。2007年からは市民の案内人が活動し、2017年に続日本100名城⁠に選ばれました。[3][1]

この城の人びと

年表

  1. 出土品からの推定

    城と⁠して使われていたと⁠考えられる[3]

  2. 安東愛季が大改修し、居城と⁠する(伝承)[1][3]

  3. 安東(秋田)実季が宍戸へ移され、佐竹氏が秋田に入る[3]

  4. 絵図にすでに「古城」と⁠記される[3]

  5. 国の史跡に指定(2022年追加指定)[1]

  6. 続日本100名城⁠に選ばれる[3]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

石垣も天守もない中世の「土づくりの城」(男鹿市)⁠。城郭協会の一覧でも天守は「−」。

城全体のいま

丘全体が史跡で、草地の曲輪や⁠土塁を見学路で歩ける。城の中には菅原神社や⁠寺院があり、ふもとに城下町地区・寺院地区がある。国指定の面積は1,289,760平方メートル。

主な建物

跡地のみ

城の建物(掘立柱建物・柵)

発掘で掘立柱建物の跡や⁠柵の跡が見つかっている。地上に建物は残っていない。[3]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城
不明日本城郭協会
主な城主
安東氏、脇本氏、湊氏日本城郭協会
廃城
天正18年(1590年)Wikipedia
見られる遺構
曲輪・土塁・堀・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(脇本城跡)(2004年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 106番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は屋外で自由に見学できる。脇本城跡案内所(入場無料)⁠は24時間開いているが、夜は照明がないので日中の見学をすすめている。続日本100名城スタンプ⁠は案内所にある。城跡の範囲内は文化財保護法で掘削などが制限されている。周辺ではクマの目撃が続いており、案内所でクマ鈴を貸し出している。

住所

秋田県男鹿市脇本脇本字七沢外[1]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR脇本駅JR男鹿線(秋田駅から約40分)

徒歩約30分 · 少⁠し登る

駅から徒歩約30分(市のパンフレット)⁠。国道101号沿いの登城口から案内所まで徒歩約5分で、そこから古道階段を上って城跡へ。[3][2]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

脇本城跡案内所
時間
24時間開放(夜間は照明なし)
休館・休み
記載なし
料金
無料[2]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

登城口は国道101号沿⁠い(最寄りの高速道路出口は秋田自動車道の昭和男鹿半島IC)⁠。普通車は案内所まで入れるがとても細い道で、路面が悪い所もある。バスは入れない。[2][3]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
城跡に開園時間の定めの記載はない(案内所は24時間開放)[2]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
内館地区を中心に回って1時間ほど。馬乗り場地区まで足をのばすなら2時間ほどが目安。
階段・坂・足もと
標高約100mの丘。古道階段や土の見学路を歩く。雨の日は足もとがすべりやすい。[3][2]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
案内所に簡易トイレがある(パンフレットの地図)[3]
英語案内・音声ガイド
未確認
季節の楽しみ
未確認
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
2026年6月28日⁠に脇本城跡駐車場付近⁠でクマが目撃され、城内へ逃げた可能性があると⁠市が知らせている(5月・6月にも周辺で目撃)⁠。行く前に男鹿市のクマ情報を確認したい。[1]確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

天守や⁠石垣より、地形を生かした「土の城」の造りを歩いて見たい人に向く。日本海を背にした広い城跡で、戦国の山城の大きさを体で感じられる。

ここを見ると⁠面白い

内館地区の大土塁と、ならんだ小さな曲輪、くぼ地になった井戸跡。天下道が曲輪のあいだを通っていく様子を見ると、道をおさえる城だったことが分かる。

訪ねる前に

周辺でクマの目撃が続いているので、市の最新情報を確認し、案内所でクマ鈴を借りたい。案内所までの車道はとても細い。建物はなく、日なたが多いので季節に合わせた準備を。

楽しみかた

案内所向かいの古道階段から上ると、昔の道を通って城に入る感覚を味わえる。市の案内人(無料・1週間前までに申し込み)⁠に頼むと、土日も案内してもらえる。説明板の二次元コードからARの立体地図も見られる。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    脇本城跡男鹿市municipal確認日:
  2. 2
    脇本城跡案内所⁠のご利用について(「続日本100名城」スタンプ設置場所)男鹿市municipal確認日:
  3. 3
    脇本城跡パンフレット(令和8年3月第5版)男鹿市municipal確認日:
  4. 4
    脇本城跡案内人ボランティア⁠をご利用ください男鹿市municipal確認日:
  5. 5
    脇本城跡(文化遺産オンライン)文化庁heritage確認日:
  6. 6
    脇本城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  7. 7
    城郭検索(続日本100名城 106 脇本城)公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  8. 8
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  9. 9
    Wikipedia「脇本城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  10. 10
    Wikidata Q11612142Wikidatawikidata確認日:
  11. 11
    OpenStreetMap node/7236789113© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

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