この
天守台に立つと、大山・中海・日本海・米子の町を360度ぐるりと見渡せる。
見逃したくない3つ
小池隆CC BY 3.0Wikimedia Commons
Saigen JiroCC0Wikimedia Commons尾根をはい上がる登り石垣
- 見る
場所 - 北の
内膳丸から 本丸の 遠見櫓へ 続く 尾根 - 注目する
部分 - 斜面に
沿って 下から 上へ 一直線に 築かれた 石垣 - ここが
面白い - 登り石垣は、
山の [2]斜面を 横切って 敵が 回り込むのを 防ぐ ための 石垣です。 米子城では 中海側の 守りの 線として 築かれました。 上端の 遠見櫓跡からは 眼下に 中海が 広がり、 振り返るとそびえる 天守台が 見えます。 - 見られるか
- 外から
見られる 城跡内の道から 見られる。
訪問の目安
- 最寄り駅
- JR米子駅から
徒歩約15分 - 登り
- 少し
登る - 所要時間の
目安 編集部の目安 - 枡形から
天守跡まで 往復と見学で 1時間〜1時間半が 目安 - 料金
- 無料
- 時間
- 8:30〜17:00
- 立入り
- 自由に
見学できる 城跡は
自由に 登れ、 夜も 登れる (街灯は ない)。 車で 上までは 行けない。 2026年10月2日 (雨天なら 5日)は 伐採木の 運搬の ため登城路の 一部が 終日通行止め (迂回路あり)。
確認日:
この城の物語
一国一城令でも残された城
中村一忠は
この城の人びと
年表
建物と遺構
天守の
天守は失われた
五重の
城全体の
湊山の
主な建物
基本データ
- 種類
- 城
- 地形に
よる 分類 - 平山城平地の
中の 編集部記事丘に 築いた城 - 時代
- 近世編集部記事
- 天守の
状態 - 天守は
失われた 天守はあったが、 編集部記事今は 残っていない (天守台などが 残る 場合が ある) - 築城者
- 吉川広家日本城郭協会
- 築城
- 天正19年
(1591) 日本城郭協会 - 主な
城主 - 吉川氏、
中村氏、 日本城郭協会加藤氏、 池田市 - 廃城
- 1871年
(明治4年) Wikipedia - 見られる
遺構 - 石垣・
虎口・ 編集部記事竪堀・ 曲輪・ 天守台・門 - 文化財指定
- 国史跡
(米子城跡) 編集部記事(2006年) - 名城選定
- 続日本100名城 169番日本城郭協会
旅の情報
立入り
自由に城跡は
住所
確認日: 2026-10-04最寄り駅と行き方
開館時間・料金
車・駐車場
米子城跡三の
歩きかたの例
米子城下町ゆっくり2時間コース 120分
- 藪根橋跡
(外堀に かかった 7つの 橋の ひとつ) - 鉄砲小路
- 旧加茂川
(約200mに 75の 小橋) - 寺町通り
(9つの 寺が 並ぶ) - 妙興寺
(家老・ 横田内膳の 墓) - 京橋
(外堀で 最も 古い 橋) - 後藤家住宅
(国重要文化財の 廻船問屋) - 天神橋付近の
土蔵群
米子城公式
編集部ガイド(見どころレビュー)
資料と確認した
こんな人におすすめ
景色が
ここを見ると面白い
天守台に
訪ねる前に
山の
楽しみかた
夕方に
写真
訪問者レビュー
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異説・未確認の点
- 飯山の
砦の 始まり (1467年ごろ、 山名氏)は 言い 伝えで、 史料に 米子城の 名が 出てくるのは 1470年。 - 城の
完成は 「1602年 ごろ」と伝わる 段階で、 正確な 年は 分からない。 - 山陰歴史館の
休館後、 屋外の 続100名城 スタンプが どうなるかは 確認 できなかった。 三の 丸番所の 休みの 日も 未確認。 - 山頂までの
バリアフリー 対応 と、 現地の 英語案内は 確認 できなかった。
出典
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掲載の状況
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近くの城
現地の