日本のお城アトラス

山田方谷

Yamada Hokoku

幕末の備中松山藩に仕えた学者。藩主・板倉勝静のもとで藩の財政を立て直し、戊辰戦争では戦わずに城を明け渡す道を選んだ。

読み
やまだほうこく
生没年
1805–1877
史実

エピソード

1850年ごろ、藩には10万両の借金があった。方谷は身分を問わない倹約、借金の整理、産業の振興、藩札の刷新などを進め、7年で借金をなくし、さらに10万両をたくわえたと⁠公式サイトは紹介している。

ゆかりの⁠城

出典

  1. 1
    知る(備中松山城公式サイト)確認日:
  2. 2
    山田方谷(補助資料・Wikipedia日本語版)確認日: