738年の惣湯から
箱根湯本は箱根十七湯の中で最も古く、伝承では天平10年(738年)、釈浄定坊が発見した『惣湯』を湯元とする。この源泉はいまも使われている。箱根の名が広まったのは豊臣秀吉の小田原攻めで、長期滞陣した武士たちが湯を使ったとされる。江戸時代には東海道沿いの温泉として栄え、湯本・塔之沢・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯が『箱根七湯』と呼ばれた。徳川将軍家への献上湯も度々行われている。湯本は源泉数・宿数・宿泊客数とも最多で、小田急ロマンスカーの終点、登山電車とバスの乗り換え駅という位置がその中心性を支えている。[4][1]
七湯、八湯、十七湯、二十湯
七湯に東海道から外れていた姥子を加えて『八湯』。明治以降、登山鉄道の開通や掘削で大平台・小涌谷・二ノ平・強羅・宮城野・仙石原・湯の花沢・芦ノ湖・蛸川の9つが開かれ、合わせて『箱根十七湯』。さらに早雲山・大涌谷・湖尻を足して『二十湯』と呼ぶこともある。箱根町観光協会によれば全山からは1日2万5千トンが湧き、湧出量は全国5位。泉質は湯本の単純温泉から、大涌谷の湯を引く仙石原の白濁硫黄泉、宮ノ下・底倉の塩化物泉、芦之湯のアルカリ性硫黄泉まで多様で、一つの火山の裾野を登りながら湯を比べられる。[1][4]
町の湯と湯治の湯
観光地のイメージが強い箱根だが、湯本には地元の人が使う町営の共同浴場『弥坂湯』が残る。箱根町の案内では9:00〜20:30、木曜休、大人650円・小人300円(町民は別料金)。駅から坂を上がって約10分。一方、湯本駅からバスで約10分、須雲川沿いの奥湯本にある『天山湯治郷』は、泊まらずに一日を湯で過ごす日帰りの湯治場を名乗る。大人1,450円で9:00〜23:00、定休日なし、現金のみ。内湯と露天、蒸し湯があり、第74号源泉はpH9.3で箱根で唯一飲泉許可を得たというアルカリ泉。食事処や貸座敷もあり、おひとりさま限定の部屋も用意されている。[2][5][6]
観光と温泉が結びついた町
1919年に小田原電気鉄道(のちの箱根登山電車)が山上まで達し、戦後すぐ小田急が箱根湯本駅へ乗り入れて、東京からの便が決定的に良くなった。西武と小田急の『箱根山戦争』と呼ばれる乗客争奪は、結果として多くの観光客を呼び込んだ。毎年11月3日には江戸の参勤交代を再現する箱根大名行列が湯本の町を練り歩き、旧街道の畑宿では寄木細工の工房が体験を受け入れる。温泉は箱根の観光のいちばん底にある土台であり、湯本はその土台を最初に踏む場所である。[4][3][1]