この
上杉謙信の跡継ぎ争いに敗れた上杉景虎が最期を迎えた山城で、焼けた米や炭になったおにぎりが土の中から出てくる。
見逃したくない3つ
焼け米の米蔵跡と、おにぎりが出た三ノ丸跡
- 見る
場所 - 本丸跡の
まわりに並ぶ 通称米蔵跡 と、 通称三ノ丸跡 - 注目する
部分 - 平らに
削られた 曲輪 (くるわ)の 広がりと、 三ノ丸跡の 入口 (虎口)の 正面に 盛られた 土塁 - ここが
面白い - 米蔵跡は
焼けた [1][9]米が 拾える 場所として 江戸時代から 有名で、 1841年には 高田藩士が 仲間と訪れて 焼け米を 持ち 帰った 記録が あります。 三ノ丸跡では 発掘で 炭に なった おに ぎりが 見つかりました。 入口の 正面の 土塁は、 入ってきた 敵を 撃つ鉄砲隊が 身を隠 すためだったと考 えられています。 いまは 国の 史跡なので、 焼け米を 拾う ことは 禁止です。 - 見られるか
- 外から
見られる 遺構は見学できる。 出土品の 一部は 城跡下の 管理 センター などで 展示 されていると伝えられるが、 現在の 展示は 未確認。
南登城道の折れ曲がる道と虎口曲輪
- 見る
場所 - 城の
正面口 (大手)とされる 南側の 尾根を 上る 南登城道 - 注目する
部分 - 左右に
折れながら 上る 当時の 通路の 跡と、 城の 中心部の 入口に ある 四角い 空間 (枡形)、 その 正面の 土塁 - ここが
面白い - 敵が
まっすぐ [1]上れないよう、 道を わざと折り曲 げています。 虎口曲輪では 門が あったとみられる 開口部から 入ると枡形に なり、 道は 土塁の 手前で 大きく U字に 曲がります。 山城の 守りの しかけを、 歩きながら体で 感じられる 場所です。 - 見られるか
- 外から
見られる いまは当時の 通路の 脇に つくられた 道を 登城道として 使う。 急な 尾根道。
訪問の目安
- 最寄り駅
- 北新井駅から
徒歩約32分 - 登り
- 急な
登り - 所要時間の
目安 編集部の目安 - 案内所から
本丸跡を 往復して 1時間〜1時間半 ほどが 目安 - 料金
- 無料
(休憩スペース・ 売店・ トイレあり) - 時間
- 4〜9月 9:00〜17:00、
10月 9:00〜16:00、 11月 9:00〜15:00 - 立入り
- 自由に
見学できる 城跡は
山の 中の 遊歩道で 見学できる (入場無料)。 焼け米などの 採集は 禁止。 本丸の 東屋は 傾きの ため 当面利用 できない。 続日本100名城 スタンプは 2026年度 から 斐太歴史の 里総合案内所に 置かれている (案内所は 4月初旬〜11月下旬の 開館。 冬の スタンプの 置き場所は 未確認)。
確認日:
この城の物語
いつ、誰が築いたかは分からない
築いた年を
この城の人びと
年表
建物と遺構
天守の
もともと天守なし
戦国時代の
城全体の
建物は
主な建物
通称二ノ丸跡の建物跡
発掘で
基本データ
- 種類
- 城
- 地形に
よる 分類 - 山城山の
上に 編集部記事築いた城。 登りが ある - 時代
- 中世編集部記事
- 天守の
状態 - もともと天守なし天守は建
てられなかった 編集部記事 - 築城
- 不明
(16世紀) 日本城郭協会 - 主な
城主 - 堀江氏
(城代) 日本城郭協会 - 見られる
遺構 - 堀切・
曲輪・ 編集部記事虎口・ 堀・ 土塁 - 文化財指定
- 国史跡
(鮫ヶ尾城跡) 編集部記事(2008年) - 名城選定
- 続日本100名城 133番日本城郭協会
旅の情報
立入り
自由に城跡は
住所
新潟県妙高市大字宮内・
最寄り駅と行き方
開館時間・料金
- 時間
- 4〜9月 9:00〜17:00、
10月 9:00〜16:00、 11月 9:00〜15:00 - 休館・
休み - 冬期
(11月下旬〜4月初旬)は 閉館 - 料金
- 無料
(休憩スペース・ [4]売店・ トイレあり)
車・駐車場
上信越
歩きかたの例
新潟県健康ウォーキングロード「斐太歴史の里(鮫ヶ尾城跡)コース」 55分
- 斐太歴史の
里総合案内所 (管理棟)を 出発 - 弥生時代の
竪穴建物の跡 (浅いく ぼみ)を 見る - 里山の
遊歩道を 歩いて 鮫ヶ尾城へ - 通称本丸跡で
頸城平野や日本海を 見渡す - 案内所へ
戻る
新潟県が
周辺の楽しみ
博物館
斐太遺跡
斐太歴史の
博物館
観音平・天神堂古墳群
斐太歴史の
編集部ガイド(見どころレビュー)
資料と確認した
こんな人におすすめ
戦国時代の
ここを見ると面白い
石垣や建物は
訪ねる前に
城跡は
楽しみかた
焼け米や炭化おに
写真
訪問者レビュー
この
レビューを書く
異説・未確認の点
- 築城時期と築城者は
記録が なく、 1532〜1572年 ごろとする 説は 有力説にとどまる。 - 城に
火が 放たれた ことは 江戸時代の 歴史書に 書かれ、 発掘でも 火を 受けた 遺物が確 かめられているが、 火を 付けた 人物に ついては 資料に より 書き方が 異なる。 - 城域の
広さは、 市は 遺構部分で 約10万㎡・ 自然地形を 含め約22万㎡、 文化庁は 約25万㎡、 指定面積は 224,128㎡と している。 - 出土品の
展示場所、 冬の スタンプの 置き場所、 公園の 開園時間、 英語の 案内、 撮影ルールは 確認 できなかった。 駐車台数 (30台)は 2022年の 県の 案内に よる。
出典
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
掲載の状況
- 候補を
発見 確認済み - 城郭・
城跡として 確認済み確認 - 基本情報を
掲載 確認済み - 詳細記事を
掲載 確認済み - 写真の
利用条件を 確認済み確認 - 訪問情報を
確認 確認済み
近くの城
現地の