ふもとの田んぼの先に見える、鮫ヶ尾城跡のある山並み(2019年10月撮影)。
柴錬アワーCC BY-SA 4.0Wikimedia Commons

新潟県 · 妙高市

鮫ケ尾城

さめがおじょう

Samegao Castle

新潟県妙高市

城山城続日本100名城 133番

この城らしさ

上杉謙信の跡継ぎ争いに敗れた上杉景虎が最期を迎えた山城で、焼けた米や⁠炭になったおにぎりが土の中から出てくる。

なぜ?

1579年、跡継ぎ争い「御館の乱」で追い詰められた景虎がこの城に逃げ込み、城は火に包まれて落ちました。その後は使われずに捨てられたため、焼けた当時のものがそのまま土の中に残りました。焼け米は江戸時代から知られ、発掘では三ノ丸跡から炭になったおにぎりも⁠見つかっています。[1][2]

見逃したくない3つ

01

通称本丸跡からの眺め

見る場所
城のいちばん高いところ(標高約185m)⁠にある通称本丸跡
注目する部分
北の日本海と⁠高田平野、南の信越国境の山々、そして上杉氏の本拠・春日山城の方向
ここが面白い
ここから春日山城がよく見通せるため、鮫ヶ尾城が高田平野の入口を固める大事な場所だったことが分かると、妙高市は説明しています。名前は築城時のものではなく、眺めがいちばん良い場所なので江戸時代から「本丸」と⁠呼ばれてきました。[1][4]
見られるか
外から見られる登城道を歩いて上がる。本丸の東屋は建物の傾きが目立つため、当面は利用できない(近づかないよう⁠市⁠が呼びかけ)⁠。
02

焼け米の米蔵跡と、おにぎりが出た三ノ丸跡

見る場所
本丸跡のまわりに⁠並⁠ぶ通称米蔵跡と、通称三ノ丸跡
注目する部分
平らに削られた曲輪(くるわ)⁠の広がりと、三ノ丸跡の入口(虎口)⁠の正面に盛られた土塁
ここが面白い
米蔵跡は焼けた米が拾える場所と⁠して江戸時代から有名で、1841年には高田藩士が仲間と⁠訪れて焼け米を持ち帰った記録があります。三ノ丸跡では発掘で炭になったおにぎりが見つかりました。入口の正面の土塁は、入ってきた敵を撃つ鉄砲隊が身を⁠隠すためだったと⁠考えられています。いまは国の史跡なので、焼け米を拾うことは禁止です。[1][9]
見られるか
外から見られる遺構は見学できる。出土品の一部は城跡下の管理センターなどで展示されていると⁠伝えられるが、現在の展示は未確認。
03

南登城道の折れ曲がる道と⁠虎口曲輪

見る場所
城の正面口(大手)⁠と⁠される南側の尾根を上る南登城道
注目する部分
左右に折れながら上る当時の通路の跡と、城の中心部の入口にある四角い空間(枡形)⁠、その正面の土塁
ここが面白い
敵がまっすぐ上れないよう、道をわざと⁠折⁠り⁠曲げています。虎口曲輪では門があったと⁠みられる開口部から入ると⁠枡形になり、道は土塁の手前で大きくU字に曲がります。山城の守りのしかけを、歩きながら体で感じられる場所です。[1]
見られるか
外から見られるいまは当時の通路の脇につくられた道を登城道と⁠して使う。急な尾根道。

訪問の目安

最寄り駅
北新井駅から徒歩約32分
登り
急な登り
所要時間の目安編集部の目安
案内所から本丸跡を往復して1時間〜1時間半ほどが目安
料金
無料(休憩スペース・売店・トイレあり)
時間
4〜9月 9:00〜17:00、10月 9:00〜16:00、11月 9:00〜15:00
立入り
自由に見学できる

城跡は山の中の遊歩道で見学できる(入場無料)⁠。焼け米などの採集は禁止。本丸の東屋は傾きのため当面利用できない。続日本100名城スタンプ⁠は2026年度から斐太歴史の里総合案内所に置かれている(案内所は4月初旬〜11月下旬⁠の開館。冬のスタンプの置き場所は未確認)⁠。

確認日:

この城の物語

01
史実

高田平野の入口、信越国境を見張る⁠山

鮫ヶ尾城は、新潟県の南部、信濃(長野県)との国境に近い低い丘陵の上にあります。北には日本海、南には信越国境が見え、上杉氏の本拠・春日山城とも見通せる位置です。川中島の戦いを通して北信濃に勢力を広げた武田信玄に備える、上杉方の拠点の一つでした。[1][2]

02
研究上の解釈

いつ、誰が築いたかは分からない

築いた年を記した記録はありません。武田軍が国境に迫り、春日山城などの改修が盛んだった1532〜1572年ごろと⁠する説が有力です。発掘でも16世紀後半の焼き物のかけらが多く出ています。城を守っていたのは堀江宗親で、上杉謙信の旗本(直属の家臣)だったと⁠みられています。[1]

03
史実

御館の乱、景虎の最期

1578年に上杉謙信が亡くなると、2人の養子、上杉景勝と⁠上杉景虎が跡継ぎの座を争い、「御館の乱」が起きました。1579年、敗れた景虎はわずかな手勢で鮫ヶ尾城に立てこもります。城を守る堀江宗親は景虎方でしたが、景勝から寝返るよう⁠求められていました。景虎はこの城で自害し、争いは景勝の勝利で決まりました。これらは景勝が出した1579年3月⁠の手紙に書かれています。[1][2]

04
史実

焼け落ち、そのまま残った⁠城

発掘調査では、調べたすべての地点から火を受けた遺物が出て、戦火で焼けて廃城になったことが⁠確かめられました。焼け跡を片づけて使い直した跡もなく、1579年当時⁠の姿をよく留めていると⁠考えられています。のちの開発で大きく変わった場所もほとんどなく、6つの大きな曲輪、6本の長い堀切(尾根を断ち切る堀)⁠、100か所を超える切岸(人工の急斜面)などが良い状態で残っています。[1][2]

05
史実

高校生の縄張図から国史跡へ

地元では「城山(じょうやま)⁠」⁠と⁠呼ばれてきましたが、1963年に新井高校の郷土史クラブがつくった城の見取り図(縄張図)⁠が公表され、広く⁠知られるようになりました。翌1964年に新潟県の史跡と⁠なり、2003〜2006年度⁠に主な曲輪の発掘調査が行われます。2008年に国の史跡に指定され、2017年には続日本100名城⁠に選ばれました。いまは弥生時代の斐太遺跡などとともに「斐太歴史の里」と⁠して整備されています。[1][2][3]

この城の人びと

年表

  1. 上杉謙信が亡くなり、御館の乱が起こる[2]

  2. 景虎が鮫ヶ尾城で自害。城は焼け、廃城になる[1][2]

  3. 高田藩士・白石林文が城跡を訪れ、焼け米を拾う[1]

  4. 新潟県の史跡に指定[1]

  5. 国の史跡に指定(7月28日)[1][2]

  6. 続日本100名城⁠に選ばれる[3][6]

建物と⁠遺構

天守の状態

もともと⁠天守なし

戦国時代の土づくりの山城で、天守はない(城郭協会の一覧でも天守は「−」)⁠。

城全体のいま

建物はなく、山全体に曲輪・堀切・切岸・土塁などの土の遺構が残る。ふもとは史跡公園「斐太歴史の里」と⁠して整備され、総合案内所や⁠駐車場がある。

主な建物

跡地のみ

通称二ノ丸跡の建物跡

発掘で掘立柱建物の柱穴が見つかり、桁行約8.6m・梁間約5.1mの作業小屋や⁠倉庫のような建物があったと⁠みられる。まわりから投石用の⁠石(つぶて石)⁠や⁠焼けた陶磁器が出土。[1]

基本データ

種類
城
地形による分類
山城山の上に築いた城。登りがある編集部記事
時代
中世編集部記事
天守の状態
もともと⁠天守なし天守は⁠建てられなかった編集部記事
築城
不明(16世紀)日本城郭協会
主な城主
堀江氏(城代)日本城郭協会
見られる遺構
堀切・曲輪・虎口・堀・土塁編集部記事
文化財指定
国史跡(鮫ヶ尾城跡)(2008年)編集部記事
名城選定
続日本100名城 133番日本城郭協会

旅の情報

立入り

自由に見学できる

城跡は山の中の遊歩道で見学できる(入場無料)⁠。焼け米などの採集は禁止。本丸の東屋は傾きのため当面利用できない。続日本100名城スタンプ⁠は2026年度から斐太歴史の里総合案内所に置かれている(案内所は4月初旬〜11月下旬⁠の開館。冬のスタンプの置き場所は未確認)⁠。

住所

新潟県妙高市大字宮内・籠町・雪森[1]

確認日: 2026-10-03

最寄り駅と⁠行き方

北新井駅えちごトキめき鉄道妙高⁠はねうまライン

徒歩約32分 · 急⁠な登り

駅から斐太歴史の里総合案内所まで徒歩約32分。案内所から本丸跡へは山道を登る。[3][5]

確認日: 2026-10-03

開館時間・料金

斐太歴史の里総合案内所
時間
4〜9月 9:00〜17:00、10月 9:00〜16:00、11月 9:00〜15:00
休館・休み
冬期(11月下旬〜4月初旬)⁠は閉館
料金
無料(休憩スペース・売店・トイレあり)[4]
確認日: 2026-10-03

車・駐車場

上信越自動車道の新井スマートICから車で約10分。総合案内所に無料駐車場(30台、2022年の県の案内)⁠。[3][5][7]

確認日: 2026-10-03
公園・城域の開放時間
未確認確認日: 2026-10-03
所要時間の目安編集部の目安
案内所から本丸跡を往復して1時間〜1時間半ほどが目安
階段・坂・足もと
登城道は北・南・東の3本。北登城道は擬木の階段、南登城道は急な尾根道、東登城道は緩やかで長い尾根の脇道。いずれも山道。[1]
車椅子・ベビーカー
未確認(城跡は山道)確認日: 2026-10-03
トイレ・休憩
斐太歴史の里総合案内所にあり(開館期間中)[4]
英語案内・音声ガイド
未確認
季節の楽しみ
4月はカタクリの群生(白いカタクリが咲く場所もある⁠)⁠、6月はササユリ、11月は紅葉。冬は雪国のため案内所が閉まる。[4][5][7]
撮影のルール
未確認
工事・休館・立入制限
斐太歴史の里では枝折れ・倒木が各所で起きていて、風の強い日は林に⁠入らないよう⁠市⁠が呼びかけている。本丸の東屋は傾きのため当面利用不可。クマ鈴や⁠ラジオなど音の出るものを⁠持つよう注意喚起あり。散策路の状況は総合案内所(0255-72-0697)へ。[4]確認日: 2026-10-03

歩きかたの⁠例

新潟県健康ウォーキングロード「斐太歴史の⁠里(鮫ヶ尾城跡)コース」 55分

  1. 斐太歴史の里総合案内所(管理棟)⁠を出発
  2. 弥生時代の竪穴建物の⁠跡(浅いくぼみ)⁠を見る
  3. 里山の遊歩道を歩いて鮫ヶ尾城へ
  4. 通称本丸跡で頸城平野や⁠日本海を見渡す
  5. 案内所へ戻る

新潟県が登録した周回コース(全長3.2km、所要約55分)⁠。県は⁠鮫⁠ヶ尾城本丸跡までの往復をすすめている。

周辺の楽しみ

博物館

斐太遺跡

斐太歴史の里の中にある国史跡。約1800年前⁠の弥生時代の竪穴建物の跡が、浅いくぼみと⁠して見られる。[4][8]

確認日: 2026-10-03

編集部ガイド(見どころレビュー)

資料と⁠確認した情報をもとにした編集部の解説です。現地訪問の体験談ではありません。

こんな人におすすめ

戦国時代の土づくりの山城を歩くのが好きな人、上杉謙信の跡継ぎ争いの結末を現地で知りたい人、春日山城と⁠あわせて上杉氏の城をめぐる人に向く。

ここを見ると⁠面白い

石垣や⁠建物はなく、見どころは土の造形。南登城道の折れ曲がる道と⁠虎口曲輪の枡形、深い堀切、急な切岸を見ながら登ると、山全体が守りのしかけになっていることが分かる。頂上では春日山城の方向を探したい。

訪ねる前に

城跡は山道で、本丸跡まで登りがある。クマや⁠倒木への注意が⁠呼びかけられているので、音の出るものを持ち、風の強い日は避けたい。案内所は冬に閉まり、スタンプもそこにあるため、4〜11月の訪問が安心。

楽しみかた

焼け米や⁠炭化おにぎりの話を知ってから歩くと、1579年の落城の日がぐっと⁠身近になる。ふもとの勝福寺には上杉景虎の像が建つ。春のカタクリや⁠初夏のササユリの時期に、斐太遺跡や⁠古墳群と⁠あわせて歩くのもよい。

訪問者レビュー

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異説・未確認の⁠点

出典

  1. 1
    斐太歴史の里:鮫ヶ尾城跡妙高市教育委員会municipal確認日:
  2. 2
    鮫ヶ尾城跡文化遺産オンライン(文化庁)heritage確認日:
  3. 3
    【上越】おいでよ上越、ササユリと⁠続日本100名城「斐太歴史の⁠里(鮫ヶ尾城跡)コース」新潟県municipal確認日:
  4. 4
    斐太(ひだ)歴史の⁠里(総合案内所、県民休養地、史跡公園)妙高市municipal確認日:
  5. 5
    新潟県健康ウォーキングロード斐太歴史⁠の⁠里(鮫ヶ尾城跡)コース健康にいが⁠た21(新潟県)municipal確認日:
  6. 6
    続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  7. 7
    斐太歴史の⁠里(斐太県民休養地)にいが⁠たロケーションガイド(新潟県観光協会)tourism確認日:
  8. 8
    斐太歴史の里:斐太遺跡妙高市municipal確認日:
  9. 9
    鮫ヶ尾城(補助資料)Wikipedia日本語版other確認日:
  10. 10
    日本100名城・続日本100名城一覧公益財団法⁠人日本城郭協会jokaku確認日:
  11. 11
    Wikipedia「鮫ヶ尾城」Wikipedia日本語版wikipedia確認日:
  12. 12
    Wikidata Q11674175Wikidatawikidata確認日:

掲載の状況

  1. 候補を発見確認済み
  2. 城郭・城跡と⁠して確認確認済み
  3. 基本情報を掲載確認済み
  4. 詳細記事を掲載確認済み
  5. 写真の利用条件を確認確認済み
  6. 訪問情報を確認確認済み

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