芝におおわれた土塁(土を盛り上げた壁)と、その切れ目の通り道(2014年8月撮影)。湯築城には石垣も天守もなく、土塁と堀で守っていた。
Yoshio KoharaCC BY 3.0Wikimedia Commons

愛媛県 · 松山市

湯築城

ゆづきじょう

Yuzuki Castle

愛媛県松山市

城平山城日本100名城 80番

この城らしさ

道後温泉のとなりの公園が、そのまま伊予を約250年治めた河野氏の城。石垣も天守もなく、土の壁と⁠二重の堀で守っていた。

なぜ?

湯築城は、江戸時代の城のような石垣や⁠天守ができる前の、中世の城です。中央の丘を使った山城と⁠して始まり、16世紀前半に外堀ができて、二重の堀と⁠二重の土塁(土を盛った壁)⁠をめぐらせた平山城になったと⁠考えられています。その形がいまも公園の地割と⁠してよく残っています。[1][2]

見逃したくない3つ

01
丘をとりまく内堀と、その内側の土塁(2008年9月撮影)。Jyo81 at Japanese WikipediaCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

二重の堀と⁠土塁

見る場所
公園の外まわり(外堀)と、中央の丘をとりまく内堀
注目する部分
水をたたえた堀と、その内側に盛り上がる芝の土塁。外堀と⁠内堀の間の平らな土地の広さ
ここが面白い
直径約350mのほぼ円い公園全体が城跡で、堀や⁠土塁など城の地割が当時の姿のままよく残っています。発掘では、外堀と⁠内堀の間の西側が家臣の住む区画、東側が庭のある上級武士の区画だったと⁠分かりました。[1][2][3]
見られるか
外から見られる公園は24時間開いていて入園無料。
02
土塁展示室の中で見られる土塁の断面(2010年7月撮影)。土をどう積み重ねて壁を作ったかが分かる。ReggaemanCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

土塁の中を見せる土塁展示室

見る場所
公園南部、外堀の土塁のそば
注目する部分
土塁を切った断面に見える、土を何層にも重ねたしま模様
ここが面白い
土塁は外から見るとただの土の山ですが、断面を見ると、どう土を積んで固めたかが分かります。公式サイトは、土塁内部の構造や⁠築き方が分かる断面の展示は全国的にも珍しいと⁠説明しています。[1][3]
見られるか
外から見られる展示施設は9:00〜17:00、入館無料。月曜休館(祝日の場合は翌平日)⁠。
03
発掘の成果をもとに復元された武家屋敷(2010年7月撮影)。中には当時の暮らしや道具が再現されている。ReggaemanCC BY-SA 3.0Wikimedia Commons

復元された武家屋敷

見る場所
公園南部の上級武士居住区⁠のあたり
注目する部分
発掘で見つかった建物跡をもとに建てた屋敷と、芝生に示された建物跡の平面表示
ここが面白い
動物園が閉じたあとの発掘で見つかった屋敷跡をもとに、間取りを推定して当時の工法で建てた屋敷です(武家屋敷1)⁠。中には当時の暮らしや⁠道具が再現されています。もう1棟(武家屋敷2)⁠は外観を復元し、中を展示室にしています。[1][2][3]
見られるか
外から見られる展示施設は無料。開館時間と⁠休館日は湯築城資料館と⁠同じ。

訪問の目安

最寄り駅
伊予鉄道市内電車「道後公園」電停から徒歩約1分
登り
登りなし
所要時間の目安編集部の目安
堀と⁠土塁を一周し、展示施設を見るなら1時間ほど
料金
無料
時間
9:00〜17:00
立入り
自由に見学できる

公園は24時間開いていて入園無料。資料館・武家屋敷・土塁展示室などの展示施設も無料。日本100名城スタンプ⁠は湯築城資料館の⁠中(休館日は資料館の玄関外)⁠。

確認日:

この城の物語

01
史実

伊予の守護・河野氏の⁠城

河野氏は、いまの松山市北条地区⁠にあたる河野郷を本拠にした一族です。源平の合戦で河野通信が源氏方と⁠して手柄を立て、鎌倉幕府のもとで伊予をまとめる力を得ました。南北朝時代の河野通盛のとき(1335年前後)⁠、本拠を河野郷からこの湯築城へ⁠移したとされます。[1]

02
史実

中世の伊予の中心

湯築城は、14世紀前半から16世紀の終わりまで約250年間、河野氏の居城でした。河野氏は、足利将軍家と⁠結び、大内・大友・毛利などまわりの大名と⁠同盟や⁠縁組みをしながら、伊予の守護と⁠しての地位を固めます。湯築城は、中世の終わりまで伊予の政治・軍事・文化の中心でした。[1]

03
研究上の解釈

外堀を掘り、二重の堀の城へ

1535年ごろ、河野通直(弾正少弼)⁠が外堀を築きました。これで湯築城は、丘を使った山城から、二重の堀と⁠土塁をめぐらせた平山城になったと⁠考えられています。江戸時代の絵図から、東側が正面(大手)⁠、西側が裏手(搦手)だったと⁠みられます。[1]

04
史実

秀吉の四国攻めで城を明け渡す

その後、河野氏の力はしだいに弱まりました。1585年、天下統一をめざす豊臣秀吉⁠の四国攻めで、最後の当主・河野通直(牛福丸)⁠は小早川隆景に城を明け渡し、約400年続いた河野氏の伊予支配は終わりました。まもなく城は使われなくなり、江戸時代には松山藩が管理しました。[1][2][6]

05
史実

植物園、動物園、そして史跡公園へ

明治以降は県立の公園や⁠植物園と⁠して使われ、昭和に⁠は動物園もありました。1987年に動物園が閉じたあと、1988年から発掘が始まり、武家屋敷の跡や⁠土塀、道、排水溝、陶磁器などが見つかりました。1998〜2001年度⁠に武家屋敷や⁠土塀を復元する整備を行い、2002年4月⁠に史跡公園と⁠して新しく開き、同じ年に国の史跡になりました。[1][2]

この城の人びと

年表

  1. 1335年前後

    河野通盛が本拠を河野郷から湯築城へ移す[1]

  2. 1535年ごろ

    河野通直(弾正少弼)⁠が外堀を築く[1]

  3. 豊臣秀吉の四国攻めで小早川隆景に城を明け渡す[1]

  4. 城跡にあった動物園が閉園[2]

  5. 発掘調査が始まる[1][2]

  6. 史跡公園と⁠してリニューアルし、国史跡に指定[1][2]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

中世の城で、石垣や⁠天守はもともとない。

城全体のいま

県立の道後公園(約8.5ha)⁠。直径約350mのほぼ円形で、中央に高さ約30mの丘がある。外堀・内堀・土塁がよく残り、公園南部に復元武家屋敷・土塁展示室・湯築城資料館がある。公園の一角に松山市立子規記念博物館。

主な建物

木造で復元

武家屋敷1

発掘の成果から間取りを推定し、当時の工法で復元。中で当時の暮らしを再現。[1][3]

外観を復元

武家屋敷2

外観を復元し、中は展示室(中世の道具や⁠職人の仕事など)⁠。[1][3]

現存国史跡

外堀・内堀・土塁

中世の地割がよく残る。[1][2]

基本データ

種類
城
地形による分類
平山城平地の中の丘に築いた⁠城編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
河野通盛?、河野通直日本城郭協会
築城
南北朝期(14世紀中頃)⁠、天文4年(1535)日本城郭協会
主な城主
河野氏日本城郭協会
廃城
天正15年(1587年)Wikipedia
見られる遺構
土塁・堀・曲輪・⁠門編集部記事
文化財指定
国史跡(湯築城跡)(2002年)編集部記事
名城選定
日本100名城 80番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

公園は24時間開いていて入園無料。資料館・武家屋敷・土塁展示室などの展示施設も無料。日本100名城スタンプ⁠は湯築城資料館の⁠中(休館日は資料館の玄関外)⁠。

住所

〒790-0857 愛媛県松山市道後公園[3]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

伊予鉄道市内電車「道後公園」電停伊予鉄道市内電車(JR松山駅から約20分)

徒歩約1分 · 登りなし

電停を降りると⁠すぐ公園。[5]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

湯築城資料館・武家屋敷・土塁展示室(展示施設)
時間
9:00〜17:00
休館・休み
毎週月曜(祝日の場合は翌平日)⁠、12月29日〜1月3日
料金
無料[3]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

公園駐車場は西口23台・北口11台、30分100円(24時間利用可)⁠。観光バスは要予約で30分160円(資料館の開館日の8:30〜17:30)⁠。松山自動車道・松山ICから約20分。[3]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
24時間開園・入園無料[3]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
堀と⁠土塁を一周し、展示施設を見るなら1時間ほど
階段・坂・足もと
外まわりはほぼ平らな道。中央の⁠丘(高さ約30m)には展望台があり、上るには坂や⁠階段がある。[2]
車椅子・ベビーカー
未確認確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
未確認
英語案内・音声ガイド
公式サイトに英語のパンフレット(PDF)⁠がある。現地の英語表示は未確認。[5]
季節の楽しみ
公園は桜の名所と⁠して知られる。初夏には堀にスイレンなどが咲く。[2][5]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
特になし(2026年10月3日時点⁠で公式サイトに休館などの案内は見当たらない⁠)[5]確認日: 2026-10-03

周辺の楽しみ

博物館

松山城

湯築城から西へ約2kmの城山に建つ、江戸時代の天守が残る城。市内電車で移動できる。[2][8]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

石垣や⁠天守ができる前の「土の城」を見たい人、道後温泉のついでに少し歴史散歩をしたい人に向く。電停の目の前で平らな道が多く、気軽に歩ける。

ここを見ると⁠面白い

まず外堀に沿って歩き、堀と⁠土塁が二重になっている形をつかむ。次に土塁展示室で土塁の中身を見て、武家屋敷で暮らしの様子を見ると、中世の城がどんな場所だったかがつながる。

訪ねる前に

天守や⁠石垣はない。展示施設は月曜休館(祝日の場合は翌平日)⁠と⁠年末年始が休み。100名城スタンプ⁠は休館日でも資料館の玄関外で押せる。

楽しみかた

中央の丘の展望台から、西の松山城の方角をながめてみたい。中世の湯築城から江戸時代の松山城へ、伊予の中心が移っていった流れが目で追える。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    湯築城跡(湯築城と⁠河野氏の歴史・概要・発掘調査・展示施設)国史跡道後公園湯築城跡official確認日:
  2. 2
    道後公園国史跡道後公園湯築城跡official確認日:
  3. 3
    アクセス(利用案内)国史跡道後公園湯築城跡official確認日:
  4. 4
    日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  5. 5
    国史跡道後公園湯築城跡(トップページ)国史跡道後公園湯築城跡official確認日:
  6. 6
    湯築城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  7. 7
    松山市立子規記念博物館松山市立子規記念博物館official確認日:
  8. 8
    四国・愛媛の松山城松山城(松山市城山公園指定管理者)official確認日:
  9. 9
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  10. 10
    Wikipedia「湯築城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  11. 11
    Wikidata Q649463Wikidatawikidata確認日:
  12. 12
    OpenStreetMap node/2460130038© OpenStreetMap contributors (ODbL)osm確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

近くの⁠城

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