木立の中に残る玄蕃尾城の土塁と空堀(2005年6月撮影)。石垣はなく、土を盛り、掘って守りを固めている。
TR15336300101CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

福井県 · 敦賀市

玄蕃尾城

げんばおじょう

Genbao Castle

福井県敦賀市

城山城続日本100名城 137番

この城らしさ

柴田勝家が賤ヶ岳の合戦で本陣を置き、戦わずに去ったため、土の城が合戦当時のまま県境の山に残っている。

なぜ?

1583年の賤ヶ岳の合戦で、越前北ノ庄城の主・柴田勝家はこの山城を本陣にしました。勝家は戦わずにこの城から引き上げ、その後は手を加えられずに残されたため、土塁や⁠空堀、曲輪の形が合戦当時のまま良い状態で残っていると⁠敦賀市は説明しています。[1][2]

見逃したくない3つ

01
木立の中に残る玄蕃尾城の土塁と空堀(2005年6月撮影)。石垣はなく、土を盛り、掘って守りを固めている。TR15336300101CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

高い土塁に囲まれた45m四方の主郭

見る場所
城の中心の主郭(本丸)
注目する部分
四角い主郭をぐるりと⁠囲む高い土塁と⁠堀、南北の食い違いの出入口、北東の角の一段高い櫓台
ここが面白い
主郭は約45m四方の四角形で、まわりを高い土塁と⁠堀で厳重に囲んでいます。北東の角は一段高く、礎石も見られることから櫓が建っていたと⁠考えられています。[2]
見られるか
外から見られる駐車場から徒歩約20分の山道。冬は林道が通行止めになることがある。
02

主郭を守る馬出郭

見る場所
主郭の南と⁠北にとび出した2つの馬出郭(③と⁠⑤)
注目する部分
主郭の出入口の前に張り出した小さな曲輪と、その三方を囲む土塁
ここが面白い
馬出(うまだし)⁠は門の前に突き出した小さな曲輪で、本丸の出入口を隠しながら、攻めてくる敵を三方から横矢(横からの攻撃)⁠で迎え撃てる形です。敦賀市のパンフレットは「完成度の高い形」と⁠説明しています。[2]
見られるか
外から見られる城内の散策路から見られる。
03
城跡の土の遺構と林(2005年6月撮影)。TR15336300101CC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

土橋と⁠虎口郭、袋小路の郭1

見る場所
主郭の南側。刀根坂の方から入ると⁠最初に通る郭1から虎口郭へ
注目する部分
郭1と⁠虎口郭をつなぐ細い土橋(堀と⁠土塁にはさまれた一本道)と、堀に沿って進むと⁠行き止まりになる道筋
ここが面白い
郭1と⁠虎口郭の間は土橋だけでつながり、土橋を渡る敵を正面と⁠左側から攻撃できます。郭1では、堀に沿って進んだ敵が知らないうちに袋小路に追い込まれる造りになっていると⁠市は説明しています。[2][1]
見られるか
外から見られる城内の散策路から見られる。遺構を傷めないよう、土塁や⁠堀の斜面に上がらないこと。

訪問の目安

最寄り駅
JR敦賀駅(コミュニティバス愛発線「刀根」下車)から徒歩約70分
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
駐車場から往復して城内を回り、1時間半ほどが目安
立入り
自由に見学できる

城跡は山林の中で自由に見学できる(無料)⁠。続日本100名城スタンプは、敦賀市側の登り口駐車場の受付ポストにある(2026年4月18日から。設置は4〜11月)⁠。⁠冬(12〜3月)⁠は現地にスタンプと⁠仮設トイレがなく、長浜側の案内ではJR余呉駅・余呉湖観光館に置くと⁠している。ただし2026年4月4日〜12月20日⁠の北近江豊臣博覧会⁠の期間中は、長浜側の置き場所が「賤⁠ヶ岳戦国ステーション」に変わる。

確認日:

この城の物語

01
史実

越前と⁠近江を結ぶ道を押さえる⁠山

玄蕃尾城は、福井県敦賀市と⁠滋賀県長浜市の県境、内中尾山の山頂にあります。近江(滋賀県)から北ノ庄(いまの福井市)⁠へ向かう北国街道と、そこから分かれて敦賀へ向かう刀根越の道の両方を押さえる位置です。[2][6]

02
研究上の解釈

いつ⁠築かれたかには説がある

1582年の本能寺の変のあと、柴田勝家が羽柴(豊臣)秀吉との戦いに備えて⁠築いたとされますが、それより前、勝家が北国街道を整えた1578年ごろに越前の武士たちを動員して築いたと⁠いう見方もあります。[6][3]

03
史実

賤ヶ岳の合戦、勝家の本陣

1583年、織田信長亡きあとの主導権をめぐって柴田勝家と⁠羽柴秀吉が戦った賤ヶ岳の合戦で、勝家はこの城に本陣を置きました。南の余呉湖のまわりの山々には、両軍の砦がずらりと⁠並びました。勝家は敗れて北ノ庄城へ引き上げます。[2][6]

04
史実

手つかずで残った土の⁠城

勝家が去ったあと⁠城は手を加えられず、合戦当時の山城の構造がよく残りました。城は南北に並ぶ郭を土橋でつなぎ、どの郭も土塁で囲み、大事なところは土塁と⁠空堀を重ねています。城の中で最も広い郭2は、兵が詰めたり物資を集めたりする場所だったと⁠みられます。[2]

05
伝承

名前は地元の伝えから、国史跡へ

「玄蕃尾城」と⁠いう名前は当時の記録には出てこず、地元の敦賀市刀根に伝わる呼び名です。勝家の家臣で勇将の佐久間玄蕃允盛政にちなむと⁠語り継がれ、刀根の祭りの餅つき唄にも「玄蕃尾様」が歌われます。1999年に国の史跡に指定され、2017年に続日本100名城⁠に選ばれました。[2][4][5]

この城の人びと

年表

  1. ごろ・一説

    勝家が越前の武士を動員して築いたとする⁠説[6]

  2. 賤ヶ岳の合戦で柴田勝家の本陣と⁠なる。勝家は戦わずに撤退[2]

  3. 国の史跡に指定(7月13日)[4]

  4. 続日本100名城⁠に選ばれる[1][5]

  5. 4月18日から駐車場に仮設トイレと⁠スタンプの受付ポストを設置[1]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

土づくりの陣城で天守はない。主郭の北東角に櫓台と⁠みられる高まりがある。

城全体のいま

県境の山林の中に、土塁・空堀・曲輪・土橋などの土の遺構がよく残る。建物はない。

主な建物

跡地のみ

櫓台

主郭の北東角。一段高く、礎石がみられることから櫓があったと⁠想定されている。[2]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城者
柴田勝家日本城郭協会
築城
天正年間(1573~93)日本城郭協会
主な城主
柴田氏日本城郭協会
廃城
天正11年(1583年)(賤ヶ岳の戦い後)Wikipedia
見られる遺構
曲輪・堀・土塁・虎口編集部記事
文化財指定
国史跡(玄蕃尾城(内中尾山城)跡)(1999年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 137番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は山林の中で自由に見学できる(無料)⁠。続日本100名城スタンプは、敦賀市側の登り口駐車場の受付ポストにある(2026年4月18日から。設置は4〜11月)⁠。⁠冬(12〜3月)⁠は現地にスタンプと⁠仮設トイレがなく、長浜側の案内ではJR余呉駅・余呉湖観光館に置くと⁠している。ただし2026年4月4日〜12月20日⁠の北近江豊臣博覧会⁠の期間中は、長浜側の置き場所が「賤⁠ヶ岳戦国ステーション」に変わる。

住所

福井県敦賀市刀根/滋賀県長浜市余呉町柳⁠ケ⁠瀬(県境)[4][3]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

JR敦賀駅(コミュニティバス愛発線「刀根」下車)北陸新幹線・北陸本線ほか

徒歩約70分 · 急⁠な登り

敦賀駅からコミュニティバス愛発線⁠で「刀根」まで約27〜34分、そこから⁠登⁠り口駐車場まで徒歩約50分、駐車場から城の中心部まで徒歩約20分。タクシーなら駅から駐車場まで約25分。[1]

確認日: 2026-10-03
JR木ノ本駅(バス「柳ヶ瀬」下車)JR北陸本線

急な登り

木ノ本駅からバスで28分の「柳ヶ瀬」から、山道を約1.8km歩いて登る(長浜市側は徒歩のみ)⁠。[3]

確認日: 2026-10-03

車・駐車場

北陸自動車道敦賀ICから約20分。⁠柳⁠ヶ⁠瀬トンネル⁠の手前から林道に入る。登り口駐車場は5台ほど。⁠柳⁠ヶ⁠瀬トンネル⁠は⁠高さ2.8mまで、林道は狭くマイクロバスより大きいバスは通れない。冬は通行止めになることがある。[1][3]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
見学自由(終日)[3]確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
駐車場から往復して城内を回り、1時間半ほどが目安
階段・坂・足もと
駐車場から城の中心部まで山道を約20分。城内も土塁や⁠堀の起伏が多い。[1]
車椅子・ベビーカー
未確認(山道のみ⁠)確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
4〜11月は敦賀市側の登り口駐車場に仮設トイレ。12〜3月はなし。[1][3]
英語案内・音声ガイド
敦賀市のパンフレットに英語の説明と⁠城の平面図がある。現地の英語表示は未確認。[2]
季節の楽しみ
冬は雪で林道が通行止めになることがあり、現地のスタンプと⁠トイレも撤去される。[1][3]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
敦賀市側の林道は工事のため通行止めになる日があると⁠長浜側の観光サイトが案内している。出かける前に敦賀市の「国指定史跡玄蕃尾城⁠のご案内」で通行状況を確認したい。遺構を⁠傷めないよう配慮⁠が求められている。[3][1]確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

石垣のない土の城の見事な造形を見たい人、賤ヶ岳の合戦の舞台を歩きたい人に向く。本格的な山城好きに評判の高い城。

ここを見ると⁠面白い

主郭を囲む高い土塁、主郭の前に張り出した馬出郭、土橋でしかつながらない郭どうしの関係。敦賀市のパンフレットの平面図を手に、番号順に歩くとしかけがよく分かる。

訪ねる前に

敦賀市側から行く場合、林道は狭く駐車場は5台ほど。冬は通行止めがあり、現地のスタンプと⁠トイレも12〜3月はない。バスと⁠徒歩で行くと⁠片道1時間以上歩くので、時間に余裕を。

楽しみかた

パンフレットの陣城配置図を見ると、南の余呉湖のまわりに柴田方・秀吉方の砦がずらりと⁠並んでいたことが分かる。賤ヶ岳城と⁠あわせて歩くと、合戦の全体像がつかみやすい。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    国指定史跡玄蕃尾城⁠のご案内敦賀市municipal確認日:
  2. 2
    国指定史跡玄蕃尾城(内中尾山城)跡パンフレット(2020年3月発行)玄蕃尾城跡保存会・敦賀市教育委員会municipal確認日:
  3. 3
    玄蕃尾城跡長浜・米原・⁠奥びわ湖観光情報(長浜米原観光協会)tourism確認日:
  4. 4
    玄蕃尾城(内中尾山城)⁠跡国指定文化財等データベース(文化庁)heritage確認日:
  5. 5
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  6. 6
    玄蕃尾城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  7. 7
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  8. 8
    Wikipedia「玄蕃尾城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  9. 9
    Wikidata Q28683391Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

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