なぜカンボジアに地雷が多いの?
カンボジアで最初に地雷が埋められたのは1967年とされ、その後およそ30年にわたる内戦の中で、さまざまな勢力が地雷を使いました。特に1985年ごろからの「K5計画」では、タイとの国境沿いに大量の地雷が埋められました。カンボジア政府の報告では、埋められた地雷は約400万個と推定されています。さらに、ベトナム戦争のころの爆撃で、爆発しないまま残った爆弾(不発弾)も各地に残りました。
カンボジアで最初に地雷が埋められたのは1967年とされ、その後およそ30年にわたる内戦の中で、さまざまな勢力が地雷を使いました。特に1985年ごろからの「K5計画」では、タイとの国境沿いに大量の地雷が埋められました。カンボジア政府の報告では、埋められた地雷は約400万個と推定されています。さらに、ベトナム戦争のころの爆撃で、爆発しないまま残った爆弾(不発弾)も各地に残りました。
はい。長年の除去活動で状況は大きく改善し、これまでに15の州が「地雷フリー(地雷除去完了)」を宣言しています。それでも、タイとの国境に近い州を中心に汚染は残っており、たとえばバッタンバン州には2025年7月1日時点で約209.8平方キロメートルの地雷原が残っていると報告されています。
UXO(Unexploded Ordnance)は、撃ち込まれたり落とされたりしたのに爆発しないまま残った弾薬のことで、日本語では「不発弾」といいます。カンボジアでは、ベトナム戦争のころに米軍が行った爆撃に由来する不発弾やクラスター子弾が、東部の州を中心に多く残っています。地雷と同じように、触ると爆発する危険があります。
正式には「対人地雷禁止条約」といい、対人地雷の使用・開発・生産・貯蔵・移転を禁止し、貯蔵地雷の廃棄や埋設地雷の除去を義務づける国際条約です。1997年にカナダのオタワで署名が始まったため「オタワ条約」と呼ばれます。カンボジアも日本もこの条約に参加しています。
カンボジア政府は「2030年までの地雷ゼロ」を目標に掲げており、日本もその実現を支援しています。対人地雷禁止条約にもとづく除去の期限も2030年まで延長が認められました。すでに15の州が地雷フリーを宣言しており、残る州でも除去が続いています。
CMAC(カンボジア地雷対策センター)は、1992年に設立されたカンボジアの地雷除去の実施機関です。1992年6月から2023年6月までに約1,616平方キロメートルの土地を安全にし、59万個以上の地雷と250万個以上の爆発性戦争残存物(ERW)を処理してきました。日本も長年CMACを支援しています。
まず調査で「地雷がありそうな場所」を絞り込み、そのあと金属探知機を持った除去員が少しずつ地面を調べます。においで爆薬を見つける探知犬や探査ネズミ、草木を刈る機械なども組み合わせて使われます。見つけた地雷は、その場で安全に爆破処理するのが基本です。時間のかかる危険な仕事ですが、こうした地道な作業で土地が少しずつ暮らしに戻されています。
日本は1998年から、カンボジアの地雷除去機関CMACに対して、灌木除去機や地雷探知機などの機材供与、人材育成、研究開発、施設建設などの支援を続けてきました。無償資金協力の総額は199億円(2026年4月現在)です。JICAの技術協力も行われ、カンボジアはいまでは他の国へ地雷対策の経験を教える側にもなっています。
ピースボートは1983年に設立された国際NGOで、地球一周の船旅を通じた国際交流や平和教育に取り組んでいます。戦跡の訪問による歴史学習や、地雷廃絶キャンペーンなどのプロジェクトも行っています。2017年には、ピースボートが国際運営団体のひとつを務める核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。このサイトの運営者も、ピースボートの船旅でカンボジアを訪れました。