はじめに
手の話から
レシピは、紙より先に手が覚えます。十五年厨房に立ってきて、いちばん確かだと思うのは、そのことです。
この本は、十八歳で日本料理の店に入ってから、三十三歳で自分の店を開くまでの十五年の記録と、そのあいだに手が覚えた四十八品のレシピをまとめたものです。前半は修業の話、後半はレシピ帖という二部構成にしました。
修業の話を先に置いたのには、理由があります。レシピの数字だけを写しても、同じ味にはならないからです。出汁を引くとき、私は温度計を見ていません。鍋の底から上がる泡の大きさと、昆布の縁の揺れかたを見ています。そういう「数字にならない部分」がどうやって手に入ったのかを先に書いておけば、後半のレシピ帖の行間が読めるようになると思いました。
隠したことは、ひとつもありません。出汁の昆布と鰹節の量も、まかないの塩加減も、店の失敗も、そのまま書きました。料理の世界には「技術は盗むもの」という言葉がありますが、私は教わったことを次に渡したい側です。教えたくらいで抜かれる技術なら、その程度のものだとも思っています。
本を作るのは初めてです。文章は得意ではないので、AIの聞き手に話したことを土台に、自分の言葉に直しながらまとめました。厨房のことは、厨房の言葉で書いたつもりです。分からない言葉が出てきたら、それは私の説明不足です。
台所に立つ人にも、これから厨房に入る人にも、カウンターの向こう側を知りたい人にも。どこから読んでもらっても構いません。ただ、レシピ帖から読んだ人は、いつか前半にも戻ってきてください。手の話は、そこに書いてあります。